#41 俺の物語はいつか

 結局。

 俺が捜査局を去ることになったのは、それからさらに一週間後となった。


 カノプス逮捕に際し、スクリアルワールドではあれだけのことが起こったからな。捜査局は事後処理に大忙しで、俺のことはすっかり後回しになったのだ。

 異世界ならばいざ知らずだけど、今回の戦いの舞台は他ならぬ地球だった。あの場で起こったことはとても公にはできないから、捜査局や政府はあの手この手で隠蔽をはかっているという。

 ニュースや新聞で語られている無難なカバーストーリーがその証拠だ。

 例えば、過激派が深夜に侵入して暴れて爆発したとか。爆弾テロが起こったとか。自衛隊や米軍の軍用機が墜落して爆発とか。アトラクション用のガスが誤って爆発したとか。なんにしてもとにかく爆発したとか。あの場で本当に起こったことは、今やそんなもっともらしい嘘の中に葬られつつある。


 それと、別れが長引いた理由がもうひとつ。俺の体が冗談抜きの重体に陥っていたことだ。三日ほど眠り込んで目覚めたあとから聞いた話では、やはり地球人がアンベルドルクを振り回すという大反則技には身体構造上かなりの無理があったらしい。


 それでも俺がアンベルドルクを抜くことができたのはなぜかというと、カノプスがこの体に小まめな輸血を行っていたおかげで魔力が残留していたことと、グラスタリア人と地球人の肉体がたまたま相似していたことが幸いしたらしい……つまりは、単なる偶然というオチだった。


 アイリスに言わせれば、剣に宿る守護竜アンベルドルクが俺を認めでもしないとあんなことはできないという話だが……それは、俺にははなはだ疑問である。


 仮にこの短い日々の中で俺が少しでも変われたとして、俺はそこまで立派な奴になれたのだろうか。


 ……残念ながら、その自問の答えはノーになる。

 俺は未だに何者にもなれてはいない。遠野観行が何者かになれるのは、きっともう少し後の話だ。

 胸を張って、みんなと別れたそのあとの。




「本当に、それでいいのかい?」


「……はい。俺なりに、ちゃんと考えて決めました」


 そして迎えた今日、俺は捜査局の玄関に立っていた。異世界に繋がる地下のゲートではなく、慣れ親しんだ秋葉原に――相変わらず退屈で残酷な現実に繋がる扉の真ん前の方に。

 見送りの顔ぶれはまったく簡素なもので、いるのはただ二人だけ。アイリスと、彼女が抱えるロボの頭……ナイトラスと。


「っていうか。ボスの方こそ、本当にそれでいいんですか……」


 ナイトラスは現在頭部のみという非常に不気味な状態である。体に強化装甲を取り付けてスクリアルワールドへ同行したはいいものの、あの大立ち回りのせいで頭以外のほとんどが修理工場行きになったらしい。


「いや、何。どうせ風紀課にいたところで、私はあまり働かないからね。頭脳労働にはこれでも充分さ」


 なにしろ頭だけだから、とか言ってひとりで笑っているロボ上司を無視して、俺はアイリスに向き直る。

 彼女には言いたいことがたくさんある。だけどそれを今すぐ言葉に換えるのは難しくて、何を言ったものかと悩んでいるうちに、向こうからぽつりと問いかけられた。


「――結局、しないのね。異世界転生」


「ああ」


 そう。俺は結局、レプリカ作戦の報酬として与えられる異世界転生を返上した。理由はまあ……テンションに身を任せてあれだけ高らかに叫んだくらいだから、今さら言わなくてもわかるだろうが。


 異世界転生もチート能力も、ただ誰もが無条件に与えられ、幸せになれるというだけの簡単なものじゃなかった。

 たとえ俺が転生を選んだところで、その先にはアイリスやカノプスが語ったような不平等や不条理がいくつもあるだろう。その天秤を無理矢理に己の方へ傾けようとすれば、きっとどこかの誰かが傷ついて辛い思いをすることになる。


