梟の森
初音
梟の森
いつの間にか、真っ暗闇になっていた。
ハッハッと息を切らせながら無我夢中で走っているうちに、日は落ち、上下左右どこを見ても光の気配はなくなっている。
「参ったな…」
宗吉はポツリとつぶやいた。
主君として仕えていた旗本の甲田勘一郎と共に屋敷への帰路を歩いていた矢先、盗賊に襲われた。最近、この辺りで旗本を襲い刀をはじめとした金目の物を奪っていく盗賊が出るという噂はあった。
まさか、自分たちが、と勘一郎も宗吉も青ざめたが、勘一郎は宗吉が予想しなかった言葉を発した。
「宗吉!お前は逃げろ!」
「何をおっしゃいますか!旦那様を置いて逃げるなど!」
「こいつらの狙いは私だ!お前まで巻き添えになることはない!」
そのやり取りを見て、三人組の男たちはニタニタと気味の悪い笑みを浮かべた。
「泣かせるねえ。確かに狙いはお前だが、そっちの奉公人も俺らの顔を見てるんだ。生かしちゃおけねえ。二人まとめてあの世へ送ってやるよ」
まずは、と言うとあっという間に三人の男は勘一郎に斬りかかった。
「旦那様!」
ソウキチ、ニゲロ、と七文字だけ発して勘一郎は凶刃に倒れた。
宗吉はぐっと唾を飲んだ。迷っている時間はない。勘一郎をその場に残し、踵を返した。
「おい!てめえ、待ちやがれ!」
そう言われて待つ者などいない。
盗賊の怒声を背中に聞きながら、宗吉は全速力で走った。
そうして、森の中に逃げ込んだ。
追っ手は撒くことができたが、道に迷ってしまった。そのまま日が沈んでしまい、今に至る。
「どうしてこんなことに……」
思えば、宗吉はツキというものにはほとんど縁がなかった。
まず、貧乏御家人の五男坊に生まれたこと自体、運がなかった。
部屋住みなどと呼ばれ、長兄のお荷物としてひっそりと生きるか、良家の娘の婿養子になるかという二択のみが生きる道だった。
幸い、後者の道を取れることになった。
が、次兄の不祥事――とある武家の妻との不義密通――が明るみになったせいで、破談になった。
それどころか、長兄は宗吉を養うこともできなくなり、次第に部屋住みでいることさえ難しくなっていった。
そこで士農工商の士から商へ身を落とし、商家で奉公することになったが、部屋住み生活でまともに労働などしたことがなかったから、程なくして奉公生活に嫌気が差してしまった。いつ夜逃げしようか、だが上手く行くだろうか、と逡巡する日が続いた。
そんな宗吉の唯一の幸運は、勘一郎との出会いだった。
勘一郎は、先般病で弟を亡くしひどく落ち込んでいたらしい。宗吉を見るなり
「弟に似ている。お主、うちで勤めないか。私の話し相手をしてくれるだけでもよい」
と言って宗吉を連れ帰ったのだ。
貧乏御家人の五男坊にとっては、願ったり叶ったり。
両親も長兄も喜んで送り出してくれた。
勘一郎は、宗吉に目をかけてくれた。
それに応えるように宗吉は勘一郎を慕い、この人のためなら、命を捧げても惜しくはないと、心からそう思うまでになっていた。
だが、その勘一郎は命を落とし、自分は生き長らえている。
なんという不運。
追い腹を斬ろうにも、宗吉は刀を持っていなかった。
――どちらにせよ、ここでこのまま野垂れ死ぬのかもしれない。であれば、所詮それまでだ。
旦那様を置いて、自分だけ逃げ出したから、罰が当たったのかもしれない。
そんな考えが脳裏をよぎる。
だが、正反対の思いも首をもたげた。
――否。生きて、ここを出る。
そして、あの盗賊を探し出して、旦那様の仇を取る。
そうだ、それが私にできる旦那様への最後の恩返しだ。
