ヴラド・ブラッド

矢宮 暉

第1話 アルネ・ガルディン


 かつて、世界をたった一人で支配した男がいた。

 『血統王』ヴラド・ツェペシュ一世。

 超常たる力を持つ兵器をいくつも作り出し、そして国々を片端から滅ぼして回った。その数は幾百、幾千にも上り、世界は瞬く間に崩壊の危機へと陥った。

 残された国々は争いの手を止め、拳を解いて和解するとヴラドの技術を模倣した新兵器、『騎構鎧装ナイト・メイル』を生み出し少しずつにだが巻き返していった。

 一人と数億の戦争は百年もの間続き、やがてヴラドの寿命と共に、後に『百年戦争』と呼ばれる戦争は幕を引く。

 そして新たに始まったのはその遺産、『血統王の遺産ヴラド・ブラッド』を巡る諸国間の小競り合いだった。民を、国を、世界を守るために作り出された騎構鎧装は次第に陣取り合戦の駒となり、気がつけば世界は百年戦争をしていた頃よりも混沌の中にあった――

 

 

 

「入りなさい」

 扉越しにお父様の声を聞き、私は恐る恐るノブを回す。アンティーク調の艶やかな扉の向こうには、執務用の机に肘を付くお父様の姿があった。

 幼い頃程ではないがやはり私はお父様は苦手だ。こう、恐怖感のようなものがある。

「そこに休みなさい」

 執務机の前で足を開き、腕を後ろで組み胸を張る。まるで上官からの訓示のようだが、これはれっきとした親娘のコミュニケーションだ。

「学校はどうだ」

「毎日楽しく過ごしております」

「そうか、成績も良いと聞いている。この調子を崩さず、ガルディン家としての矜恃を忘れず勉学に励みなさい」

 私はお父様とお話をしている時いつも不安になる。私という、アルネ・ガルディンという個人ではなく家のことだけを考えているのではないかと。

 お父様の将軍という立場を理解出来ない訳では無い。理解出来ない訳では無いのだが――

「前置きはこれくらいでいいだろう。本題に入る」

 前置き。つまりはその程度なのだろうか。

「隣国アルテアにて『血統王の遺産』が強奪されるという異常事態が発生した」

「なっ……!?」

 有り得ない。そんなことが発生するはずがない。

 隣国であるアルテアは高い軍事力を持つことで有名だ。もちろんその核たる血統王の遺産は想像もつかないほど厳重に警備されているはずだ。

「お前がこの国の防衛の要だ。分かっているな?」

 アルテアは血統王の遺産を保有してはいても使いはしていなかった。だがこの国ベルディアは違う。

 将軍の娘である私が常に肌に身につけ、実際の戦争で使用しているのだ。例えその制約が重くあろうと、例え数多の暗殺者に命を狙われようとも、、私はこの血統王の遺産、『月白羽衣カグヤ

と民を守らなければならない。

 そして国民と父の期待に応えなければならないのだ。

「承知しております」

「話は以上だ。下がりなさい」

 冷徹な瞳が私を射抜く。

 有無を言わせないその眼が私には恐ろしかった。

「はい。失礼します」

 深くお辞儀をしてドアへと向かう。気になって小さく振り返ると、すでにお父様は執務へと集中していた。

 私が介在する余地などどこにもないのだ。

「失礼しました」

 言葉だけを執務室に残して私は戸を閉めた。

 

 

 

 巨大な城壁に囲まれた城塞国家ベルディア。北方は内陸海に面しており交易などが盛ん。他方、農業などは発展の途上にあり今後の課題として元老院でもしばしば議題に上がる。

 交易を主産業とする影響からか国民性は良くも悪くも開放的で、街のそこかしこに情報屋が商いを営んでいる。周辺各国の情報を集めるならばこの国は極めて適していた。

 青年はとある情報を求めてこの国へと訪れていた。

 ボロボロになった灰色のローブを身にまとい、強く照りつける陽射しの中でも腕を丸々覆ってしまう長袖を着ている。背中に背負っている大型の鞄が往来の邪魔となっているが、青年はその事に微塵も気がついていない。

