第32話【エピローグ】

 大会翌日。


「お疲れーっす」


 俺が学校の、指定された会議室に入ると、


「ぬおっ! お主のその剣筋、腕を上げおったな!」

「くっ! そういう貴殿の拳も、キレが増しているでござる!」

「……」


 哲司の剣士と幸之助の魔王が、テレビ画面の中で死闘を繰り広げていた。案の定、蓮は既に蚊帳の外である。大会が終わったというのに、なんにも変わっていないな、こいつらは。


「おはよ、蓮」

「ああ、おはよう、啓介くん」

「昨日はお疲れ、だな」

「そうだね。これで夏休みももうすぐお終いか」


 呟く蓮に、『不吉なことを言うな』とツッコミを入れておく。宿題がまだ終わってねえんだよ、俺は。

 それなのに、登校してこんなふうに集まってしまうあたり、俺たちは連帯感が強いのだろうか。いや、ただ皆で現実逃避しているだけか。


「おはようございます」

「おう、おはよう奈央」


 片手を挙げてみせる俺に、ぺこりと会釈する奈央。しかしすぐに、肩を竦めた。ゲームに熱中する中二病二人を見て、呆れかえっているのだろう。

 それからさして間を置かずして、陽気な鼻歌が廊下から聞こえてきた。


「おっはよーございまーす!」


 凛子が入ってくる。体操選手のように、片手をぴょこん、と挙げながら。

 それに応じようとした次の瞬間、


「うおおおおおおお!!」


 という雄叫びが響き渡った。どうやらゲームが白熱し、サドンデスモードに入ったらしい。

 こうなったら、もはや哲司と幸之助の邪魔立てをすることは不可能だ。ようやく面子が揃ったというのに。俺はあからさまにため息をついた。


「先輩たち、元気ですね~」


 と、凛子。


「あいつら二人だけだろうが」

「そうですか? 蓮先輩も啓介先輩も、清々しい様子に見えますよ?」


 ふむ。言われてみればそうかもしれない。


「ぐわあああああああ!!」


 再び雄叫び。お、今日はどうやら哲司が勝ったらしいな。すると、ちょうどタイミングを見計らったかのように、大石先生が会議室に飛び込んできた。挨拶もそこそこに、『皆、揃ってるわね!』と確認。


「それじゃあ、反省会を始めましょうか!」


 その言葉に、俺はお袋から預かってきたデジカメを取り出した。

 互いの健闘をたたえ合う哲司と幸之助を無視して、ゲーム機の電源を切り、デジカメを接続する。


「哲司も先輩も、ちょっとは落ち着いてください! 席に着いて!」


 二人をテレビの正面から追い払い、再生ボタンを押した。音量を調整し、俺も蓮の隣に腰かける。


《プログラム十五番、県立光方高等学校合唱部》


 その音声に、全員に緊張が走った。哲司も幸之助も姿勢を正し、着席する。

 演奏時間は、約七分半。その間声を上げていたのは、外で鳴いている蝉たちくらいのものだった。

 自分たちがステージをあとにしたのを見計らい、俺はデジカメの停止ボタンを押した。


 幸之助が、すぐに声を上げた。


「うむ。これならば確かに結果には納得できよう。銀賞とはな」


 敢えて軽い口調で言ったのだろうが、逆にそれが、俺たちの胸に突き刺さった。まるで氷柱で心臓を突かれたかのようだ。

 地方大会に進むには、金賞受賞枠に入ることが必須。つまり、俺たちの今年度大会は、ここで終わった。

 会議室だけが、物理的に隔離されたかのような沈黙が下りる。そう。終わりなのだ。


 ゴン! という強烈な音が響いた。


「な、何だ!?」


 皆が振り返ると、会議室の座席中央で奈央が突っ伏していた。そうか、今のは奈央が、額を机に打ちつけた音だったのか。って、大丈夫か?


 俺は声をかけるべく近づこうとした。しかし、その足は強制的に押し留められる。奈央の喉から響いてきた、か細い嗚咽によって。

 咄嗟に哲司に振り返る。こんな時こそ、気配りのできる奴が必要だ。しかし、哲司もまた、奈央へ近づくのを躊躇っている様子。それほど奈央は小さく、か弱い存在に見えた。


「奈央ちゃん……」


 そう声をかけたのは、凛子だった。ああ、こいつは一学期から夏休みまで、ずっと奈央の付き添いで練習していたんだものな。俺たちに言えないことを言えるかもしれない。


「来年があるよ! 今から練習して、部員も集めて、もっと一生懸命練習すれば――」

「このメンバーではもう歌えないじゃない!!」


 奈央のくぐもった声は、しかしはっきりと形を得て俺たちの心を打った。

 皆の視線が、すっと幸之助に集まる。今この時ばかりは、幸之助もいつもの彼ではなかった。来年、彼はこの学校にはいない。


「あ、う……」


 奈央に押され、凛子までもが声を失う。その時だった。


「推薦状、書いてもらえるように校長先生に直談判するわ」


 飽くまで落ち着いた調子で、その音は響いた。大石先生の言葉だ。しかし、それが何を意味するのか、俺たちは判じかねる。どういう意味だ?


