「また会いに来たよ」

余記

あめ、けぶる。

ねずみ色に染まる空。

しとしとと、降りしきる雨が窓を打ち、水煙が上がっていた。


こんな朝は、思い出す事がある・・・

仕事を定年で退職し、さしあたって朝が忙しく無い男は、物思いにけていた。


ふと、口が寂しくなり、服のポケットを探って、苦笑いをする。

そういえば、タバコはよくないと、息子に取られたんだったっけ。



***



光は目的地まで最短時間で到達できる進路を選ぶ。


これは、フェルマーの原理と呼ばれている。

このフェルマーという人は、「フェルマーの最終定理」の人でもある。


最短時間で到達できる、という所に、予め進路を知っているのか?というような事を想像してしまうが、

更に人生、という図の中でも同様の事が起きるのではないか?という話が、テッド・チャンというSF作家の書いた、あなたの人生の物語という小説である。



その話の中では、人類の出会った異星人エイリアンが、そんな考え方/見方をしている。

彼らとコンタクトを取ろうとしている学者は彼らの考え方を学ぶうち、同じ見方を身につけてしまう。

時系列に並んでいない出来事の記述、まるで、これから起こる事の予言みたいな文体は、これを表現しようとしているのだ。



***



こうして、老年になって思う。

あの小説のように、未来や過去に移動するような事になったら恐らく、大事な思い出に戻ってくる事が多くなるんだろうなぁ、と。

そして自分の人生は、一番大事な思い出で終わるのだ。



***



ねずみ色に染まる空。

しとしとと、降りしきる雨がプラットホームを打ち、水煙が上がっている。

電車を待つ間、そんな光景を眺めていた。



身重の妻を放って仕事に出るのは心配だが、プロジェクトも佳境を迎え、休む事がはばかられたのだ。

だが、ここ数日、引き継ぎの情報などはまとめておいたから大丈夫なはず。

そんな事を考えていると、携帯電話が鳴る。


電話を取る前から、

予め、知っていたかの如く受け答えをして、会社にも連絡をしておく。

最悪の予想をして、予め対応していたのが役に立ったようだ。



連絡のあった病院に駆け込むと、疲れた表情をしながらも、誇らしげな妻の顔があった。

弱々しく伸ばされた手を取るが、胸がいっぱいになって、なんと声をかけたらいいのかが分からなかった。

それでもなんとか、


「よくがんばったね!」


かろうじて、こんな言葉を絞り出すと、弱々しく妻はほほえんだ。

そして、その隣には・・・


キミがいるんだ。

つまり、私たちの初めての子供。


生まれたてのキミは、激しく泣き叫んで、しわくちゃな顔を更にしわくちゃにしている。


そんなキミこそが、私の生まれた意味。

キミが生まれた瞬間が、私の人生の最高の瞬間なのだ、と思う。


だからこそ、キミの耳に顔を近づけて、こうささやくのだ。






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「また会いに来たよ」 余記 @yookee

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