第16話 神よ、何を与えたもうか

 通りに面していた建物は何もかもがなくなっていた。馴染みの店も、友達の家も何もかもが。


(……皆、いなくなっちゃった)


 寂しさが胸の中で蹲る。喪失感で足が何度も止まりそうになりながらフェルミットは両親のいるはずの場所にたどり着く。


「あ……」


 目を瞠るその先には、横倒しになった建物ごと崩壊した小さな工房があった。

 入り口だけはまだ辛うじて残っていた。慌てて少年は駆け出してその中へと入っていく。


「お父さん! お母さん!」


 愛する家族の名を呼びながらフェルミットは瓦礫を這い上がって二人の姿を探す。薄暗く土埃が充満する中で何度も咳き込みながら。

 懸命に目を凝らして、瓦礫と瓦礫の間にフェルミットは何かを見つけ出す。それは父親の姿だった。

 隙間から頭と片腕がはみ出していた。額からは膨大な血が流れていて、明らかにもう手遅れだった。しかしそんなことは彼には分からなかった。


「お父さん!」


 泣き叫びながら彼は父の元へ駆け寄ろうとする。異音。天井が軋み、音を立てながら崩落する。


「うわぁあああっ!!」


 フェルミットの視界が一瞬真暗となり、全身に激痛が走る。何か重たいものがのしかかってきていた。


「い、いたっ……痛い……げほっ……」


 土埃を吸い込み、咳き込む。恐る恐る目を開けると目の前には未だに動かない父親がいた。何があったかは分からないが、父親には何もなかったとフェルミットは安堵した。

 何とか動こうともがくと、異変に気がつく。身体のあちこちの感触がなかった。何かと思って視線を動かす。視界に入るのは瓦礫に押し潰されて千切れた自身の左腕だった。


「え……?」


 認識した瞬間、脳が灼き切れるほどの激痛。


「あぁああああああああああああああああっ!!」


 絶叫が少年の喉から吐き出される。

 左腕だけでなく両太腿から先も感触がなかった。外気に触れる断面から体内を引き裂くような痛みが脳に叩き込まれ、全身から夥しい量の血が流れ出していた。


「かっ、はっ、はっ……!」


 少しでも痛覚を和らげようと無意識にフェルミットは細く小さな息をするだけとなる。身体を僅かに動かしただけでも意識が飛びかける。体内から何かが失われていき寒気さえ忍び寄ってきた。


(し、死ぬ……? 他の人みたいに死んじゃう……?)


 自分が死に近付いていることが幼い少年にも理解できた。今まで見てきた人や魔族の成れの果てのように自分自身も死んでしまう。そのことに全身が恐怖した。


(嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ死にたくない死にたくない死にたくない死にたくないお父さんお母さん助けて死にたくない痛い助けて痛いのは嫌だ死ぬのは嫌だ)


 もはや声さえも出せないまま恐怖に歯を打ち鳴らしながら少年はただひたすらに助けを求めた。自分をこの地獄から救ってくれる何者かを望んだ。

 だが誰も現れはしない。彼が頼るべき父と母は死んだ。隣人も友人も全て死んだ。死に沈んだ都市で生きているのは少年だけだ。そして、それももうすぐ終わる。


(嫌だ……誰か助けて……誰でもいいから助けて……)


 意識さえ薄らいでいく。暗くなっていく視界の中で何かが光った。

 何とか目を開いてそれを見る。小さな光は輝きを増して、人の形へと姿を変えた。

 純白の髪と白磁の肌。汚れ一つない白色の法衣。慈愛を湛えた青玉の双眸。その姿は神話に見る女神そのものだった。


『助かりたいですか、フェルミット』


 声がフェルミットの頭の中で響く。優しげな美しい声だった。


(……助けてください)

『ならば誓いなさい。創造神エオリエルの元に魔王を討つ、と』


 女神の言った神の名は広く信仰されている主神の名だった。言っていることの意味は何も分からなかった。ただ、誓えば助かるということだけが分かった。


(誓います……だから、助けて……)

『ならば我が手を取りなさい、フェルミット。そうすればあなたはエオリエルの加護を得ることができます』


 加護などフェルミットにはどうでも良かった。魔王を討つことだって。

 ただ彼は死にたくない恐怖心のために後光差す女神へと震える右手を伸ばす。

 光が徐々に強くなっていき、視界の全てを埋め尽くす。そして──



 フェルミットの意識は途絶えた。

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