カラナキ鳥と夕暮れ夜道

ム口川

おきみやげ

ギャーッ、ギャーッ


 子供の声なのか鳥の声なのかはいざ知らないがともかくなんとうるさい音なのだと僕は思った。埃をかぶった振り子時計は十時ちょうどを指していた。

 僕は歯を磨きながら、雨風にさらされてしおれた引き札を玄関の戸から引っ張り、それを使い表の様子がみえる窓の結露を拭いた。今日は取り立て屋いないようだ。顔を洗い身のなりの手入れをそこそこし木彫りのフクロウを抱え、団地の階段をそそくさと降りた。 ギャーギャーという声はこの間にもやはりしていたが気には止めなかった。なぜならそんな事よりも大事なことがあるからだ。

 階段を降りきりやれやれとおもい首をならした瞬間、ヒヤリとした液体が頬をつたった。

(全く最悪な朝だ…)

 いや、元より状況は最悪なのだ。袖で水滴を拭うと僕は木彫りのフクロウを大切に抱えて質屋へと向かった。


「これはむかし母の父が漁船の乗組員だった頃、ボリビアの民族からもらったものなのですが…」


 ふーむと、質屋の店主は唸った。虫眼鏡の中の眉が歪むのがわかった。

 僕は祖父の自慢話を思いだしながらあーだこうだと自分でも気味が悪くなるぐらいに愛想良く店主に話したところで四枚の伊藤博文を受け取った。

 …しめた。これで二週ほど飯にありつける。帰路の足は死んでいるかのように軽かった。


                 〇▼〇


 その日の夜、僕は祖父の夢を見た。夢の中の祖父は僕の知っている祖父より肌黒く、髪もふさふさで若かった。内容は祖父がボリビアの男よりも強いため実にモテたというのろけ話であった。そんな話をしている間、祖父は僕が質屋で売ったはずのフクロウの置物を携え、さも大事そうに始終撫でていた。


「お、おじいちゃん…それ」


「おう、坊も触ってみるか?」


 僕は一瞬躊躇した。すると時が止まったように祖父の動きが止まった。ロボットのようにまばたきも呼吸さえしていない。僕は気味が悪くなりフクロウの頭に手を伸ばした。触れてみるとツルツルとしていて木陰に入ったように涼しかった。でも木目を眺めていると脈打つように生暖かく感じてきた。その間、祖父は微笑んでいて、なぜか僕も心地の良い気分になったのでフクロウをずっと触っていた。フクロウの頭はやがて粘土のようにやわらかくなり僕の手は木彫りの置物であったはずの何かに沈み込んだ。指先からどんどん感覚が消えてドロドロと混ざり合っていく。港に浮かぶ油のようにカラフルなビジョンの中に暫くいたと思えば、僕という黒い存在がフクロウよりも重くなりフクロウという白い存在に包み込まれていった。


「…ネ…アナタ ワカル フクロウ守リ神 ダカラ 私ノ代リニ アナタ コレ持ッテルアナタ 助カル…ソ…テ」


 女が誰かに語り掛けているようだったが。この電波じみた空間の心地よさに酔いしれていた僕は煙のようにゆらゆらと揺れるのみだった。




ギャーーーーッ!!




 僕は扉を叩く音で飛び起きた。

 がちゃがちゃと扉をこじ開けんとする様に僕は戦慄した。一度は布団をかぶったが諦め、ため息をついてから僕は相手に語りかけた。


「あのー、引き戸なんですよ。ここ。」


「うそやろ…………ほんまかいな。」


 黄色に煤けた眼鏡をかけたパンチパーマの男が「起きてたんや。へー、邪魔するで」と言ったか見たか我が物顔で僕の家のリビングへと上がり込んできた。 僕は気のせいか胃が痛くなってきた。そんな僕を気にも止めず、男は蛙の口をした鞄から薄っぺらい紙の太い束を繰り出してきた。借料書だ。僕は足を’の’の字にしてでも今すぐ逃げ出したい気分になった。

 人体について詳細に描かれた誓約書に顔を青くした僕とは対照的に油屋は家具に赤い紙をペタペタとせわしなく張り付けていく。


「勘弁してくださいよ。油屋さん。」


「もう堪忍はできまへんのや。」


                 ◎▼◎


 僕は団地の外で空っぽになった財布の底を眺めながら道路に突っ立っていた。誓約書を見せながら「ほなまた来まっせ」と金歯を光らせる油屋の顔が忘れられないせいで焦りと苛立ちが募っていたが、ふとあの鳴き声のことが気になり空を見た。空には電線が巣を張っているのみであの声の主は見当たらない。そのせいか静かすぎて電柱の上についている変圧器の音がいつもより大きく聞こえた。探すのをあきらめて恨めしい視線を地の空にやったところで肩に白いものがつたった 。

 それは白くぬめりとしたそれは少し暖かかった。


「ふん、これで運でもつけろというのかこの糞野郎め。」


  叱咤を吐いたところで音のない風が僕を置き去りにした。

 振り向く前に乾いた紙特有の音がした。借料書やら誓約書が空に巻き上げられ散り散りになっていた。その下で油屋さんが慌てる様子がみえた。

 「はは」と残し僕は荷物を抱えて油屋のいる方とは逆の方向へと歩き出した。



夕暮れの光に羽根の影が音も立てずに宙で踊っていた。


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カラナキ鳥と夕暮れ夜道 ム口川 @mukougawa4423

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