第4話 神の御使
斥候部隊が敵部隊を発見した場所へとフェルミットは急行した。無数の魔法の閃光が廃墟と化した街中で煌めき、立ち昇る爆煙が上空からでもはっきりと見えていた。
背から伸びる極光の翼──高濃度の
その場はすでに雷撃と火炎、爆発と氷槍が入り乱れる破壊の坩堝と化していた。
着地した直後のフェルミットに弓矢と魔法の驟雨が降り注ぐ。その全てを回避し防御しつつ全体を見渡す。
双方の軍は互いに廃墟や瓦礫を即席の陣地として魔法攻撃の部隊を展開。魔法の射撃の中を、魔族と人間の前衛同士がぶつかり合っていた。
彼我の距離が近い。恐らくはどちらも相手に気づかないまま接敵したのだろう。陣形が整っていない混迷とした状況だったが、斥候部隊故に人員の少ない人間側が数の上では不利だった。
とはいえ、魔族側も多いわけではない。殲滅も撤退も容易に選べる戦況だった。ならば。
光の翼が空気を叩き、フェルミットは急上昇。白銀の直剣を握りしめて剣身に
一閃。直剣から放たれた
崩壊と破壊による暴風が戦場で吹き荒れる。魔族も人間も揃ってその暴威に足を止めて耐えていた。
やがて連鎖的な破壊が収まり静寂が訪れる。戦場はたった一度の斬撃で変貌していた。
何が起こったのかと、誰かが空に目を向ける。それに倣って次々と魔族も人間も頭上に輝く光を見上げた。
眩い光輝を背負い白銀の剣を携える──圧倒的な力で戦場を一変させる神々しき死の天使の如き威容がそこにはあった。
「あ、あれは……『勇者』フェルミットっ!!」
怯懦と畏怖の入り混じった叫び声が静寂を突き破る。果たしてそれを発したのは魔族だったのか、人間だったのか。
「指揮官、陣形を立て直せ!!」
眼下に広がる人間側の部隊に向かって、フェルミットは大声で呼びかける。答えたのは最後方に立つ正騎士の男。恐怖で固まっていた指揮官は何とか言葉を絞り出す。
「だ、誰が貴様の指図なぞ受けるものか!!」
「なら好きにやってくれ」
フェルミットは二度は要請せずに魔族たちへと向き直った。
自分の仕事は彼らを生き残らせて敵を殲滅することだ。やり方は指揮官に任せよう。
再びフェルミットが剣を構えると、魔族たちは揃って身を竦ませた。戦場に立つ魔族たちにとって、『勇者』との遭遇は絶対的な死を意味する。具現化した死の象徴を前にして正気でいられる魔族は少数だった。
「う、うわぁあああああっ!!」
半狂乱と化した
無手の左手が槍の柄を無造作に掴んで止める。片手の握力が魔族の全力を容易く押しとどめていた。
「あっ……えっ……」
現実離れした光景に悪魔族が呆気にとられる。フェルミットの右脚が軽く胴体を蹴りつける。脚がめり込んで
血肉を撒き散らしながら
「ひぁあああああああっ!!」「逃げろ、皆逃げろ!!」「殺される殺される殺される!!」「陣形を乱すな!!」「落ち着け!!」「化け物、化け物だぁっ!!」「隊長、撤退命令を!!」「各員は魔法で射撃しつつ後退を援護しろ!!」「嫌だ死にたくねえ!!」
一度広がった恐怖は瞬時に魔族全員へと伝播。怯えに支配された魔族たちが我先にと逃げ出し始める。何体かは何とか自身を奮い立たせて戦線の崩壊を食い止めようとしていたが、絶叫の中に埋もれてしまう。
踏みとどまった彼らが味方の逃走を援護するために魔法をフェルミットへと撃ち出す。散発的に火炎や雷槍や電撃が飛来。
フェルミットの翼が身体を覆うように前方へと折れ曲がり、開く勢いで突風を巻き起こす。魔族の放った魔法が風に煽られて吹き消されていった。
「怯むな、奴の動きを止め」
味方を激励しようとした
魔族たちの元に人間側の部隊が雪崩れ込んできていた。前線に留まっていた魔法攻撃の部隊に前衛が斬り込んでいき、一体ずつ打ち倒していく。
「一体たりとも逃すな、殲滅するぞ!!」
指揮官の男の檄に部下たちが声を揃えて応える。陣形が千々に乱れた魔族を次々に人間たちが追い立てていく。
それでも撤退は少しずつ進んでいた。後方に逃れた
巨体に影がかかる。頭上を見上げると傾く尖塔が日を遮っていた。巨大な尖塔はそのまま急降下していき、轟音と共に巨人族を押しつぶした。
逃げ惑っていた魔族たちが足を止める。崩れ落ちた尖塔が瓦礫となって逃走経路を塞いでいた。巻き上がった土埃の中、山積する瓦礫の頂上に人影が降り立つ。
「悪いが、終わりだ」
『勇者』が魔族へと宣告する。滅びの預言を告げる冷酷さでもって。
彼らに、逃げる術はなかった。
§§§§
「……何だ、これは」
遅れて基地からやってきた援軍部隊の隊長は廃墟に広がる光景に息を飲んだ。
耳が痛いほどの静寂。鼻を劈く血の香り。鏖殺された魔族の死体が散乱する屍山血河を、夕暮れの朱い光が照らし出す。長く伸びた影がまるで墓標のように浮かび上がっていた。
墓標の群れの先、瓦礫の上にただ一人立つ者がいた。
紫の返り血と砂塵で薄汚れた全身には、しかし自身の血の赤色は一滴もない。純白に煌々と輝く双翼が優しげな朱色の光さえ拒絶する。燻んだ栗色の瞳には何の感情も映されていない。
眼下に広がる無数の死を気にも留めず、焼ける空を仰ぐその姿は神話の一節と見紛うほどの恐ろしさがあった。
ただ全てを滅ぼす殺戮の天使。畏怖を焼き付ける超常の存在。それを、誰が人間と呼べるのか。
「……化け物」
隊の誰かが呟いた。それを咎める者など誰もいなかった。
──これが、フェルミット・ベイルの戦場の全てだった。
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