 それに、カノプスは言っていた。能力臓器の商品価値を高めているのは、その移植にビジネスとしての需要をもたらすのは、俺のような都合のいい転生を望む人間たちなのだと。

 だとすれば、きっとこの先もチート・ビジネスはなくならない。呪わしき需要がある限り、同じことを企む犯罪者はきっとまた現れる。

 それを止めるために、こんな俺にできることが何かあるのだとしたら。それは結局、チートやハーレムを望まないことぐらいしか――俺がこの人生を精一杯に生きることぐらいしかないと思ったんだ。

 我ながら気の遠くなるような紆余曲折の果てに取り戻したこの人生を、今度こそ無駄にしないためにもさ。


 所詮はやせ我慢を格好いいと勘違いしただけの青臭い答えなのかもしれない。だけどこれはアイリスたちとの出逢いが、過ごした日々がくれた答えだ。きっと意味があると信じたい。


「俺なりにさ。色々と考えたんだ」


 複雑に考えたあれこれを、わかりやすくまとめればそんなところだ。明るく答えたつもりだったのに、アイリスはなぜか不安げに、


「それは――『どこまで行っても、残酷で退屈な世界からは逃げられない』から?」


 そんな問いを、投げかけてきた。せっかく俺というバカのお守りから解放される素晴らしい日がきたってのにな。

 別れを惜しんでくれているのか。それとも……自分の主張が俺に異世界転生を諦めさせただなんて、感じなくてもいい責任を感じているのか。


 後者だったら水くさいことこの上ないし、ここできっぱりと否定しておくか。


「違うよ。わかったんだ。俺が生きるべき物語ってやつは、どんな世界でも、どこの異世界でもなくて――」


 握り拳で胸を叩く。彼女が信じてくれたものは、俺が彼女から受け取ったものは、今も確かにそこにあるはずだから。


「どこでもない――ここにあるってことがさ」


 胸を張って言い切ってやると、アイリスは一瞬呆気にとられて、それからクールに鼻を鳴らした。


「……その。遠慮なく言うけど、ものすごく……イタいわよ。その台詞」


 皮肉な微笑みが添えられる。不思議と悪い気がしない、魔法のようなシニカルスマイルが。


「誰かさんが教えてくれたことのおかげだよ」


「教えた覚えなんてわたしにはないけれど」


「そうだろうね。俺が勝手にゲームやって、勝手に影響されただけ」


 言うと、アイリスは笑った。俺も笑った。

 そう。言ってしまえば、俺たちの絆なんてものはその程度なのだ。友達じゃあない。これからは仲間ですらなくなる。恋人なんて論外だ。

 結局、言葉で表わそうとすれば大したことのない間柄なんだ。俺たちを繋いでいるのは、関係とさえ言えない細い糸にすぎないのかもしれない。



 

 ……なのに。

 なのに、どうしてこんなにも、目頭が熱くなるんだろう。




「……もう、逢えないんだよな」


 涙を堪えることに懸命になりすぎて、言わずにしまっておこうと思っていた言葉が口から漏れる。今日までのいろいろで劇的に変われたような気がしていたけど、俺の本質はやっぱり弱いままらしい。


