第18話「かもしれませんけれどネコさん、近寄らないでくださいな」

 ファンたちが懸念けねんする事態は多くない。


 まずは避けたいのは火をかけられる事。


 しかし、これは可能な限り排除したし、畑を残らず焼いてしまうのいうのはコボルトも避けたいはずであるから、最後の手段となる。


 次にコボルトに逃げられる事も避けたい。



 精剣を持つ首魁を討つ事が最終目標だ。



 指揮官がはるか後方、切り込めない場所にいるというのならば不可能だが、その可能性は低い、とファンは見ていた。


 ――精剣せいけんの威力で従えてるなら、スキルの範囲が及ぶところにいる。


 ファンは村人が眠った切っ掛けから、そう推測した。


 ――効果に捕らわれれば永続なんだろうが、目視できないような位置から使用するスキルではないはずだ。


 理由はひとつ。


 ――そうでなければ、戦場の外から放てばいいんだから。


 コボルトの襲撃とスキルの効果が重なっているならば、この推測は正しいはずだ。


 そして人間でもコボルトでも、後詰ごづめは絶対である。



 救援を求められ、それを拒絶するようでは軍団は統率できない。


 しかし村人の不安は尽きない。


「大丈夫ですか?」


 はしごを使って防壁代わりにしている民家の屋根に登ったファンへと向けられた村人の声には、隠しきれない心配かある。


「大丈夫ッスよ」


 ファンは軽くいうが、これ程、村人の心に響かない言葉もない。ファンの知識で村人が救われたのは確かだが、ファン自身の武力が証明された訳ではなく、またミマを失って以降、襲撃を無傷で乗り越えられた事は皆無なのだ。


 しかしファンには勝算がある。


 ――数だって100といないッスよ。


 迫り来るコボルトを見て、そう思っていた。こういう場合、人間が数えられるのは、精々、20から30という所だ。それ以上になれば、実際の数と目算が大きくズレてしまう。


「昔、お師匠さんに箱一杯に入った二枚貝を数えさせられた事があるんスよ。自分は1000、兄弟弟子は2500くらいと答えたんスけど、何と何と、300しかないと来た。人間、それくらいになったら正確な数が把握できなくなるんスよ。大抵、実際よりも多く見える」


 そういうとファンはひらりと屋根から飛び降りる。


「抜剣!」


 そのかけ声と共にエルが精剣・非時ときじくへと姿を変え、ファンの左手に収まった。


***


 異様な変貌を遂げた村の姿は、多少、コボルトの足を緩めたかも知れない。家と家を石積みと木材で繋ぎ合わせて防壁にするという考えは、思いつくようで思いつかない。陣といえば更地に築くものだという意識があるからだ。「家」は「住むところ」であって、防御施設ではないという思い込みもある。


 だが緩んだ足に、後方から怒声が飛んだ。


 進め進めと怒鳴る白いコボルトは、ミマを討って防御魔法を無効化した個体に他ならない。



 その一戦以来、軍団の長に成り上がった。



 その時、眼前に現れたのがユージンでなくファンだった事は、果たして幸運であっただろうか?


 恐らくは多くのコボルトが幸運だと思った。


 まだまだ遠目であるのに、ファンが手にしている非時の格がノーマルである事は明白なのが最大の理由か。


 ファンの顔を見慣れていないという不安要素はあるが、その不安要素がもたらした事は、ファンにこそ幸運をもたらす。


「ッ」


 ファンが狙いを定めるのは、若干、足が鈍り、前衛との間に隙間を作ってしまったコボルトだ。


 そこへスローイングナイフを叩き込む。


「ギッ――!」


 コボルトの悲鳴すら、後方から駆けてくる味方の轟音が掻き消してしまう。


 だが踏み潰してこようとすれば、必然的に空間が空く事となり――、


「おおッ!」


 その空間へとファンは斬り込んだ。


 前衛の一点へ視点を集中させ、水平に構えた非時を突き出す。


 喉笛を貫いた感触を覚える間もなく、コボルトの身体を蹴倒すように乗り越え、スローイングナイフでこじ開けた空間へ身体を滑り込ませる。


 そこは敵陣の真っ只中であるから、四方から狙われることになるが――、


「ッッッ」


 ファンが開脚の要領でかわしたコボルトの棍棒は、互いに互いの顔面を捉えてしまう。その中でもファンの非時は一閃され、前方にいたコボルトの膝下を切り飛ばす。


 前転するように体勢を整えたファンが振り抜く刃は、次のコボルトの腕を断つ。


 続いてファンは立ち上がりつつ、目に付くコボルトの膝に突き立てる。


 抜く勢いをそのままに振るえば、今度はコボルトの胴を薙いだ。


 一瞬の出来事にコボルトたちが位置を飲む瞬間が、ファンに血路を開く道筋を見つけさせる。


「シッ!」


 もう一度、スローイングナイフだ。


 倒れたコボルトを踏み越え、ファンが囲みの外へ飛び出した。


「――!」


「――!?」


 後方でコボルトがあげているのは、悲鳴か怒号か、あるいは両方か。


 しかし今は逃げると決めたファンは、振り向きもしない。


 ――徹底しろ!


 ファンが頭の中で反芻はんすうするのは、師によって叩き込まれた戦場の生き方だ。


 ――近距離はナイフ、至近距離は剣。中間距離は踏み込んで斬る。できないかもと迷ったら、迷わず逃げろ!


 精剣の存在が当たり前になった戦場で、刃しか頼れない剣を振るうには、攻撃よりも回避、退避を徹底しなければならない。迷いは死に繋がるとはよくいわれるが、迷うなという事ではない。迷ったら退避に移れという思考に辿り着けなくなった時、死が降りてきてしまう。


 ――時間と空間の争奪戦だ。


 精々100体としたファンの目算は当たっている。


 当たっているが、100対1で必勝の策などファンとて持っていない。


「精々、混乱してくれよ」


 深手を負わせつつも絶命させずにいたのは、戦闘不能になった仲間を踏み付けて走れる個体と、そうでない個体がいると知っているからだ。


 バラバラにし、中距離から至近距離という間合いを保つ中に活路を見いだす――ファン自身、ザルとしかいい様のない作戦だ。


 その作戦の中に、次の光景はあっただろうか?



「バッケン――」



 本来ならば聞こえるはずがない距離であるが、ファンはコボルトの声を聞いた。


 コボルトの後方に立ち上る光は、精剣の出現を示している。

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