「ここか」

 やがて細い路地に差し掛かり、さらにその奥へと進んでいくと、青年程ではないが薄汚れたローブを着た老人が舗装された路上に座り込んでいた。

「あんたが情報屋か?」

「……その一人ってのが正しいがね。して、なんの用だい?」

「この国の血統王の遺産を探している。金は言い値で払おう」

 青年の態度に老人は目を見開いた驚くが、直ぐにその眉を顰めると呆れるようにため息を零した。

「そんな情報、この国なら誰でも知ってるよ。それこそ老若男女だれもがだ」

「どこにあるんだ?」

「将軍、ヴェルフリード・ガルディンの愛娘、アルネ・ガルディンが肌身離さず持ってるよ」

「どこに行けば会える?」

 青年が聞くと、老人は右手を差し出した。

「ここから先は払ってもらおうか」

 青年は背中の荷物から金貨を五枚取り出し老人の手のひらに乗せる。

「お、おい! こんなにもらっていいのか? 一等地に家が建つぞ?」

「家に興味はない。早く続きを喋れ」

「会いに行くだけなら、それこそガルディン家に訪問するといい。これだけ金を持ってるんだ、取り次ぐのも問題は無いだろう。だが本人に、『用事』でもあるなら話は別だ」

 老人は金貨を大事そうに懐へと仕舞いながら続ける。

「王立騎装士養成学校に行け。アルネ・ガルディンはそこに通っている」

 騎装士。

 それはかつて百年戦争の時代に血統王の遺産に対抗して作られた騎構鎧装の使い手のことだ。騎構鎧装は腕に取り付けられたブレスレット型の端末に内蔵された、擬似エーテルリアクターへと一定量の魔力を供給することで魔力が西洋鎧を形作り全身を包む。

 だが魔力を使える人間もそれほど多くはないため、騎装士になっただけで騎士階級を与えられる国も存在する。

「分かった。助かったよ。これも貰ってくれ」

 青年はさらに小袋から金貨を二枚取りだし、老人へと手渡そうとする。しかし老人はそれを拒み、さらに懐へと仕舞った金貨五枚を青年へと突きつけた。

「すまんな。儂はまだこの仕事をしていたいんだ。だからこの金は貰えねぇ」

「そうか……そうだな。なら飯くらいは奢らせてくれよ。やっぱりお代を払わない訳にはいかないんでな」

「ならとびきり美味い魚料理が食える店を案内してやる。着いてきな」

 豪快に笑った老人は青年へと背を向け歩き出す。その足取りは軽やかだ。

「ああ、そうだ。兄ちゃん名前は?」

「ユース・バルギン。ただの旅人だ」

 

 

 

「お姉様! お姉様だわ!」

「相変わらず凛々しいお方……」

「流石アルネ様だな」

 廊下を歩くだけで耳をつく黄色い悲鳴から耳を塞ぎながら私は次の移動教室へと急ぐ。

「荷物をお持ち致します!」

「いえ、私こそが!」

「私が!」

 背後の小競り合いから目線を逸らして急ぐ。

 彼女、あるいは彼らもお父様と同じだ。

 私の事など見てはいない。

 見ているのは右手に付けられた血統王の遺産と、背中に背負った立場だけ。乞食のように周りにひしめいて、いつ何時もお零れを狙っている。甚だ不快でしかない。

「いつも大変だな、アルネ」

 そんな時いつも私に寄り添ってくれるのが今隣を歩く短髪褐色の美青年、ファールーク・イスマだ。恋情、ではないが少なくとも特別な感情なのだろう。彼と一緒にいると心が和らいでいくのを実感する。

「次の模擬戦の担当教官、エズリス先生だってさ。ついてないなぁ……」

 頭の後ろで手を組みながらファル(周りが彼をそう呼ぶ。私も類に漏れない)が思い出したように呟く。初めて聞く情報だったため、少し驚いてしまった。

「だがエズリス先生ほど優れた教官もいるまいさ」

「そうだけどさぁ……」

「まあそう言ってやるな」

 雑談しつつ歩いていると、いつの間にか模擬戦が行われる第三演習場の前へと着いていた。

「まぁ、頑張るしかないよね……」

「うむ。違いない」

 扉を開くと、円形になっている演習場の真ん中に比較的小柄な男が腕を組んで立っていた。

 強そう、には見えない。

 見たことがない顔だ。少なくともこれまでの学校生活では会ったことがない。外部からの講師だろうか?

