第14話 幼き少年の記憶

 幼いフェルミットはその日、両親の職場まで一人で向かっている最中だった。

 学校が終わった後、早く仕事が終わるという二人と合流して外で食事を取る予定。しかし、その日の街は非常に混雑していて大通りは人混みでごった返していた。

 あれよあれよという間にフェルミットは人に流されて見当違いの方向に進んでいってしまう。


(うわぁ、困ったな……)


 鞄を抱えた状態で人混みに紛れながら彼は途方に暮れていた。

 散々にもみくちゃにされてから人の河から放り出されて、気がついたら見慣れないところまで追いやられていた。

 フェルミットの真正面には巨大な壁。フラーレの出入り口であり、人間界と魔界を繋ぐ境界面である国境の壁だ。開かれた巨大な門を多種多様な人間と魔族が行き交っている。


(間近で見るとこんなに大きかったのかぁ)


 地元民はわざわざ見に行ったりしないため、近くで見るのはフェルミットも初めてだった。そこで彼はふと気がつく。


(……ってことはここってフラーレの端っこじゃん)


 彼の両親の職場は街の中心地付近にある。つまり、殆ど真逆に来てしまっていた。


「やばい、急がないと!」


 駆け出そうとしたフェルミットだったがそこに人間と魔族の合体河川が立ちはだかる。もたもたしていると時間に遅れてしまう、とフェルミットは焦っていた。

 隙間はないかときょろきょろしていると、街の案内板の前に困った顔で立つ女性を見かけた。


 緩く巻いた、日の光を受けて煌めく金紅石ルチルの山吹色の髪。同色の優しげな瞳。傷一つない白皙の肌に、花のような笑みの似合いそうな可憐を体現したような相貌。小さな挙措の一つにさえ優雅さがあり、高い身分を窺わせる。小柄な身を包む純白の質素なワンピースさえ華美でなくともその美しさを際立たせていた。


(めちゃくちゃ綺麗な人だな……)


 幼いながらもフェルミットにもその女性が綺麗だと思えた。そして何か手伝いを必要としているようにも。

 助けてあげよう。そう考えてフェルミットは女性に近づいた。気がついた彼女は幼い少年に小さな笑みを向けた。


「あら、可愛らしい子ですわね」


 女性が微笑みながら少年の頭に手を乗せて優しく撫でる。柔らかな手の感触にくすぐったそうに少年が顔を綻ばせる。


「えっと、何か困ってるの?」

「街の中心に行きたいのですけれど、道がよく分からなくて」


 運良く女性が行きたがっている方角はフェルミットの目的地と同じだった。これなら案内をしたところで余計な時間はかからない。


「俺も行くところだから案内してあげるよ!」

「本当ですか? 助かりますわ。エスコートしてくださいな、小さな騎士様?」


 彼女はそう言うとフェルミットに手を差し出した。まるで王妃が騎士にするように。


「あ、う、うん!」


 とても気恥ずかしい気持ちになったが、フェルミットはその手をしっかりと握った。頼られている気がして悪くない気分だった。

 そうして二人は歩き出す。小道や裏通りといった地元民ならではの道を使う──ことはできなかった。何せフェルミットもあまり来たことのない場所だ。


 それでも彼は頑張って人混みを避けて彼女の手を引いていく。その健気な姿に彼女──エルネスティーネも微笑ましげにしていた。

 道中、少年は彼女が退屈しないように色々な話をしてみた。家族のことやこの街のことや自分のことを。その一つ一つに彼女は驚き、喜び、楽しそうに話を聞いていた。

 また話すのはフェルミットばかりではなかった。


「私、ちょっとの間遠くに行っていたせいで友達が皆いなくなってしまったんです」

「そうなの?」

「ええ。戻ってきたときには一人きりでしたわ……」


 エルネスティーネの双眸が悲しげに伏せられ、それを見たフェルミットも悲しくなった。幼い子供にとって最も重要なのは家族と友人だ。それがいないことはとても辛いことだと彼には思えた。

 どうしても何とかしたくなった。少しだけ考えてフェルミットは案を思いついた。


「じゃあ、俺が友達になってあげるよ!」

「あなたが、ですか?」

「うん!」


 フェルミットはそれはそれは良案を見出したという自信に満ち溢れた顔をしていた。思わずエルネスティーネは笑みが溢れてしまう。


「ふふ、お優しいですのね。お気持ちはありがたく頂きますわ」

「……?」


 その難しい言い回しが子供のフェルミットにはまだ分からなかった。だが、彼女が微笑んだので上手くいったのだと思った。

 その後、エルネスティーネから色々な話を聞いた。故郷がどんな場所で昔の友達がどんな風だったか。


「こう見えて私は魔族ですから、フェルさんよりも強いんですよ?」

「えー、嘘だー! エルより俺の方が強いよー」


 彼女の手を引いて歩くうちに、フェルミットはすっかりちょっとした騎士の気分になっていた。

 人波をかき分け、負担にならない道を探して。見慣れたあたりまで出てからは小道などを駆使して進む。

 そして二人は目的の場所にたどり着いた。幼い少年にとってはちょっとした冒険だったが、時間にすればそう大したものではなかった。


「ここがフラーレの真ん中だよ! この噴水が目印なんだ」


 フェルミットがエルネスティーネを連れて噴水の前に立つ。滑らかな石膏製の噴水には《創造神エオリエル》の石像。それをエルネスティーネの指が指し示す。


「これは一体何ですか?」

「これは《創造神エオリエル》様の石像だよ。この世界を作ったえらーい神様なんだって」

「ふぅん。そうなんですか……」


 石像を眺める彼女の双眸は何か不思議な輝きを持っていた。綺麗な横顔だというのにそれを見たフェルミットの背筋に冷たいものが走った。


(……な、なんだろう)


 その正体不明の感覚が恐怖によるものだと、彼はまだ理解できなかった。

 動けない彼に気がついたエルネスティーネがそれまでと同じように小さな微笑みを向ける。


「ここまで案内してくださってありがとうございます。あなたとお話しできてとても楽しかったですわ」

「あ、うん、俺も楽しかったよ!」


 エルネスティーネに変わりはなかった。だからきっとさっきのは気のせいだとフェルミットは思うことにした。

 ぱん、と彼女が両手を合わせる。


「そうだ、お礼をしないといけませんわね」

「え、いいよそんなの!」

「遠慮なさらないで。今はこれぐらいしかできませんが」


 そう言ってフェルミットの前に屈むと、エルネスティーネの桜色の唇が彼の額に押し当てられた。


「わっ」

「ふふ。大きくなって本物の騎士になったら、ここにしてあげますからね?」


 彼女の指先がフェルミットの唇に触れて、悪戯めいた笑顔が向けられる。フェルミットは顔中が熱くなってしまった。


「お、俺、もう行かなきゃ……」

「それともう一つ」


 フェルミットの言葉をエルネスティーネが遮る。




「あなただけは、生かしておいてあげますからね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る