第15話 フラーレ崩壊

「……え?」


 言っていることが分からずフェルミットは首を傾げる。彼女は何も変わらない微笑を湛えたままだった。

 彼女の両腕がフェルミットを包み込む。そして胸元にぎゅっと抱きしめた。柔らかな身体に抱きしめらどこかいい香りに包まれてフェルミットはまた赤くなる。

 だがそのこと以上に、言われたことが気がかりだった。


「エ、エル……?」

「さぁ、一緒に楽しみましょう?」


 エルネスティーネの右手が掲げられる──その瞬間、膨大な魔力が迸った。

 耳を聾する轟音にフェルミットは驚いて目を閉じる。石畳が地面ごと吹き飛び崩壊。衝撃波が走り人も魔族も薙ぎ払って圧壊させる。建造物が紙細工のように次々とひしゃげて吹き飛んでいく。無惨な破壊は街の全てに伝搬。ありとあらゆる物を破壊し尽くした。


 ほんの一瞬の出来事だった。一秒にも満たない間に、フラーレの全てが崩壊した。

 大勢いた通行人や人々はその全てが飛散する瓦礫と衝撃によって肉塊へと変貌し、露店も建造物もまともな構造物は何一つとして残っていない。

 目を開いてフェルミットは辺りを見渡す。周囲は粉塵だらけで何も見えない。何が起こったのか、分からなかった。


「え……?」


 静寂。土埃が晴れて見えたのは完全なる廃墟と化した街並み。故郷がなくなった。そのことをまだ少年は理解できなかった。

 不安げに見開かれた彼の双眸がエルネスティーネを見上げる。彼女は薄らと笑みを浮かべるだけだった。


「ああ、残念ですわね。今の力ではたったこれっぽっちだなんて。もっと綺麗な景色をフェルさんに見せて差し上げたかったのに」

「な、何をしたの……?」

「ちょっとしたお掃除を。本来なら家来のお仕事ですが、今はいませんから仕方がありませんわね?」


 未だに理解が追いつかない幼い少年はしかし、何か取り返しのつかないことをエルネスティーネがやった、ということだけを理解した。その瞬間、彼の胸中に義憤にも似た怒りが噴出した。


「な、なんでこんなことを!」


 エルネスティーネの両腕を振り払ってフェルミットが向き直り怒りを露わにする。


「酷いよエル! こんなことするなんて!」

「あら、酷いですか? 私、こういうこととっても大好きなんです」

「大好きって、どうして!!」


 故郷を壊された怒りを怒号にしてぶつける。細かいことは分からないが、それでも彼女がしたことは酷いことで、こんなことをするなんて信じられなかった。


「だって楽しいんですもの。弱い生き物たちがなす術もなく殺されていく様を眺めるのは」


 酷薄な笑みが浮かぶ。その微笑を直視したフェルミットの脚が震えだす。ちっぽけな義憤は瞬く間に吹き消されて恐怖が全身に纏わりついた。


「ひっ……!」

「私が怖いんですか? 友達になると仰ってくださったのに、残念ですわね……」


 悲しげな表情となるエルネスティーネだったが、もはや同情するような余裕がフェルミットには残っていなかった。ただ一刻も早くこの場を逃げ出したいのに足が動かない。

 恐れる彼を見て、エルネスティーネが小さく笑う。


「ご安心なさって。先ほど申し上げたとおり、あなただけは助けてあげますわ。小さな騎士様」


 女が一歩を踏み出す。その瞬間、増大した恐怖心がフェルミットの身体を突き動かした。


「ひっ……うわぁあああああああっ!!」


 叫び声をあげながら脱兎の如くフェルミットは駆け出す。後ろを振り返ることもせず、無数に転がる死体を一瞥することもなく、完全に崩壊した大通りをただひたすらに走る。

 走って走って、足が痛くなっても走り続けた。倒壊した建造物を避けて小道に入り瓦礫をよじ登って降りて、また走る。

 それから、心臓が飛び出しそうなほど脈打つ苦痛に耐えかねて彼は立ち止まる。


「はぁ……はぁ……」


 息を整えながら漫然と視線を動かす。視界に入るのは山積した瓦礫と元が何であったかさえ分からない肉塊の群れ。


「うっ……!」


 それを見てしまったフェルミットが膝から崩れ落ちて、胃からこみ上げてきたものを足元に吐き出す。何度も嘔吐を繰り返して吐くものが胃液だけとなった後も止まらなかった。


(なんで、どうして……)


 嘔吐が収まったら、今度は涙が溢れ出す。その場に尻餅をついて大声で泣き始める。幼い少年に起こった事はあまりにも衝撃的すぎた。

 泣き喚こうが叫ぼうが誰も助けには来ない。街からは一切の生き物の気配がなくなってしまっていた。


「うぐっ……ひっく……」


 涙も枯れ始めた頃、フェルミットは大切なことを思い出した。


(そうだ、お父さんとお母さん……)


 袖で涙と口元を拭い去ってから周囲を見渡す。建物の残骸の中に見慣れた看板を見つけた。


(これ、おばちゃんのパン屋さんだ……)


 親とよく行くパン屋の看板だった。店があったはずの場所は瓦礫に押し潰されていた。また涙がこみ上げてきたがフェルミットはそれを堪えて道を歩き始める。幸いにも、ここからなら両親のいる場所が分かった。

 辛うじて残っていた勇気と気力を振り絞って、少年は歩き出す。愛する家族を探すために。

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