そう思い直してはみたものの、今置かれている状況ではそれも果たしてどうだろう、と再びザワザワとした焦燥感に駆られる。
日が昇るまでなんとか凌ごうと宗吉は大木の側に座ったが、ひんやりとした夜風と、尻から染み込んでくる夜露が宗吉の体温を奪っていく。
これでは、朝になる前に凍えて死んでしまうのではないか?と漠然とした不安が宗吉を襲った。
その時、宗吉をさらに絶望の淵に追いやる出来事が起こった。
ホーッ、ホーッと鳥の鳴き声がする。
「
子供の頃、兄たちと遠出をした時に、ちょうどこんな鳴き声を聞いた。
「宗吉、梟の鳴き声を聞いたら、姿を見ないうちにその場を離れた方がいい。梟を見ると親を食われるという言い伝えがある」
そう、教えられた。
その記憶と、その鳴き声は、今森の中で一人でいる宗吉には恐怖心を増幅させる以外の何物でもなかった。
――嗚呼、本当にツイてない。
とにかく、この場を離れなければと思い立ち上がると、視線の先にはきらりと光る二つの点があった。
兄の話だと、梟は夜目が利き、暗闇の中でもその目玉はぼうっと光を放つのだという。
間違いなくこれは梟の目なんだ。見てしまった、もうおしまいだ、と宗吉はへなへなとその場に崩れ落ちた。
だが、死に際の勘一郎の声が頭の中で響いた。
宗吉、逃げろ。
その時、背後から再び梟の鳴き声がした。かなり近い。振り返ると、真後ろに一対の光があった。
「う、うわああ!」
驚いて立ち上がり、そのまま宗吉は一目散に走った。小枝やぬかるみに足を取られ、何度も転んだが、走り続けた。
すると、ホーッホーッという鳴き声が大きくなった。否、増えた。
見上げると、宗吉は数多の梟に囲まれていた。
真っ暗な森の中で、たくさんの目がきらりと光っている。
――もうここまでだ、私はここで食われて死ぬんだ。
「く、食いたいなら食え!だがな、私を食うというのなら、同じくあの盗賊どもを食ってやらねば許さぬぞ!私は仇を討たねば成仏できぬ!」
だが、梟たちはその場に留まったままだ。目玉の光がチラチラと揺れる。
その光景を見て、宗吉頭の中で何かがぷつりと切れたような感覚を覚え、ふっと息をついた。
「なんだか、星明かりみてえだなぁ」
恐怖心よりも、この暗闇に少しでも光が灯っているという安堵感を覚えていることに、宗吉は驚いた。
その時、梟たちはバサバサっと音を立てて飛び立った。
小さな光の粒がすーっと素早く移動していく。
宗吉は梟から逃げるのではなく、梟を追いかけるために、再び走り出した。
この暗闇の中での唯一の光に導かれるようにして、宗吉は走った。
やがて、宗吉は森を抜けた。
遠くに見える町の提灯明かりが、目に飛び込んでくる。
森の方を振り返ると、もう梟たちの目は見えなくなっていた。だが大きな鳴き声が聞こえたので、宗吉はふっと笑みを漏らし
「そうか、お前たち、助けてくれたのだな」
と独りごちた。
近くの民家で提灯を借りた。ここはどこかと聞いてみれば、森の入り口に程近い場所だった。知ってか知らずか、勘一郎の傍へと導いてくれた梟たちに再び胸中で礼を述べ、先ほど盗賊と出くわした場所へ戻る。
勘一郎は、まだそこにいた。
「旦那様、私は、旦那様と、あの梟たちのおかげで命を拾いました。これを無駄にせず、必ず仇を討ってみせます」
宗吉は変わり果てた姿で横たわる勘一郎をじっと見つめた。
頼んだぞ。
そんな勘一郎の声が聞こえた気がした。
それは、あの森の方角から、聞こえた気がした。
梟の森 初音 @hatsune
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます