第15話「一人も落ちることなく着く場所」

 ファンの目論見通り、薬の生成は日が沈むまでには終わり、ファンが煮出した薬湯を、エルが配って回っていた。


「ご飯を食べる前に飲んで下さい」


 そして薬を飲んだ村人へは、カラが声をかけていく。


「薬を飲んだ方は、こちらへ! お粥を炊いています」



 ここはかつてカラの妹が籠もっていた場所。



 ひとり一人の家を回る事は非効率的であるから、全員を収容しようと場所を探した結果、ここしかなかった。


「夜中、絶対に汗を掻いて、熱が出るッス。その汗を拭って、温かくして寝るのが一番ッスわ」


 ファンは食べた人から休んでくれといいながら、汗を拭うための布を配っていく。


「動ける人が夜なべするしかないッスね」


 動ける人が気張るしかない。当然、ファンもエルも参加する。


「カラさんもエルも、一段落したら食べてくれッス。一晩で済む話じゃないッスよ」


 発熱を伴う症状は、一晩で治まらない事がある。また低下した体力を戻すには、そこから二晩、三晩はかかる。


「はい」


 食器に粥を盛るカラも、そこは覚悟の上だ。


 ――まだ軽い方。そうよ。


 心中でそういい聞かせている。病人や怪我人の看病は、一度や二度ではない。妹が亡くなってからというもの、コボルトの襲撃の後は常に死人が出ているのだから。


 今までの状況は、辛い以外に感じるものがなかった。助けられない者が多く、そもそも助けられないことが明白な者ばかりだった。


 しかし今は違う。



 ――今は、助けられる。



 ファンが間違った処方をしていない事は、昨日、薬を分けてもらった女が今日、快復していた事で証明されている。


 ファンの知識は間違いない。


 今、この場にいる者の多くは助けられるのだ。



 ならば頑張る事など、苦労ではない。



「頑張ります」


 カラはグッと握った拳を示した。


「手はあればあるだけ助かります」


 エルも看病の経験はあるが、これだけの人数は初めてだ。無事な村人が集まってくれた事は、何よりの僥倖といえる。


 そうしていると、ファンがすくっと立ち上がり、


「そういえば、ユージンさんだって手が空いてるっしょ」


 そんな事をいい出すと、カラがギョッとした顔をした。


「ファンさん、ユージンは――」


 やめさせようとしたのは。ユージンが気分屋だからではない。



 妹の死が最もこたえているのは、守り切れなかった剣士であるユージンだからだ。



「呼んでくるッスよ」


 だがファンは、聞いていないのか、それとも聞く気がないのか――エルは両方だと思ったが――軽い足取りで出て行った。


***


 ユージンは探すまでもない。村人が全員、集まっているのだから、人の気配があるところへ行けばいいだけなのだから。


 だが見つけたユージンは、すぐに声をかけるのを躊躇ためらわされた。


「シッ! シッ!」


 歯を食いしばっているユージンは木剣を素振りしていた。精剣が戦場で用いられるようになって以降、素振りは剣術の修練ではなく体力作りの一環になってしまっているため、ファンの目からは合理的な動きには見えなかったが。


「ハッ、ハッ……」


 その素振りが一段落し、ユージンが膝を着いた所でファンは初めて声をかけた。


「ユージンさん、こんばんは」


「……」


 ユージンが上げた顔に、月と星の光を受けて輝いているのは汗ばかりではない。


「何の用だ?」


 顔を背けながら返ってきたユージンの言葉は、涙を隠すためのものだった。


 ファンは――知っていても、かける言葉は一つだけ。


「村の病人を集めたから、一晩か二晩、看病しなきゃなんないんスよ。手伝ってくれません?」


 ファンがユージンを探しに来た理由はそれだからだ。ユージンの泣いている理由は分からないし、それを訊ねて自分が解決できるかどうかも分からない。話してスッキリすれば済むというのならば、いくらでも話も聞くのだが、それで解決する訳がないと知っている。


 ――男の悩みは、人に話して解決するもんじゃないッス。


 占い師に頼る剣士など聞いた事がない。


「……」


 ユージンは暫く黙っていたが、


「何で、そんな事、してるんだ?」


 溜息を一度、挟んでそう訊ねた。


「今なら軽いッスから。今夜と明日一日あれば、まぁ、みんな元気になるッスよ?」


 簡単にいうファンだが、それはユージンの聞きたい言葉から乖離している。


「……俺は看病なんかした事がないし、それに病気が治ったって、明日とも知れない身に変わりがない」


 コボルトは定期的に来る。


「それにな、お前、その作り物臭いしゃべり方、止めろ。聞いててイライラする」


「あいたァ」


 ファンはまた大袈裟な身振り手振りを交えるが、それこそがユージンの苛立ちを掻き立てている作り物だ。


「作ってるんじゃなくて、こっちを本性にしたいんスよ」


 それは間違いない。ファンは旅芸人を生業なりわいとしたいと感じている。芸だけで食っているとはいえず、定期的に実家から仕送りを受けているものの、剣士として傭兵ようへいになった事はない。


