第71話「風が吹いたら揺れるのよ、枝が折れたら落ちるのよ」
文学を人が独占した事がエルフやドワーフを被差別階級に落とし、固定してしまった理由であるが、独占できたのは優れた創作物が存在していた事だけを理由にはできない。
もう一つ、外す事のできない技術が活版印刷と製紙技術がある。
丁度、戦乱の時代は築陣のために森林の伐採が盛んに行われており、紙の材料には不自由していなかった事も手伝い、国内の需要を高める事にも繋がっていた。
ファン・ジャルは、そんな出版事情から、
「黒方、ファル・ジャル!」
審判役に呼ばれたファル・ジャルは、白幕を潜る時、耳に幻聴を聞いた。
――
幻聴であるが、それはつい最近まで、しょっちゅう聞かされていた声だ。
――
その大先生という名称は、ファル・ジャルが売れっ子作家だから呼ばれているものではない。
締め切りを守れない作家に対してつく不名誉な
――あたしゃね、大先生。何も芝居に使うような大層なものを書いてくれって頼んでるんじゃないんだ。子供がする考え物を、いくつか書いてくれっていってるんだ。
簡単な事じゃないかと胴間声で話す男は、ファル・ジャルの眼前にある白い紙をトントンと指で突いた。
男は知っている。
ファル・ジャルが書きたいものは、子供相手の考え物などではなく、大人向きの物語なのだ。だが大人の鑑賞に耐える娯楽にはなりそうにないものしか作れないから、こういうもので糊口を
――それなのに、何だい? それがつまらないから、できないってのかい?
そういわれるは不愉快窮まる。
――したくないに決まっている! 誰が好んで、こんなものを書くものか!
ファル・ジャルが望む物語は、不死の力を得た女が、新たなる騎士として戦場を駆ける話だ。糊口を凌ぐためとはいえ、子供相手の考え物など、満足のいく仕事であるはずがないではないか。
――役不足! 役不足! 役不足!
自分の力が、そんなものに活かされるはずがないと信じている。
胸中で何度も繰り返すファル・ジャルだが、返事をするように胴間声も続いていく。
――役者不足ですか? 役者不足でしたか?
同じような字面、同じような音を持ちながら、真逆の意味を持つ言葉。
――調子が出ない? 流石、流石、大先生。お疲れですか。お疲れですか。何なら隠居でもなさいますか。
――消えろ!
白幕を精剣の柄で
「ふん」
鼻息を強くして吐き出し、手にした精剣の感触を確かめる。ミョンやムンは格の高い精剣にしか用がなく、宿している女に興味がないので常に精剣にしていたが、ファル・ジャルは若干、違う。
ファル・ジャルにとって精剣とは身を立てるものではなく、仕方なしにやっているものだからだ。
ここだけを抜き出せば、剣士は
ファル・ジャルは道具でしかないが故に女など気に止めていない。エルをただ一人の存在と思っているファンとは、この点に於いて真逆だ。
何より、ファンは剣士を「不本意な」と付けているが副業としている。
ファル・ジャルにとっては、剣士は副業ですらない。
大公に仕え、弱肉強食の世を待ち望んでいるのは、自らが物語を紡ぐに相応しい世だからだ。
――身体を切り刻み、清純な乙女を地獄に突き落として凱歌を歌う悪党は、そこにしかいない。
美徳の陥落、悪徳の栄え、それを覆す不死身の女騎士――それがファル・ジャルが書きたいと思う物語である。
対する赤方は、そんなファル・ジャルの物語では画一的な扱いしかされない存在が姿を見せた。
「赤方、コバック」
女オークだ。この組み合わせは、ファル・ジャルにとっては屈辱でしかない。
――オークだと? 舐めるなよ。
ファル・ジャルには許せない組み合わせ。
――オークなんてものは、陵辱くらいにしか役に立たないブタだ。女なんぞ、もっと用がない!
ファル・ジャルも、オークやコボルトでも精剣を宿せる事は知っているが、習性を利用して牧場を作る計画があった事までは知らない。
女オークが如何なる存在かを理解せず、ただそうでなければならないという意識のみでコバックを劣った者と断じる。
「――」
早く始めろという言葉は、流石にファル・ジャルも飲み込んだ。急かす事は大公の手前、不敬に当たる。
精々、審判役に視線を送り、一瞥する程度だ。
「……」
コバックは――特に何をするでもない。
「いざ両名とも、心置きなく大公殿下のため、存分に技を尽くされよ」
審判役が合図を送る。
「抜剣」
コバックの声でザキが精剣に姿を変える。
「チッ」
ザキが転じたライジングムーンに対し、ファル・ジャルは嘲笑を浮かべた。
――そんなところで、投げて使うような精剣か!?
ムンが犯した失敗は知らないが、この場で振るうには相応しくない事くらいは一目瞭然だ。
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