フクロウ印のカレー屋
深川 七草
第1話 フクロウ印のカレー屋
サンドイッチ屋、ファミレス。
それがお洒落か分からないが、そんな店に行ける身分ではない。
天ぷらひとつの立ち食いそばは気軽でいいと言っておこう。ラーメンや餃子ももちろん好きだが、昼には食いたくない。
それは、ビールが飲みたくなるからではなく、臭いが気になるからだ。
「今日はカレーでいいや」
投げやりな言葉をつぶやいてもカレーに失礼だとは思わない。だが“今日は”と言えるのか? それに、カレーもまあまあ臭うかなとその辺りは気になる。
昼休みのオフィス街は、どこも行列ができる。
うまいほど、安いほど。いや、安いほど、うまいほどかも知れない。
少しだが並んでいる。しかし、カレーなら客の回転は速いし、ここは量の割りに安い。
「いらっしゃい」
「大盛りで」
ビルの間で待っているときからカウンターしかない座席に着くまで悩むことはなかった。かつを入れても、焼肉を入れても、チーズを入れても、はたまたうどんを入れても何でもいける、そんな万能なカレー様とはいえここではメニューといえるほどの選択肢は用意されていなかったからだ。
出てきたカレーは木製のデカイ器にてんこ盛りだ。
原価が安そうなカレーはともかく、それを囲んでいる野菜が贅沢であるとは料理をしない俺でも分かる。
仕事に戻り、終業の時間になる。
時間になるとは制限時間のことで終わらなくても帰るということであり、社屋を出なくてはならないということである。
監査が入りそうということで、しばらくは強制退社らしい。溜まる一方の仕事に恐怖を覚える。
足を駅に向け考える。
サービス残業をやらないととばっちりが巡ってくるという矛盾は避けられないとして、唯一マシなのがスーパーで“レジにて半額”を買える時間に帰れるところだなと。
ふと、目が合う。
「毎度どうも」
「……」
ども、と口を動かしたが声と言うほどのものは出なかった。
それは若干、不意を突かれたからでもある。
彼はカレー屋の、おそらく店主である。
彼は、野菜などが入ったダンボールを載せた台車を押していた。
「明日の準備ですか? 大変ですね」
俺は愛想は良くないと思う。でも、職種は違えども働く者どうしだと思ったからか今度は声が出た。
しかし今から仕込むのだろうか? 一日寝かせたカレーはおいしいというけれど。
「ええ、営業前に運んでおかないと」
営業前?
「カレー屋、夜も営業してるんですか?」
「いえいえ。カレー屋はお昼だけです」
確かに、お昼時しか客がいないオフィス街の店舗では、夜、別の店に鞍替えすることがあるとは聞いたことがある。しかし、台車に載っているのはジャガイモやニンジンである。バーやスナックをやる準備には見えない。
不思議でしょうがない俺は、気がつけば台車をまじまじと見ていた。
「ああ、夜はね、シチュー屋をやってるんですよ」
シチュー屋……。
なるほど。ジャガイモもニンジンも両方カレーとかぶる。運んでる物と話は合う。だがしかし、いろいろ疑問に思う。
一言で言ってしまえば“何故”であるが、俺は質問しなかった。
おねえちゃんがいる店ではなくシチュー屋なら、聞かなくても食べに行けばいいからだ。
「営業時間までだいぶありますか?」
「いえ、すぐに開きますよ。来ていただけるなら、お店の中で待っていただいても」
「でもシチューって、そんなすぐにできるんですか?」
「いえいえ。あ、これは今使うわけではないので」
聞いといてなんだが、カレーもシチューもそんなに早くできる分けがない。
「どれにしましょうか?」
店に一緒に入り座席で待たせてもらうことになると、彼はメニューを持ってきて見せてくれた。
しかしどれも“何とか”シチューだ。お昼に比べればメニューの数は多いのだが、全部シチューである。
「えっと、お勧めので」
決められない俺はお勧めに逃げた。
ただ座っているのも悪いが、アルコール類もあるか分からないし準備中に頼んだら逆に迷惑かななどと考えおとなしく待つ。
カウンター越しに見える彼が、湯気が立ち上る寸胴から具材を盛った皿にシチューをかけている。
うん? 具材が先に皿の方にあるのか。
「お待たせしました」
縁に少し、茶色く焦げ目のような模様がある深さのある皿に真っ白なシチューが注がれている。
緑のインゲン、橙のニンジン、黄色のトウモロコシが、氷山のようなジャガイモに乗り上げているのが確認できる。
「いただきます」
スプーンで思いきり氷山を崩そうとすると、下に何かが隠れている。
その塊をスプーンで割る。これはキャベツ……肉団子、ロールキャベツか。
うん! うまい。
正直、肉の塊が見えないので心配をしていた。だって厨房に、牛肉の塊が見えるんだもん。
「あのー、この中に入ってるのはその肉ですか?」
「いえ、あれはビーフシチュー用のです」
確かにメニューにあったな。
あれ? 待てよ。ビーフシチューって茶色くないか? おいしいものって茶色くないのか?
「そういえば家で作るシチューって白いですけど、お店のって茶色いのが多いですよね?」
俺はアホなことを言っていた。
「そうですね。お店ではホワイトシチューは手間が掛かりますからね」
「そんなに違うんですか?」
「牛乳を使うことと、長い時間煮込むと色が綺麗に出ないことがやりにくい理由ですかね」
そうか、だから他で出すことが難しいホワイトシチューがお勧めなのか。
「なるほど。ところでこの野菜、昼のカレーと一緒ですよね?」
「ええ、カレーに入ってるお肉もビーフシチューとかがあるのであの値段でできるんですよ」
店主は苦笑いをしている。
材料の共通化と昼夜の営業で成り立っているのかー。でもこの言い方。
「ひょっとして、こちらが本業ですか?」
「ええ。お昼ももちろん本気ですけど、もともとシチュー屋をやりたかったんです。しかしそれだけでは難しいので人気のあるカレーにあやかったんです」
「お昼も出せば人気出ると思いますよ?」
気が付けば、一緒に出された小さな編みかごに入ったフランスパンを使い隅々まで食べていた。
「コスト的に厳しいかなと。売り上げ的にもどちらか本業か分からないですし、なので……」
「なので?」
「なので、看板をフクロウにしたんです」
「フクロウが夜行性だからですか?」
「そうです。食料が不足すれば昼でも狩りをするそうですけど、本当の活動は夜だったことを忘れないようにするために」
カランコロン!
「いらっしゃいませ」
ドアが開き、他のお客さんが入って来る。店を入るときに見た手書きボードに書かれた開店時間だ。
「すいません。すっかり話し込んじゃって」
「いえいえ、また来てくださいね。昼も夜も」
俺は勘定を済ませて店を出た。
彼が何故シチューにこだわるのかまでは分からないけど、俺はどうなのだろうか?
別に今の仕事が嫌いなわけじゃない。こうやって早く帰れるときだってある。そうじゃなくて、夢中になれることって何なんだろうと思うんだ。
終わり
フクロウ印のカレー屋 深川 七草 @fukagawa-nanakusa
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