第101話「そこでペチコートをひとつとマントとガウンも買ったの」

 大公からの書簡は当然、極秘である。最後の望みとはいえ、刑死した大公が「フリーデンスリートベルクへ向かってほしい」と残したのならば、それは現在の状況を打破する事ではなく、侵攻という解釈になるのだから。


 だからこそ、と出立しゅったつの準備を手伝うヴィーは、ククッと喉を鳴らして笑う。


「そういう意味でも、旅芸人というのはいいね」


 ただヴィーも絶好の身分だから笑っているのではない事は、特にザキには明白だった。


「楽しそうだね?」


「楽しいよ~。実はファンとエルと、三人一緒に行った事ってないんだよ」


 大道芸にも使えるスローイングナイフを磨きながら、ヴィーはスッと目を細めた。


 今更、恨み言はない。


 印可いんかを受けたその足で故郷を出たファンに対し、自分が非時ときじくを所有すれば三人でドュフテフルスに留まれた、と考えていたのは、つい先日までのヴィーだ。


 ――無理だな。


 今はそう思っている。ファンは自在にならないというが、アブノーマル化に成功したのはファンとエルだからこそ、だ。ヴィーとアイシャ・ミィでアブノーマル化が行えるとは思えない。


 ヴィーと隷属関係にあるから、ヴァラー・オブ・ドラゴンを抜ける。


 ――俺では、アブノーマル化は行えない。


 他に方法があるのかも知れないが、隷属れいぞく関係のまま、どう工夫して乗り越えるのかはヴィーには不明。わかりようがない。


 ファンとエルには嫌悪感を掻き立てられても、それを乗り越えられる程の信頼があったが故に、讃洲さんしゅう旺院おういん非時陰歌ときじくのかげうたは現れたのだ。


 もしアイシャ・ミィのヴァラー・オブ・ドラゴンがアブノーマル化したとしても、隷属関係にあるヴィーに対する嫌悪感が強くなれば、アイシャ・ミィは死を選びかねない。


 三人で行く道が見えた――そうなれば、ザキも自然とニコニコしてしまう。


「三人でやると楽しそうだったもんね」


 テンジュの前で演じた時を思い出したのだ、とザキの顔から読むと、ヴィーも白い歯をニッと見せて笑う。


「楽しいね~。みんなでやると、とてもとても……」


「そうッスねェ」


 そこへファンも加わった。


「本当は、曲芸も軽業も、大勢でやった方が面白いんスよ、してる方も見てる方も」


 気を遣った訳ではないファンの言葉であるが、聞きようによればヴィーへの謝罪にも聞こえる。


「……」


 途端にヴィーが苦笑いしてしまうのだが、その苦笑いを木箱のようなものを叩く音が遮った。


「へへへッ、そりゃ、そうでやしょう」


 独特のしゃべり声はムゥチだ。木箱を抱えているムゥチは拍手ができず、代わりに木箱を叩いている。小柄なコボルトであるから、身長の半分程も大きい木箱を抱える事は、そばについているエルが心配そうにしているが。


