新しい二人
ドアベルが鳴る。
マルコはカレンダーを見、時計を見、椅子から腰を浮かせた。ドアベルがもう一度鳴って舌打ちする。相変わらず気が短い。
玄関まで歩いていって扉を開けてやると、女が一人立っている。サイズの合っていない巨大なコート、同じく巨大なマフラー、元々の仕立てはいいものの長年履き続けているためにボロボロのブーツ。背丈は男の視線よりもわずかに低く、冬だからか、頬のそばかすはずいぶん薄く見えた。
「入っていい?」一言目にそう尋ね、女は眉根を寄せた。「こんなに寒いなんて思ってなかった。雨は降るし。最悪」
マルコは憚らずため息をつき、女を睨めつけた。相変わらず気が短く、相変わらず文句が多い。口を開けばいつもこうだ、このヒス女。
「妹と二人暮らしなんてする気はないんだけど」
「入っていいかって聞いてるの」
女もまた、不機嫌を隠すことはしなかった。何も変わってはいない。これでは気遣ってやる気も失せる。
「……どうぞ」
半身を引くと、女はドアの間をすり抜けて部屋へと入り、「汚い、狭い、タバコ臭い」とまた文句を言った。
「知るかよ。文句があるなら他所に行けばいいだろ」
「よく言うよね、人を買うような真似しておいて」
こいつには言うなって念を押したのに、結局喋ったのかよ。口の中で舌打ちをして眉根を寄せる。尤も、その約束をした相手の口の軽さは重々承知していたので、大した狼狽も無い。
「別に。恩に着ろなんて言ってないだろ」
言い返すが、女はそれに返事をしない。コートを脱ぎ、カバンを降ろし、ストーブの側に寄って机の上のパソコンを覗き込んだ。モニタにはメールボックスと銀行口座の残高、それから何かのリスト――顧客名簿に見える――が並んでいる。
「何してるのこれ」
「触るなよ」
「触らないけど」
女は両手を胸の前に引っ込めた姿勢のまま、腰をかがめてモニタを覗き込む。そうしてりゃ可愛いのになとは、もちろん口にしない。触るなと言ったものに触らないことは、彼女の数少ない美点のひとつだ。それでも「三歳児に比べれば人間ができている」という程度の話でしかないが。
「夕飯、冷凍食品しか無いけどいい?」
「自炊してないの?」
「日曜はマーケットが休みなんだ」
電子レンジで温めた冷凍ピラフ、お湯で溶かした即席スープ。二人分の食器はないので使い捨てのスプーンと紙皿、紙コップだ。近いうちに用意した方がいいだろうか、いやそれくらい自分で買ってこさせればいいかとマルコが思案していると、女が「元気そうじゃん」と小さな声で言った。マルコは顔を上げるが、女はマルコを見ていない。
「がっかりした?」
「別に」
女はそこで言葉を切り、また黙々とピラフを口に運ぶ。元々そんなに口が上手い方ではない上、素直でもない。何か言いたそうなのは見ればわかるが、変に急かして喧嘩したくもなかった。
「……心配してたよ。元気にやってるか、寂しがってないかって」
「誰が?」
つい聞き返してからしまったと思った。案の定、女は顔を真っ赤にして立ち上がってしまった。
「なんで私があんたの心配なんかしなきゃならないの! アーロンに決まってるでしょ?!」
「急に大声出すなよ……別に、モーガンとかエリックとか他にもいるじゃん」
マルコが言い返すと、女は目を丸くした。どうやら本気で忘れていたらしい。空気が抜けたように再び椅子に座って、紙コップからスープを飲む。
「忘れてた。そういえば挨拶もしないで出てきちゃった」
「あーあ可哀想。今ごろ寂しがって泣いてんじゃない」
「やだキモい」
女がくつくつと喉を鳴らして笑う。エリックとモーガンは二人の共通の知り合いだ。エリックはクソ真面目な冗談の伝わらない男で、モーガンはその真逆の軽薄な男。自称商売人だが、性格としては詐欺師に近い。
「あいつの
「直す気ないんだと思う。わざとでしょってくらい下手だもん」
共通の知人の話になってようやく、女の表情が緩んだ。安心したような腹立たしいような気分を、マルコはピラフと一緒に飲み込む。何を話そうかここ数日考え込んでたくせに、結局はこんな話か。
ベッドに入るなり、女は「狭い」と文句を言った。それはそうだ、マルコの部屋にはシングルのベッドが一台しかない。お互い小柄だからどうにか二人収まるものの、満足に寝返りを打てるような状態ではなかった。
「床で寝れば?」
「嫌に決まってるでしょ何度だと思ってるの」
女はぶつくさ文句を言うが、実際のところ、マルコはそんなに悪い気もしていなかった。懐かしいと思った。他人が隣りにいるのは久し振りだったし、そういえば一人で暮らし始めた当初はこのベッドを広すぎて寂しいとすら感じていたのだった。わざとブランケットやコートを散らかして狭くしていたことすらあったのだ。もちろん、そんな話はわざわざしないが。
「ねえ」
女の声は既に眠気が勝っている。元々時差ボケもあったのだろう。
「何」
「名前、なんていうの」
「マルコ。そっちは」
「ネバ」
「そう。おやすみネバ」
「おやすみ、マルコ」
何分も経たないうちに寝息を立て始めたネバの頬を、青白い月光が照らす。
――「妹と同居する気はない」って言った意味わかってんのかなこいつ。
安らかなネバの寝顔を眺めながら、マルコはひとり自嘲の笑みをこぼした。
Never. 豆崎豆太 @qwerty_misp
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