静かな無人の公園


「あー、やっぱりガリガリさんは美味しいね! 人間はズルいよ。いつもこんな美味しいもの食べてるなんてさ」


 人気のない深夜の公園。おれたちはそこに移動していた。ビルの裏口で話すのは何となく場違いに思えたし、警備員が巡回でもしてたら面倒だからだ。


 3月とは言え屋外はやはり寒い。でもユキはその気温の中で、にこやかにブランコを漕いでいた。手にはさっき話に出たガリガリさんソーダ味。いやいや。それどう考えてもおかしいから。


 コンビニで買ったホットコーヒーを飲みながら、おれは美味しそうにガリガリさんをかじるユキを眺める。そのユキと目が合った。


「なに? もしかして一口食べたいの?」


「いや、それはない。ていうか、本当にそんなものでいいのか?」


 何か必要なものはないか、とおれが聞いた時。ユキが所望したのがこの「ガリガリさん」だったのだ。

 どうも身体の維持には氷が必要らしいのだが、今ユキが食べているのは氷ではなく氷菓。確かに氷には違いないのだが、本当にそんなので大丈夫なのだろうか。

 おれの心配を他所にユキは言う。


「1週間前にね。この街に来た時、偶然お金ってのを拾ってさ。で、コンビニってとこで見たガリガリさんと交換してみたの。そしたらとっても美味しかったんだ。それで、拾ったお金がなくなるまで食べちゃった」


 なるほど。それで、お金が尽きてさっきみたいに恐喝まがいの行動をしてたってことか。ガリガリさんの依存度すげぇな。今が夏ならわかるけど。


「なぁ。そのガリガリさんを食べてたら、しばらくは大丈夫なのか?」


「大丈夫って?」


「いやだから、融けたりしないのかってことだよ」


「そうだなぁ。もしかしたらちょっと、身体が甘くなってるかも知れないね。ねぇ、舐めてみる?」


 いたずらっぽく笑うユキ。舐められる訳がない。そんなことをしたら変態確定である。


「ま、とにかく。しばらくは大丈夫、だと思う」


「思うって、おいおい。結構アバウトじゃねーか」


「だって、この姿になるの初めてだもん。勝手があんまりわからないんだよ」


「ユキはその姿でここに何しに来たんだ?」


「うーんとね。説明するのはちょっと、難しい」


 にはは、と苦笑いをするユキ。そのままの表情で、ユキは続けた。


「人魚姫の話って知ってる?」


「人魚姫って、アンデルセンの方か? それともディスティニーのアニメ映画の方?」


「その辺は詳しくないけど、とにかく人魚姫。人魚姫はさ、海の魔女に頼み込んで、ヒレを脚に変えてもらうじゃん。それと一緒だよ。私は山の魔女に頼んで、姿を人間に変えてもらったの」


 人魚姫の話を思い出す。確か、海で暮らしていた人魚姫が、船に乗る王子様に一目惚れをする。そして海の魔女に頼み込んで、自身の声と引き換えに脚をもらう話だ。

 最後は悲しい終わり方。人魚姫は王子を愛するがゆえに人魚に戻ることを選ばず、最後は泡になって消えてしまう。子供の頃に読んだ、悲しいお伽話。


「そもそも私たち雪の精はね、雪を降らせるのが仕事なんだ。雪を降らせて大地を冷えさせて、やがてやってくる春の下準備をしてる。ほら、桜は冬がないと綺麗に咲かないって言うじゃん?」


「まぁ、聞いたことはあるな」


「他の姉妹たちは何も思ってなかったみたいだけど、私は自分がせっせと準備した春っていう季節を、体験してみたいなって思ったんだ。人間が、心待ちにしている春って季節をね」