「お前、剣士・・だろ。あの女が精剣せいけんの鞘だ」


 ユージンにとっては、それが侮辱的に聞こえている――少なくともファンは、そう感じ取った。


「どうして、そんな事を?」


「精剣の鞘は、互いに分かるんだろ。俺の精剣を持ってる奴の態度を見てたら、大体、分かる」


 ユージンは大きく息を吐き出した。そこに含まれているのは、やはり侮蔑だ。


「自分、ずっと南の方の出なんスよ。ドュフテフルス。自分の両親は、本当は騎士に叙任されるくらいになってほしかったんだと思うんスよ」


 そんなユージンのかたわらへ腰を下ろすファンは、文字通り腰を据えて話したくなっている。


「なら精剣を持つのが一番、手っ取り早いてんで、まぁ、色々……。でも来てくれたのは、幼なじみのお姉ちゃんだけだったんスね。それがエルッス」


 子爵の甥、騎士爵の息子は平民・・だ。そんな相手のために精剣を宿す事に手を挙げてくれる相手などいなかった。


「でもエルに宿ったのはアンコモン、下から二番目の、格でいえばノーマルだったんスよ。周りは一斉に落胆して……。何か、それって悔しいんスよね。何とかして笑わせたい、何をすればいいって考えて、自分は芸人になる事に決めたんス」


 まだまだ修行中であるが、と結んだのが、ファンが旅芸人になった経緯だった。


 しかしユージンはフンと鼻で笑うように息を吐き出す。


「それこそ、何で俺に話す?」


「自分の事って、案外、自分で話すと間抜けなんスよね。でも、人のを聞いた後だと、楽になったりしないッスか?」


 ユージンの話を聞きたくなったからだ。ユージンの足を縛り付けている何かがあり、でもその何かに負けていないから今もばちになりきれていない。ならば解き放つ手助けができれば――などと理由付けは様々なのだが、ファンはユージンと波長が合ったからだ。


「俺は……」


 ユージンが重い口を開く。


「この村の生まれだ。昔は本当によかったんだぜ。鉱山があって、畑も広く取れて。流白銀りゅうはくぎんの武器っていったら、戦士なら誰でも欲しがるくらいだったからな。だから、コボルトが彷徨うろつくのなんて、実は昔っから変わってねェんだ」


 コボルトの襲撃自体は、昔からあった。


「俺は剣士になって、ここを守るって決めてた。俺が攻めで、あいつが……ミマが――カラの妹が守りだ。それで万全だと思ってた」


 しかし現実は違った。


「けど俺が帰ってきてから、もっと厳しくなった。救援なんてきやしねェ。ミマは、デカい防御魔法を張るには、向いてなかった」


 ミマの身体を蝕んでいき、そして――、


「俺はミスしちまった。防御魔法が揺らいだ一瞬を突いて、コボルトが村に入りやがった。そこからは……そこからはジリ貧さ」


 コボルトの襲撃は、それからも何度となく繰り返された。その度にユージンは撃退してきたものの、防御魔法が存在しない村にはユージンが抑えきれなかったコボルトが入り込み、容赦なく村人の命と食料を奪っていく。


「守り切れねェ。俺の手から、指の間から滑り落ちていく奴らが増えた」


 それでも守れてきたんだろうとは、ファンもいえない。ユージンの後悔を軽くする言葉ではないからだ。そして恐らく、ユージンはカラがいう通り、腕利きだ。


「そして精剣のスキルだ」


 何を指しているかが分からない程、ファンの察しは悪くない。


「眠ったままの人ッスか?」


 ユージンは小さくだが頷いた。



「あのコボルト共、誰か精剣を手に入れやがったんだ」



 幻を司るスキルなのだろう。それ自体は有り触れている。夢に誘い、仮死状態にするスキルは珍しいにしても、存在しないと断言するのはバカのする事だ。


「でも幸せなんだよ」


 ユージンはカラの怒りを買った言葉を繰り返していく。


「あいつらが眠っちまう前に出会ったのは、俺が守ってやれなかった家族だ。寝てる奴らの幸せそうな顔、見たか? 夢の中で、また家族が揃って、この村が豊かだった頃に戻ってるんだ。いいじゃねェか。幸せじゃねェか」


 ユージンは涙は見せまいとしている。


 それが分かるからか、ファンは話を打ち切るように立ち上がった。


「でも、手伝ってほしいッス。まだ迎えが来てない人は、少なくとも元気じゃないと幸せからは遠のいちゃうッスから」


 やはり話だけで元気づけることは難しい。

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