アウル、アウル。なぜ哭くの?

柳なつき

出会いから、飛翔まで

 空爆が咲く。

 故郷はもうすぐ完全に亡びる。

 歴史の一部と成るのだ。――大国に従わなかった故、襲撃されてあっという間に亡んだ都市王国として。


 たとえ周辺国のなかにおいて孤独であっても、そのぶん英知を誇りとした国だった。結局のところ、野蛮な武力には勝てなかったってことだけど。

 その機械の技術力を、戦争のために差し出せって言われたけれど。

 どうしても、嫌だと言った王さまは、……最期まで誇り高くあって。

 そして、民は、……残らず殺されそうとしているのだ。

 いま、まさに。


 ……王さまは、天才的な発明家だった。いつでもあっと驚くモノをつくりだして、私たち国民を楽しませてくれた。

 たとえばそれは歩行する人形。たとえばそれは喋る猫の置物。


 けれど。王さまとしては、きっとだめだったんだろう。だって、……私たちをこうして死の危機に晒すことになるだなんて。

 私たち、まだ、……子どもなのよ?



 でも。

 それでも。

 私は、私よりもまだずっと幼い妹の手を曳いて。

 バスンバスンとばかみたいに鳴り続ける轟音と、一生かけても見たくもなかった人の死とそのあまりに悲惨な抜け殻のなかを、

 必死に、必死に、走り続ける。

 すすけた手。汚れてしまったね。でも。――お姉ちゃんが、あなたを守る。きっと……これからは、ずっと。




 ……涙を出すのは、まだあとだ。逃げるんだ。逃げろ。私は、私たちは、まだ生きている!




「……おねーちゃん、ねえ、お姉ちゃん」

「うるさいしゃべるな、何も言うなっ。とにかく前だけ見て走るの!」

「見てる、前、見てるよお、そうじゃなくて、聞こえるの、ねえ、聞こえない?」

「爆弾の音のことならさっきから耳がおかしくなりそうよ!」

「……違う、鳥さんの、鳴き声……」



 ――ああ、私の幻聴ではなかったのか。

 この悲惨なできごとに、心が、ついていけなくて……だから鳴ってる、幻聴のたぐいだと思ったのだけれど。



 ホッホウ。ホッホウ。



 耳慣れない鳴き声だった。

 鳥、そうか、鳥か。妹が言ってくれたから、鳥なんだろうってわかった。

 でも、スズメでもないし、カラスでもない。きっと、都会の鳥ではない。そのくらいのことも、わかったけれど。



 ――何かが、哀しいのかしら?



 妹の手を曳いて、空爆の飛び交う故郷の街を外れへ向けて必死に、駆け抜けながら。

 そんな耳慣れない鳴き声を聞いた。

 その鳴き声はそう思わせるに充分なものであったのだけど、あいにく、立ち止まって振り返っている暇なんて、ない。


 逃げなければ。

 とにかくここを抜けたなら、私たちは生き延びれられる。

 自分たちを護るために造ってくれたのであろう、街をぐるりと囲う高い高い煉瓦造りの防壁をくぐり抜けて、

 広がるはずの草原へ、この街以外も続くんだという広い世界へ、

 そうすれば――私たちは、もしかしたらこの先の人生を続けられるのかもしれないのだ。


 たとえ父母を喪って、兄を喪って。

 幼馴染を喪って、友人たちを喪って。

 恩人たちを喪って。

 そのまま、故郷までも喪うとしても。


 しかも、それは。かもしれない、と言わざるをえないほどの、かすかな希望ではあったけど。

 でも、私たち姉妹にとっては、いま、もはや――たったひとつの、縋るよすがであるのだから。




 走れ。走れ。走れ――振り向くな、立ち止まるな、泣くなよ、走れ!




『……ホッホウ、ホッホウ。どうして、そこまで死にたくないの?』

「死にたくない理由だなんて、燃えて塵になりたくないというだけで充分だと思うけど?」



 幻聴に律儀に答えてしまった。けれど。この奇妙な鳴き声と問いかけは、私の気を激しい空爆の音から逸らしてくれるには、充分だった。

 どうせ、簡単に私は狂うだろう。そんな予感が、すでにしている。なにせ戦争孤児だ、なにせ両親も家族も親しいひとたちも故郷も何もかもを喪った! もう気が狂い始めてたっておかしくはないんだ。だったら、幻聴だなんて、……ああ、もう区別する必要なんてそもそもあるの?

