第19話「手をあげて、電車に乗ったらグッドバイバイ」

 ――来たな……。


 羽根飾りの付いた帽子を被り直しながら、ファンは光が発された方へ顔を向けた。口を開けて思い切り息をしたい衝動に駆られるが、大口を開けて呼吸していては喉が渇くばかり。我慢する。荒れた呼吸は、腹をへこませながら息を吐き出すという、独特の呼吸法で回復させていく。


 距離を目視しようとするが、その耳に聞こえてきたコボルトの悲鳴が思考を奪った。



 ファンが後退した事で、コボルトの一部が村へ向かった。



 だが防壁をひとっ飛びする事は不可能であるから、村人が防壁越しに撃退したのだろう。


 ――弓が使えなくても大丈夫ッスよ。槍は最後の手段ッス。


 ファンは自分が教えた事を思い出し、悲鳴があがった方向を向こうとする衝動を前進する力へと昇華させた。


 ――石。石を投げつけてやるのが一番ッス。


 悲鳴は「痛い」くらいの意味ではなかったはずだ。拳大の石を集めていたのだから、それを思い切り防壁の上から投げつけられたのではたまらない。矢や槍のような刃物には抵抗を覚える者も、石のような鈍器は使いやすい。


「よしッ」


 気合いを入れ直すと、ファンは地面を蹴った。


 真正面から突っ込むつもりはない。



 ファンが狙うのは、村へ向かった一団を不甲斐ふがいないと笑っているコボルトの横っ面だ。



 ファンを追撃しようとしたコボルトもいただろうが、退避するファンが速かったからか振り切る事に成功していた。


 正確な距離は分からないが、精剣が顕現した光は、そう遠くない。


 ――雑兵の10や20を斬った程度でへばったとあっては、御流儀ごりゅうぎの名が泣く!


 上体を低くして小走りになりながら、ファンの目がコボルトの方陣ともいえない纏まりへ向けられる。背後まで回れればいいが、そこまでは望みすぎだ。


 草刈りの季節に刈らなかったため、草がファンの姿を隠す垣根となってくれる。


 ファンは距離を測りながら進み、そして一気に躍り出た。


「!」


 非時ときじくを構え、最も手近にいたコボルトへ刃を――というところで、ファンは眼前に有り得ない人物を見た。



 父母、伯父夫婦、師、兄弟弟子、エル――。



 コボルトが持つ精剣スキルだ。


 ――幻だ!


 そう断じ、足を止めなかったのはファンが優れている点だろう。いる訳がないと断じ、コボルトの気配にのみ的を絞って非時を振るうのだから。


「100人、すべて切り捨ててやるさ」


***


 だがそう思えたのは、ファンくらいなものだった。


 防壁を乗り越えようとしているコボルトへ投石を行っていた村人は、その幻に落ちた。


「あ、ああ……」


 石を握るを止めてしまう村人の前には、コボルトの襲撃で亡くした家族たち。


 その家族の背後には、黄金の実る畑と、銀色に輝く鉱山……在りし日の美しい村が。


 耳に聞こえた言葉はたった一言。


 ――おかえり。


 その一言を発する家族の笑みに対し、返せる言葉はひとつしかないのだ。


「ただいま……」


 そういってしまえば、もう村人には現実に留まる意志を奪われてしまう。


「おい!」


 そばにいた村人が助け起こそうとするが、その村人にも肩へ手を置いてくる幻がある。襲撃の後、悪化していく食糧事情、健康事情で倒れていった子供たちだ。


 ――ありがとう。


 子供の笑顔には、逆らおうとする気力が萎えてしまう。


 そもそもコボルトに向かって投石をする事とて、刃物に比べれば抵抗が少ないといっても、負担がある。


 そこへ家族が迎えに来てくれたというのならば、村人が現実から逃げないはずがない。


「……はは」


 村人を見遣りながらユージンは乾いた笑いを発していた。


 村人が見ている幻の声は聞こえないが、返事を聞いていると、迎えが来たのだと分かる。


「なら……なら、俺にも……」


 そう繰り返し、呟いてしまう。ファンが出撃した時、自分も行く事はできた。しかし後に続かなかったのは、次の襲撃で自分の前にミマが現れるという、不思議な確信めいた何かを感じていたからだ。


 村人が横たわっていく。防壁を乗り越えられたコボルトはいないが、迎撃の投石が弱まり、停止してしまえば侵入は時間の問題だ。そして、この一戦のために食料を消費してしまっているのだから、この略奪は死と直結する。


「幸せな夢の中でなら、いいだろう……」


 ユージンはそう思ってしまう。


「ユージン……」


 そこへカラが駆けてきた。


「ユージン――」


 手を貸してくれと続くはずだったカラの言葉だか、それは遮られた。



 幻が奪ったのだ。



 ――ユージン、お姉ちゃん……。


 二人の耳に届いた声は、二人の意識を全て持っていった。


「ミマ……」


 ユージンが口にした名が、全てを告げている。


 カラの妹であり、この村の防御魔法で守っていた術者だ。


「ミマ……ミマ……」


 やっと来てくれたと言葉を震わせるユージンであったが……、


 ――ユージン……。


 ミマから優しい言葉はない。


 村人を覚めない夢に誘う笑みもなく、あるのは笑みとは真逆の表情だ。


 ミマはまるで祈るように手を組み、訴えるような目をしていた。

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