第16話「君のために粉をひいて、パイを作ってくれるとさ」

 ファンの見立て通り、症状の軽い病人の回復は二晩で済んだ。もっと病状が進んでいれば、あるいは栄養状態が悪ければ、この程度の薬では何ともならなかったのだが、そこだけは幸運である。


 ただし発熱で消耗した身体であるから、数日は療養が必要であり、その間の野良仕事は休むしかない。


 故に今こそが最も大変といえる。


「手伝ってきます」


 農具を持つカラが一礼した。農作業に関しては、ファンの力は当てに出来ない。ファンには農作業に関する知識があっても、経験がない。何もない時ならば、病から救ってくれたファンを交え、談笑しながら教えてもらっても良いのだが、人手不足の時はファンとエルは足手まといになるだけだ。


「頼むッス」


 ファンは薬や食料の在庫を一瞥いちべつして顔を上げた。


「お願いします」


 エルも一礼すると、カラはもう一度、一礼を返した。


「収穫は、命に関わりますから……」


 カラが視線を落とすのは、ファンの手元にある帳簿だ。その帳簿には、カラからの又聞きであるから正確とは言い難いのだが、収穫した量と残量が記されている。これと一般的な消費量の差し引きで、コボルトに略奪された量を計算するのだ。略奪量を襲撃回数で割れば、一度にどれだけの量を奪われているかが計算でき、襲撃の間隔を加味すると、ある数字に行き着く。


「いやぁ、悪い数字ッスわ……」


 ファンは「うーん」と唸りながら、ペン尻で頭を掻くような仕草をした。


「悪い?」


 カラが聞き返すと、ファンは残された量と、これから見込める収穫量を指差し、


「ギリギリの数字になってるんスね」


 コボルトが奪っていく量は、見事なまでにファンが考える数字と一致している。



 ファンの言うギリギリとは、人が生きていけるギリギリという意だ。



「つまり人口はある一定まで減った後、減りも増えもしなくなるッス……」


 そして餓えに敗れていくのは労働人口ではない。まず労働人口になりえない老人、次に労働人口に計上できるまでに達していない子供が減っていく。その上で、餓えをしのいだ子供は、何らかの方法で耐える術を身に着けた者という事になり――生かさず殺さずという状況は、略奪から搾取さくしゅへの転換を容易くする。


「コボルトが、そんな計算を……?」


 信じがたいと声を震わせるカラであるが、ファンは首を横に振った。


「本能的に分かってるのがいるんスよ。本来、魔物や猛獣は、必要な分しか盗っていかないもんッス」


 何が効率的かを把握している訳ではないが、魔物も「野生生物」と考えた場合、その思考は正解を引く事が多い。


 ――多少なりとも知恵が回る奴がいれば?


 コボルトの知恵がどこまで回るかは、ファンも知らない。そもそも魔物の行動を統計的に分析しようという考えは、どの国にも皆無だ。


 特にコボルトは、人と交易を行えるだけの最低限度の知恵がある。


 ――精剣せいけんを持ってる奴か。


 精剣を手に入れたコボルトが知恵のある個体なのだろう、というのがファンの予想だった。


 ――多分、狙いは……。


 ファンが視線を移す先は、カラも見ている。


「ユージンが、手伝ってくれれば良いのに……」



 視線の先にはユージンの家が――ユージンはねぐらというが――ある。



「世の中には、もっと不幸な人、不運な人がいる事くらい……」


 カラとて恨み言の一つもいいたくなるのだが、そこはファンが首を横に振って否定した。


「他人の痛みって、どうしても全部は分からないッスよ。なら、ユージンが自分は世界一不幸だっていうなら、世界一不幸なんだって思って接さないとダメッス」


 カラはユージンを情けないと感じているのかも知れないが、ファンは違うと思っている。


 ――まず間違いなく、ユージンを腐らせるための策なんだろう?


 コボルトが精剣のスキルを使っている理由を、ファンはそう考えていた。ミマの死によって、村全体を包み込む防御魔法は消えた。それによりコボルトは有利になったはずが、ユージンが攻めだけでなく守りにも回り、結局、コボルトは相当な損害を出している。


 ――ユージンがいなくなれば、もっと楽勝になる。……違うか?


 問うたところで心中では虚空にも届かず、ファンは答えは得られない。


 カラも、ファンの考えをどこまで理解しているか。


「……ユージンは……」


 溜息交じりに出した言葉と共に、ファンとエルへと目を向けた。


「ユージンは、妹が迎えに来てくれるのを、待っているんでしょうか? だから今、眠っている人を、幸せだっていったんでしょうか?」


 迷いがあった。その心情を理解して接しなければならないといわれても、カラには接し方が分からない。


「……そうかも知れません」


 エルが返事をするのに、時間はかからなかった。


「でも必要なのは、理解しようとする姿勢ですよ。共感しなければいけないという事はないですし、否定から入らなければ、ちゃんと話せますよ」


 これは言葉が出るのに任せたのではない。



 エルとファンが二人旅を続けていられるのは、相手を否定しない事、理解しようとする姿勢を崩さないからだ。



 カラとユージンが、どれくらいの時間を共に過ごしてきたのかは、エルには分からないが、ユージンがミマの事をここまで考えているのならば、姉妹であるのだから同様の時間を共有しているはずだ。


「……立ち直るッスよ、ユージンは」


 帳簿を閉じ、ファンは腰を上げた。交わした言葉は少ないが、それでも多少の為人ひととなりは分かった。


 くすぶっていると感じる態度が目立つが、燻っているという事は、まだ火は消えていない。


「その間、自分は自分のできる事をするッスよ」


 トラウザースについた埃を払うファンの顔には、芸人としての笑顔がなかった。


「襲撃の間隔からして、早かったら10日もすれば来るッス。動ける人が増えたら、してもらう事が、いっぱいある」


 笑顔が消えてしまったファンの顔にあるのは、剣士の表情である。


 ――ユージンを待つ時間は、稼がないとな。

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