 空は夕焼けみたいな紅色に染まりつつある。でもいまは昼間だ、真昼間だ。

 まだ、だ。また人が死んでいる。あそこにも、ここにも、そこにも。死んでいる。死んでいるのよ。死にたくない、――死なせたくないよ。



 妹がさっきからすぐに小石にけつまずく。だから、私は促すのだ。

「急いでっ」

『ホッホウ、ホッホウ。いもうと、想い?』

「当たり前のことでしょう! アンタ馬鹿なのこの小鳥がっ」

『小鳥では、ないけど。フクロウと、いうけど』


 ホッホウ。ホッホウ。

 戦場に似つかわしくない牧歌的な鳴き声が、嬉しそうに、響いた。



「……お姉ちゃん、変な鳥さんが、話しかけてくるよお……」

「あなたも? 姉妹揃って戦争の心の傷で気が狂ったかもしれないわね、それは」

『そんなジョークを言えるなら、ホッ、ホウ、大丈夫、ホウホウホウ。……このまちはつよいひとをそだてた』

「何がどう大丈夫なのよっ、小鳥!」

『ですからね、フクロウです。――跳んで!』




 あまりの強い声に、私と妹は、手をつないだままピョンと兎のように跳ねた。

 すると――身体が、ふわっと、そのまま浮き上がった。



 どんどん地面が遠くなる。

 あああああ、と妹が大声を上げる。


「お姉ちゃん、あたし、飛んだことなんてない!」

「私だって飛んだことなんてないわよ!」



 なにがなにやらわからないなかで、でも、私はたしかにぞっとしていた――ぐんぐん遠ざかる円形で囲まれた故郷の、先程まで私たちが居たであろうところは、もはや、……空爆で、最後の最後、塵の塵まで、とどめをさされていたようだったのだ。



「……死んでた、はずね、でも……」



 草原が、広がっていた。

 ……さっき、あんなに、たどりつくことを欲したところだ。

 故郷ではない――つまり、襲われていないところ。

 ……きっと、逃げれば、どうにかなると。

 そう思って、容赦なく襲撃され続ける街のなか、

 妹の手を曳いて、目指し続けた場所――。


「……なにこれ……飛んでる……天国? 私、もう死んだのかな……そうじゃなくても、もう死にそうよね、この高さ、落ちたら絶対に助からないし」

『死んでないですし、死にませんよ。フクロウがつまんで飛ばしてますから、安全性も確保されています』

「ああ、そうなの……」



 故郷の街がいよいよ小さな点となって見えなくなる。

 そこで、やっと状況が呑み込めてきた。



 ……ああ。私たち、巨大な鳥の機械の爪に、首根っこ掴まれてこんな天空を……飛んでいるんだ。

 もう、逆らっても仕方ないな。がっくりと……私は、この鳥にまかせることにした。どうせ、もう、……じたばたしたって、始まらない。



「……あんた、けっきょく、なんなの?」

『フクロウです。英知の神の遣いであります』

「……フクロウさんは、王さまの鳥さんなの?」


 妹が、おそるおそる、でも無邪気に訊いた。

 フクロウは、しばらく黙り込んでいた。


『……彼の死、そして彼の王国キングダムの死で起動する装置に過ぎないワールドインターフェイスオートマタインテリジェンスのフクロウは、うん、つまり、そうとも、いえるのでしょうねえ』



 ……ホウ。ホッホウ。ホッホウ。……ホウ……ホウ……ホウウ……。



 ――歌みたいに鳴くんだな、この鳥。

 それに、なんて――切なそうな、響きなの。





 天空では。

 風が、とんでもなく冷たい。

 もう、故郷は見えない。焼けてしまった。空爆によって。……たぶん、跡形もなく。



 ……ホウウウウウウ……。



 草原。点在する村。街。巨大すぎる海と、どこまでも広がる空。

 ……その鳴き声は、そんな大地すべてに響きわたるかのようだった。



「……フクロウさん、フクロウさん。どうして、そんな声で鳴くの? 泣いてるみたいよ……」

『さあ、どうしてなんでしょう』




 顔を上げると、鳥の目を模したのであろう光る猫目石クリソベリルが、じっと優しく私たちを見ていた。




『きっと、フクロウは、これからそれを知るのです。

 どうして、わたしは、事前にインプットされたことを、つまり、

 ――王さまが死に、王国も回復が見込めないほど壊滅したら、

 自立的に起動して、街を飛び回って若くてかつ未来のありそうな人間を回収して、そのまま飛び立て、その人間を生かせ、生涯にわたって確かに生かし続けろ、国から離れてしまったしても、国民を、民を絶やすな、とという、

 ――単なる命令を、こなしただけで、こんな、こんなにも、……不要なボイスが、出るのでしょうか?


 ねえ。あなたたち姉妹。これから――どこに、行きたいですか?

 王国以外なら、……どこでもいいと、プログラムされているのですが』



 ……なるほどね。

 王さま、そんなの、用意してたんだ。若いっていうのは子どもだからまだいいにしても、……未来なんて、私たちにある?

 故郷を、家族を喪い、たったふたりきりになった天涯孤独の私たちに――?



 ホウウウウ。――ホウウウウウウ。




 ああ、ううん、……もし鳥の機械のことを人間とおんなじに数えられるのだとしたら、

 もしかしたら、これからは。三人になるのかもしれないけれど――。




 バサッ、……バサ、バサ、バササッ。

 フクロウが羽ばたいて、私たち姉妹をどことも知れないどこかへ連れていく。



「わあっ!」

 妹が、はしゃいだ声をあげた。

 私も思わず息を呑む。


 まるで、広すぎる井戸水みたいな景色。――海だ、あれがきっと。噂に聞いて、本でも読んだ――。



「……なんて蒼い……」 

「ねえ、お姉ちゃん、きれいだねえ」

「そうね、そうね、……きらきらしてるね……」


 

 そうやって。

 フクロウは。

 私たち姉妹を掴んで、離さずに、飛んでいくのだ。


 絶望的なことだけど、

 どうやら、世界というのはどこまでも広がっているらしい。……どこまでも。

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アウル、アウル。なぜ哭くの? 柳なつき @natsuki0710

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