「それで、山の魔女に頼んだのか?」


「正解。魔女に頼みに行ったんだ。春を体験させて下さい、お願いしますって。そしたらさ、割と簡単にOKしてくれたよ」


「何と引き換えに、その身体を貰ったんだ。人魚姫と同じっていうなら、何かと引き換えにその身体を貰ったんだろ?」


 人魚姫は自分の声と引き換えに脚を貰ったという。目の前のユキはおれと話しているから、声ではなさそうなのだが。


「……山の魔女は気前がいいからね。別に何もいらないってさ。ただ、来年はもっと働いてもらうよって。これを人間の世界では残業って言うのかな」


 ニヤリと笑うユキ。微妙に違う気がするが、おれは別のことを問うことにした。


「春が来たら、ユキはどうなるんだ。山に帰るのか?」


「そうだよ。私たちは春風が吹く前に、最後の北風に乗って山に帰る。そして次の冬が来るまで待つの」


「で、冬が来たらまたこの街に来るのか」


「そうだね。多分そう。だから、何も心配はないよ」


 その言葉はまるで。

 自分に言い聞かせているみたいだった。


「──さてと。もう夜も遅いし、キミは帰ったら? 私は大丈夫だけど、キミは人間だから風邪引くと思うけど」


「ユキはどうするんだ。明日からわりと暖かくなるって話だぞ」


「え、そうなの?」


「そろそろ桜が咲き始めるかも、って話だ」


「本当? 私、桜を見るためにここへ来たようなものなんだよ!」


 途端にユキの声色が明るくなる。もしも声に色があるとしたのなら。ユキのそれは間違いなく桜色だろう。春を思わせるその声で、ユキは続けた。


「私たち雪の精はさ、春が来る前に居なくなるじゃん? だから誰も、桜を見たことがないの。私はね、満開の桜を見た最初の雪の精になりたいんだ」


「なるほどな。ちなみにこの公園に桜は咲かないぞ」


「え、そうなの?」


「あぁ、桜の木がここにはないんだ」


「他に桜が咲くような場所、知ってる?」


「まぁ、おれは自他共に認める桜マニアだからな。この辺りの桜の名所はだいたい把握している。花が早く咲きそうなところもな」


「それは、是非とも案内してほしいな」


「まだ無理だ。昨日ざっと見廻ったが、まだどこも蕾だった。だから開花にはもう少し時間がかかるだろうな。で、どうする?」


 おれはユキに問う。これから、どうしたいのかを。


「桜の開花にはまだ時間がかかる。つまり、どこかを拠点にしてしばらく待機しなけりゃならないってことだ。あるのか、待機するような場所が。ちなみに飲食店街はもうダメだからな」


「ええと……」


「後先考えずに行動するからこういうことになるんだよ。言ったろ、明日から気温が高くなるって。夜はまだしも、日中にこんな公園に居たら、融けるかもしれねーぞ」


「と、融けないよ。簡単には」


「何℃まで大丈夫なんだよ」


「わかんないよ、そんなの。融けたことないし」


 首を傾げるユキ。ダメだ、話にならない。

 とりあえず、しばらくはおれが何とかするしかなさそうだ。全く、貧乏くじである。嫌なら無視すりゃいい話だが、誰かを見捨てるのは性格的に向いてない。


「まぁいい。そしたら行くぞ」


「行くって、どこに?」


「おれん家。一人暮らしだけど、わりと大きい冷凍庫があるからな。そこに入ってりゃ、しばらく大丈夫なんじゃねーのか」


「そんなの、入らなくても大丈夫だって」


「それならそれでいい。だだな、おれの冷凍庫はすごいぞ」


「何がすごいの?」


「ガリガリさんコーラ味が入ってる。グレープ味もライチ味も。今は手に入らない限定のヤツだ」


 ユキの目がキラキラ輝いていた。

 こいつ、やっぱり桜よりもガリガリさんのが良いんじゃねーか。花より団子ってヤツは、やっぱり一定数いるものだ。


 それじゃあ、行くか。そう誘うと、ユキはおれの後を付いてきた。女の子を部屋に誘うってのは初めてのことだが、状況が状況である。

 この先どうなることやら、とも思ったが。何かトラブルが起こった時は、その時考えればいいだろう。




(続く)



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