エピローグ:社会人ゼロ年生 春
内定取れたのに卒論が! 締切がー!! と叫んでいた西井に、やれ夜食だやれホットミルクだと甲斐甲斐しく世話を焼き、提出した! 卒業できるー!! という報告を受けて、私はやれやれと息を吐いた。
そういえば、いい報せは重なるものである。
私の方も、内定の通知が来ていた。
京大時代に、何かを考えたくなくてあれこれ構わず授業を受けていたせいか、あらゆる分野に精通することとなり、ありがたいことに引く手あまただった。が、それはアルバイトの区分での話だ。正社員となると話が違う。ワケありの私を雇おうとする会社などなく、ならばと私は独学でプログラミングを始めた。フリーランスなら私生活を詮索されることもあまりないという浅い考えであったが、幸いにしてその目論見通り、雇おうと思ってくれた会社があったらしい。
そういうわけで、今日はおめでたい日だ。何かプレゼントでも用意して喜ばせたいところだけれど、何がいいだろうか。
そこまで考えたところで、私にはあげられるものなどないと気付いた。……まったく、浮かれたり沈んだりが激しい日で嫌になる。
*…***…*
そんな気持ちが吹っ飛んだのは、夕方のことだった。
西井から、駅前まで来て、と言われて呼び出された。それだけだ。駅前に着くと、彼は手をブンブンと振って存在のアピールをしている。身長が高くただでさえ目立つのに、より一層人目を引いた。浮かれているのだろうか、微笑ましい気持ちになった。
「待ちましたか?」
「全然! じゃ、行こうか!」
どこに? と聞く前に、西井は私の手を引いて歩く。
向かった先は――。
「不動産会社……?」
「すみません、予約していた西井です。例の物件の内見をお願いしたく……」
例の物件? なんのことだ?
私がきょとんとした顔をしても、西井はいたずらっぽく笑ってみせるだけで、私としてはただただ疑問を募らせていくばかりだった。
「こちらの物件ですね。スリッパをどうぞ」
「あ、どうもどうも」
「はあ……」
よくわからないながらも2LDKの物件を紹介され、所在なく押入れ収納なんかを見ていた時だった。
「日和!」
名前を呼ばれ、今度はなんだと西井のもとへ向かう。
するとそこにはベランダへ続く大きな窓が、――。
「卒業したらね、引っ越そうと思ってたんだ。あのアパート、二人暮らしじゃ手狭だったでしょ?
それで、合間を縫って物件を探してたんだけど……あ、ごめんね勝手に!? 嫌だった!?
え、ええとね、その、見つけた中で……ここが一番素敵だったから、どうかなあって……」
桜が、咲いている。
大きな掃出し窓の、その全てに映るくらい立派な桜。
ベランダに出てみれば、ちょうど風が吹いて桜吹雪が吹き込んできた。落ち着いてから見てみると、河川敷一面に植えられているようだ。あのあたりを散歩したら、さぞかし気持ちいいことだろう。
「あのさ」
「あの」
ほとんど同じタイミングで、私たちは声を上げた。
「……日和がどうぞ?」
「西井こそ、どうぞ」
「じゃあ、せーの、で」
私たちは息を吸い込んで、せーの、と言うと、
「「あの道を歩きたい」」
と声をハミングさせて希望を言った。
決まりですね、と不動産屋が笑う。
ふわりと風が舞い、桜吹雪が私たちにかかった。西井の髪についた花びらを手にした時、記憶の糸がするりと解けていく。
小学生の時、図書室で私を見つけてくれた西井にも、桜の花が、舞い落ちてきたっけ。
「桜の」
「え? 日和、何か言った?」
「いいえ、何も」
その先は大人が言うにはあまりにファンシーなので、私だけの秘密にしておこう。
桜の君 灰島懐音 @haijimakaine
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