ニア・サイデュー
「……なんだよ、それ」
「ファラ・サイデュー。ニアの姉だという彼女は、ニアが作り出した架空の人物じゃないか、ってことだよ」
「ファラが架空の人間⁉︎ 何を言い出すんだティム!」
僕はあまりの突拍子のない話に、つい声を荒げた。店の客が皆こちらを振り返る。
僕は我に返って、落ち着いた調子で言い直した。
「ファラが……架空の人間? じゃあ、じゃあ僕が会っていた、一緒に過ごしたファラは誰だって言うんだ?」
ティムは深呼吸のように呼吸をして、僕の目をじっと見た。
「……ニアだって言うのか? 彼女が、二役で姉と妹を演じていたと?」
「あの二人が一緒にサークルに顔を出したことあったか?」
「あっただろ、ほら……」
「いつ?」
「…………」
「双子みたいによく似た姉妹。でも何だかんだ理由を付けて、同時に現れるのはどちらか一人だけ。首のほくろのあるなしで見分けられる、なんて言ってたが、あんなのはメイクでどうにでもなる」
「いや、でも。ニアは元気な子供っぽい子で、ファラはどこか影のある……大人びた……。好きな食べ物だって、聞く音楽だって違ってて。そうだ、思い出した。二人で一緒に来るって言った日があった。あれは……去年、夏休みに入ってすぐだった。ルネとデフォレストが、強引に約束を取り付けて……」
「でもそうならなかった。理由を憶えてるか?」
「……ファラが体調を崩して……検査入院した」
「そう。ファラは一旦退院したと言う話だが、サークルにはあまり顔を出さなくなった。病気はガンで、経過を見ながら通院していると。優しいお前はしきりにファラを心配して、たまに来た時には彼女に特別に親切だったな」
「…………」
「メンバーに確認したんだが、誰も彼女の家を訪ねたことがないんだ。立ち入ったことを聞くようだが、君は?」
「……ない」
「不思議なことに、皆電話も掛けないでくれと言われていた。SNSのDMをくれと。君もそうなんだな?」
「それは……彼女が前の母親との間の望まれない子供で、今の母親が彼女にだけ厳しくて、友達と遊んでばかりだと思われると辛く当たられるから、と……」
「つまり君も、電話を掛けたこともないし、彼女に厳しいという親にもあったことがない」
「…………」
「ファラが入院していたという病院は?」
「……サンノゼ・州立医療センター」
「見舞いに行ったことは?」
「…………」
「ないんだな?」
「みんなでお見舞いに行こうと予定は立てた。病室でも読める本や、映画のDVDなんかを用意……」
「思い出したか? それも中止になった」
「……ファラの容態が急変して、面会謝絶になった」
「フランス……リヨンの国際チームの手術なら低い確率で助かるという話だった。その出国のための空港で、彼女は亡くなった。葬儀には? 呼ばれたのか?」
「ファラは……望まれない子供で、親戚の手前大々的に葬儀をすることも出来なくて、近しい身内だけで慎ましくやると……」
「分かるような分からないような理由だな。ニアが言ったのか?」
「…………」
「おかしいと思ったんだ。病気とは言え空港で人が亡くなって、全くニュースにならないなんて。SNSで検索しても誰一人それについて呟いていない。俺は空港に直接問い合わせたが、そんな事実はないと言われたよ」
「あり得ない……ファラは確かに居たんだ。自分が病気で苦しんでるから、病気を克服したら同じ気持ちでベッドに横たわる人たちの支えになりたいって……勉強して、資格を取って……」
「LCSW?」
ティムはバッグからレターを取り出し、中身を広げて机に置いた。
「今年度の州のLCSW資格取得者の名簿だ。ファラ・サイデューの名前はない。サイデューの名前も。ファラの名前も」
「…………」
「ここからは、俺の想像だけど」
友人は話を切ってジンジャーエールを一口飲んだ。
「……サークルに出入りする人間は多い。ニアはどちらかと言えばどこにでもいる、目立った特徴のない子だった。その他大勢に埋もれるような。最初は軽い気持ちで架空の姉を演じたのかも知れない。けれどそれがスタッフに受けて彼女の試みは予想以上の成功を収めてしまった」
「注目を、集めるため……?」
ティムは肩を竦めた。
「最初はそうだったのかも知れないな。だが、嘘が嘘を呼び、話が膨らんで引っ込みが付かなくなった」
「居てはいけない姉を病気にし、入院させ、面会謝絶にして……殺した」
「そして、悲劇の姉のストーリーを利用して今、恋人を得ようとしている」
僕は手にしたグラスのコークハイの氷が溶け切って、すっかり水っぽくなっていることに、その時初めて気が付いた。
俯くと、ティムが置いた名簿の下に、ファラからの手紙が重なっているのが目に入った。僕にはその最期の手紙が、さっきとは打って変わって酷く不気味な錆び臭い手紙に思えた。
その時、スマートフォン唸った。
心臓がどきん、と跳ねた。
着信を伝える振動だ。
着信 ニア
とても出る気にはなれない。
彼女は、その着信表示の画面の写真の中で弾けるように笑っていた。
僕はその眩しい笑顔のニアを、ニア・サイデューという人間を、その存在を、冷たく硬くなってゆく心でとてもとても遠いものに感じていた。
ファラとニアと最期の手紙 木船田ヒロマル @hiromaru712
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