「あー俺は病欠のエズリスに変わって君たちを担当するユース・バルギンだ。よろしくな」

 ユースと名乗ったその男はいかにも面倒くさそうに手を振り挨拶をするが、私を含めて生徒の誰もが返礼はしなかった。

 当然だ。エズリス先生とはそれほどまでに偉大だったのだから。

 だから私は抑えられなかった。

「果たして貴方がエズリス先生の代役を務められるとは思いませんね」

「……お前は?」

「私はアルネ・ガルディン。これから貴方を試験する人間です」

男は少し驚いたような顔をしたが、そんなことはどうでもいい。

 私は血統王の遺産ではなく、左手に着けた騎構鎧装に魔力を流し込む。

「着装!」

 それは最もオーソドックスな形。

 右腕に両刃の白銀剣、左腕には胴をちょうど覆い切れるほどの円盾を装備した、いわゆる『歩兵型』と呼ばれる騎構鎧装へと身を包む。

「かかってきなさい!」

 私は吠える。

 だがあの男は構えることもせず、面倒くさそうに頭髪を掻いてみせる。それからため息を吐きつつその手で私の右手を指さした。

「なんだ、その右手のは使わないのか?」

「この力は国民を守るためのものです。そもそも使うまでもなさそうですがね」

「使って貰わなきゃ困るんだがなぁ……」

 刹那、男の雰囲気がわかりやすく変容した。

 それは濃厚な死の匂い。強いだとか弱いだとかの枠から外れた、生きるか死ぬかという二択の匂い。まるで戦場の真っ只中に放り出されたかのようにさえも思わせる。

(なんだ……? なんなんだこの男は……)

 気だるそうな身振りで長い袖を捲りあげると、そこには騎構鎧装とは異なる意匠を施されたブレスレットがあった。

 そしてその意匠を私は知っている。

「血統王の遺産だと……!?」

「――着装」

 それは鮮血のようだった。

 どこか淀んだような紅が大きく渦巻くとそれは次第に収縮し、やがて人の形へと収まっていく。そして渦が完全に晴れたとき、そこには赤く禍々しい異相の甲冑が立っていた。

「血統王の遺産、『紅炎剣スルト』。悪いが手加減はしないからな」

 男の姿が霞のように消える。

「……っ!?」

 次の瞬間、気がつけば懐で拳を構える男がいた。

(間に合わない!)

 咄嗟に水月を躱すため盾を薙ぎ払うように叩きつけるが、感触は虚空へと霧散し、いつの間にか男は最初の立ち位置へと戻っていた。

「まだ使わないのか?」

「黙れ! この力は私だけのものでは無い! この力は国のものだ! そしてこれは民を守るための、国の未来を守るための力だ! 私闘などで使って例え生き延びたとしてもそれは私の死だ! 私の心の死なんだ!」

 猛り、駆ける。

 盾を前方へと放り男の――ユースの視界を遮る。そして右腕の撃剣を腰だめに構え、必殺の斬り上げを放つ。

「……クソっ」

 瞬間、小さくそんな声が聞こえた。そして同時に腹部へと強烈な衝撃が襲う。

 足が宙に浮く感覚のあと、身体が大地から離れる感覚、そして急速に加速する感覚。それらが一秒にも満たぬ間に連続する。

 景色が万華鏡のように変わりゆく。土気色の床、暗がりの天井、揃って口元を抑える同輩たち。ファルの姿は見当たらない。少し寂しいが大方、無様に敗北する私に嫌気でも差してどこかに行ったのだろう。

 しばらく、といっても時間にすれば十秒たりとも経過していないであろうが、やがて私は壁に激突することで再び大地へと舞い戻った。

 口の中で土の味が広がる。これが苦渋の味なのだろう。

 もはや騎構鎧装を維持することも叶わず、魔力が粒子となって消えゆく光が蛍のように儚く視界に映った。

「……もうやめろ。意地を張るな」

 倒れ伏す私の頭部を掴みあげユースは問う。そこには先程の明確な殺意とは異なる、憐憫にも似た虹彩があった。

「……私は国の、ために……」

 掠れる言葉、薄れゆく意識。

 もはや力は入らなかった。

 

 

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