「傷はお腹ですからね。あまり力仕事はしない方が……」


 エルにいわれているムゥチは「へへへ」と照れ隠しように笑い、


「中身は服でやすから、そんなに重くねェんでやすよ。ほら、折角なんだ。新しい衣装で行きやしょうよ」


 木箱の中身は全員分の衣装だ。


「どうでやす? ネーは裁縫もできるんでやすよ。そして、あたしが飾りをつけてみたんでさ」


 出してきた衣装は、基本的なデザインはそのままであるが、金糸や銀糸を使い、金属製のメダルやびょうをつける事で豪華さを演出している。


 この変化は小さく、視覚効果は大きくするのが職人というもので、ファンとヴィーの新衣装は、ザキでもわかる。


「すごーい!」


 ザキの歓声にムゥチは「へへへ」と、鼻をしゃくり上げるように笑い、


「ただ、豪華なだけじゃありやせんよ。特に、袖なんかはね……」


 ムゥチがファンの上着を持ち上げた。金糸のタッセルが目を引く赤い衣装であるが、袖の部分は青みを帯びた鈍色にびいろになっている。


「金属ッスか?」


 指で突くファンは、その反響に目を見張らされる。


 指先で弾く程度であるから反響という程の反響はないのだが、僅かばかりの反響はチンッと高い音だったのだ。


 その正体に、ムゥチは胸を反らせる。


群青銅ぐんじょうどうでやすよ」


 前腕や鎖骨、胸など、守らなければならない箇所に薄い群青銅のプレートを縫い付けた。


 優れた防具は密度が高く、そのため例外なく重いが、結晶が大きく、整っている群青銅ならば鋼鉄よりも優れた特性を発揮してくれる。


「靴の爪先なんかも、そうやって強化してやすよ。少々、重くなりやすが……へへへッ。これを着て、とんぼを切れるくらいになってるんでやしょう?」


 ドュフテフルスに帰ってきたからの鍛え方は尋常ではなかった、とムゥチが少しばかり挑発的な笑みを浮かべた。



 ムゥチにとっても、これは衣装・・



 防具としての機能は副次的なものに過ぎない。


 ファンにとって、この服にいえる言葉はひとつ。


「ありがたいッスよ」


 ファンも大口を開け、白い歯を見せて笑った。


「ええ、本業は旅芸人。剣士は不本意な副業ッス」


「ありがたい」


 ヴィーも笑ってしまうのだが、その笑みを引っ込め、衣装の入った木箱を持ち上げた。


「積み込みを急ごう」


 積み込む馬車も、今までファンが乗っていたものではなく、より大きな新車である。ファンとエルが二人で使う事を想定していた幌馬車は、インフゥ、コバック、ザキが加わっては手狭であったし、この機は丁度いい切っ掛けになってくれた。


 大きくなった荷台に荷物を置いたヴィーが見遣るのは、所在なく立っているアイシャ・ミィの姿。


「どうした?」


 手伝えとはいわない。元より手伝う気があるならば手伝っているし、ヴィーがアイシャ・ミィに求めているのは格の高い精剣を宿しているという一点のみだ。


「もう結末が見えた。何だったら、子爵家を通してローゼンブルク公爵家に紹介するぞ」


 Lレアの精剣に関しても、ヴィーにとっては然程さほどの価値を持たなくなっている。


「な……ッ」


 息を呑むアイシャ・ミィは、自分にとって唯一無二の価値があるはずのものを否定されたためか。


「Lレアならば、それこそ将来を約束された者の下へ行ける」


 しかしヴィーの言葉は、思う程の効果を示さない。


 嘗てアイシャ・ミィは自身を守れる者を探していた。自身の身体にLレアの精剣を宿せた時、その望みは叶うはずだった。ならローゼンブルクの剣士というは、まさに願ったり叶ったりであるが、


「ついて行く」


 その回答は感情にまかせた。


 アイシャ・ミィの中に、ヴィーの言葉があるからだ。



 ――ファンがショボいんだ。非時が弱いんじゃない。



 Lレアのヴァラー・オブ・ドラゴンもノーマルの非時も大差ないといったヴィーであるが、アイシャ・ミィにとっては違う意味になっている。


 ――私のLレアが、ノーマルに劣るなどと、絶対に認めない!


 ヴァラー・オブ・ドラゴンは非時に劣るといわれた、と感じていた。


 ――こいつに撤回させる! 絶対に!


 でなければ立つ瀬がない――とアイシャ・ミィが思っている事は、ヴィーも察せられていないが。


「フリーデンスリートベルクは大事おおごとになるぞ」


 ヴィーがどう感じているかも、もう本人にしか分からない。


「大いに望むところよ」


 鼻を鳴らすアイシャ・ミィに、ヴィーは短く「そうか」とだけ答えた。


「重い荷物を運ぶ必要はない。出発する頃に、また来てくれ」


 ヴィーがいうのは、それだけ。

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