 そんな雰囲気を巧みに察したように、先生は言葉を続けた。


「幸之助くん、あなた、学年トップクラスの成績だったわよね」

「え? あ、まあ……」


 突然のことに、幸之助は後頭部に手を遣る。まったく魔王らしからぬ挙動だ。


「合宿でお世話になった青木先生ね、実は音楽だけじゃなくて、言語発声学の研究者でもあるの。東京の総合大学に勤務していらっしゃるわ。幸之助くん、もしよかったら、そこを狙ってみない?」

「ちょ、先生、それはどういう……?」


 なかなか話が見えてこない。俺の『?』だらけの問いかけに、先生はこう言った。


「青木先生、あなたたちのことをとっても気に入ってくれたのよ。冗談抜きでね。是非これからも指導にあたりたい、って。だから、幸之助くんが青木先生の下で研究をしてくれれば、卒業後もアドバイザーとしてやって来て、この部の発展に貢献できる。そう考えたのよ。どうかしら?」


 しかし、幸之助には幸之助なりの未来像というものがあるだろう。いくらなんでも、高校時代の一ページのために、残りの人生を懸けるというのは無理があるのでは?

 が、幸之助の判断は一瞬だった。


「それいいですね、先生」

「!?」


 硬直していた室内の空気が、驚嘆の念によって振動する。奈央までが顔を上げるくらいの振動だ。いつもの魔王キャラを捨て去った幸之助は、魔王以上に不敵な笑みを浮かべていた。


「言語発声学は、ストレスケアや認知脳科学にも応用が期待できる分野ですよね? ゲームと歌にしか関心のない俺には、ちょうどいいです」


『むしろ面白そうだ』――そう言って、幸之助はばさりとマントを翻し、腕を組んで高笑いを始めた。あ、いつもの幸之助だ。


「じゃ、じゃあ……」


 涙でぐしゃぐしゃになった顔で、視線を幸之助に向ける奈央。


「そうとも奈央、我が臣下にして愛すべき後輩よ! 我輩の心は、諸君らと常に共にある! 何も心配することはない!」


 あ、『愛すべき』って、すげえ表現使ったな、おい。


「わ、私も!」


 ガタン、と椅子を倒しながら、勢いよく奈央は立ち上がる。っておい、まさか。


「私も幸之助先輩と同じ大学を目指します! 待っててください!」


 お前は凛子か!? いつの間にそんな惚れっぽくなったんだ!?


「決まりね! さあ、今日は歌うわよ!」


 これを機に図に乗ったのは、案の定大石先生である。これはもう、どうしようもない。


「また先生も奢りでござるか?」

「もちろんよ、哲司くん!」

「あ、じゃあカラオケの後はジャンボパフェを皆で……」

「蓮くん、いいわね!」

「おお! いつぞやのパフェか! いいものだな!」

「あ、皆さん待ってください!」


 などなど皆がはしゃいでいる間に、俺と凛子が会議室に取り残された。


「俺たちも今日は付き合うか。なあ、凛子?」


 しかし、凛子は動かない。俯いているので表情を窺うことも困難だ。

 と思ったら、いきなり顔を上げて、俺に悪戯っぽい笑顔を向けてきた。ずいっと一歩、俺に向かって踏み込んでくる。


「な、なな、何だよ?」

「あ! 後ずさりするなんて、先輩ひどぉーい!」

「え?」


 いや、突然迫られたら引くだろ、普通。そう言ってやろうと思ったが、もしかしたら凛子を傷つけるかもしれないので止めておく。

 すると、凛子の笑顔は無表情になり、だんだんと影が濃くなっていった。


「えっと、今回は金賞取れなかったから、その、先輩に抱きしめてもらえないなあと思って」

「ぐぼっ!?」


 今その話をするのかよ。と思った矢先、凛子はぽつりぽつりと語り始めた。


「あたし、啓介先輩が誰よりも頑張っていたのを知ってます」

「あ、ああ」


 確かに頑張りはした。他の皆がどうかは分からないが。


「それで、合宿の時に『Let It Be』の弾き語りをしたじゃないですか。あたしの拙い演奏を、心から聞いてくださっている先輩を見て、逆にこっちが励まされたみたいです」

「そう、なのか」


 こくん、と頷く凛子。


「昨日までに体調がよくなったのも、先輩のお陰なんですよ?」

「まあ、あれだけ薬やらネギやら持って行ったからな」

「違います」


 真顔で否定された。


「あたし、先輩のことが好きだから、また歌えるようになったんです。人間って、人間の心って、そういう風にできてるんだなって思いました」


『そういう風』って一体どういう風だよ。


「あの時は、背中に抱き着いたりしてすみませんでした。暑かったんじゃないですか?」

「え、あ、あー……まあな……」


 すると凛子はぶるぶるとかぶりを振って、


「人の距離感って、音楽と一緒だと思うんです。脱力して自然体でないと、本当の気持ちに自分で気づくこともできない。だから、今は抱き締めてくれなくてもいいです」


 正直、ほっとした。俺は凛子を、異性として好きだと思っている。だが、だからといって突然ハグするのは如何なものかと思っていたのだ。


「だから、今はこれで」

「ん!?」


 もう一歩、凛子が踏み込んでくる。瞳が閉じられ、ふっと甘い香りが漂う。そのまま唇が触れそうになって、俺も思わず目を閉じた。

 ……あれ?


「あー、ドキドキしたぁ」

「凛子、今のは何だ?」


 放心状態のまま尋ねると、


「キスの練習です」


 と返された。


「驚かすなよ!!」

「まあまあ、あたしのファーストキスになる予定ですから、我慢してください」

「何をだよ!!」

「さ、カラオケに行きますよ、先輩!」


 そう言って、凛子は俺の手を取った。その手の温もりが、俺と彼女の関係を一段階進めたことに、凛子は気づいているのだろうか?

 

 次回県大会まで、あと一年。俺たちの青春は続く。


THE END

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

サウンド・オブ・ハイスクール! 岩井喬 @i1g37310

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