「そうね。あなたが違法転生者になってくれるなら別だけど。そうなったら今度こそ逮捕してあげる」


 アイリスがいつもと変わらない調子でそんなことを言うものだから、俺は思わず笑ってしまった。

 ああ、これなら大丈夫だ。アイリスがいつも通りなら。俺もきっと泣いたりなんかせずに、いつも通りの調子でやっていける。


「最後までひねくれてるよなあ。俺が死にかけてたときに泣いて抱きしめて愛してるって言ってくれたアイリスさんはどこに行ったんだ」


「言ってないわよそんなこと! サラッと捏造しないで!」


「いや。私はしっかり見ていたよ。実は観行くんが気絶したあとなんだがね――」


「ボス。川に捨てますよ」


「ごめん。すまない。それだけはやめてくれ」


 頭だけのナイトラスとむくれるアイリスとのやりとりをおかしく思いながら、俺はまったく別のことを考えていた。

 俺が異世界間の犯罪者になったとしたら、その時はアイリスとまた逢える。そんな誘惑めいた妄想をだ。


 正直に言おう。

 そうなりたいという気持ちもある。犯罪者としてでもいいからまた逢いたいと、またここに戻れるならなんだってすると、心の中で泣き叫ぶ俺も確かにいる。

 だけど、そんなことは絶対にしない。俺たちが辿ってきた物語のすべてを裏切ったりなんて、しない。


 だから今日この日からの俺は、まったく別の戦いに身を投じるんだ。アイリスから、捜査局のみんなから受け取ったものを、確かに守り続けるという戦いに。

 それはきっと、決して投げ出してはいけない、俺の物語の続きでもあるのだから。


「じゃあ――」


 俺はそろそろ行くよ、と言いかけたところで、アイリスの背後から小さな人影が飛び出してきた。

 見れば、それはいつかカフェテリアで顔を合わせた男の子だった。俺と同じように、カノプスの野望に巻き込まれてしまった被害者でもある。

 この子も本当ならばとっくに施設やら親戚やらに引き取られているはずなんだけど、今回の騒ぎのせいでまだ行き先が決まっていないらしい。

 名前はなんだったっけ。タケシだったかユウタだったか。全然覚えてない。

 物覚えが悪い俺とは対照的に、ちびっ子の方はすぐに俺が誰だかわかったようで、


「あ。オタクの人!」


 ……最初にねじくれた名乗り方をしたせいか、ヘンに覚えられているようだ。

 オタクじゃねえよ、遠野観行だよ――そう訂正しかけてから、一丁カッコつけてやろうと思い立つ。


「……ごめん、あれは嘘だ」


 俺はちびっ子と同じ目の高さにかがみ込み、小さな決意を語ることにした。


「実は俺、自分が誰だったのかをずっと忘れててさ。こないだやっと思い出したんだ。やっぱり、俺は主人公なんだって」


 名前も知らない男の子は首をかしげた。そうだよな。いきなり目の前でこんなこと言われても、なんだコイツと思うだろう。


「きっとまだ、俺のお話なんて誰も知らないかもしれない。だけど……それでもきっと、俺は自分の物語を生きてる、主人公なんだ」


 半ば自分に言い聞かせるように、恥ずかしい台詞を言い切った。我ながらわけのわからん痛い発言だ。早くも悔い始めていると、男の子は何かをわかってくれたのか、


「がんばれ」


 と、励ましの言葉をくれた。子供ながらの直観で察してくれたのかもしれない。


「ああ。そっちもがんばれよ」


 きっとこの先、俺にもこの子にも辛いことや哀しいことがあるだろう。

 だけど、それでも……みんながいなくても。自分に特別な力なんてものが何もなくても。それでもきっと、俺たちは歩いていけるはずだ。


「じゃあ、アイリスさんも、ボスも。色々ありがとう。俺は行くよ」


 歩き出そうと、俺は最後の挨拶を口にした。言いたいことの一割も込められていない、あまりにもありきたりな言葉で。


「……ええ。元気で」


 その素っ気ない挨拶を最後に、俺は少女と子供、それから首だけのロボに見送られて、捜査局を後にした。 

 握手ぐらいはしてもよかったかもしれないと、背を向け歩き出してから後ろ髪を引かれてしまう。だけどそんなことをすれば、今度こそ俺は戻れなくなる。

 自動ドアをくぐり、病み上がりで覚束ない足取りで階段を降りて、俺は秋葉原の街路に、現実の只中に足を踏み入れる。


 さあ、帰ろう。

 これでお別れだ。


 俺は残酷で退屈で、魔法も奇跡もチートも何もない、異世界に比べれば面白みの欠片もないこの現実の住人として、新たな一歩を踏み出した。




 なのに。




「――――観行!」


 あいつの声が、背中を叩いた。


 そうするまいと思っていたはずなのに、弾かれたように振り返ってしまう。

 捜査局ビルの入り口から飛び出してきたアイリスは、肩で息をしながら俺をまっすぐに見つめていて。

 深い青の双眸からは、いつものクールなあいつからは信じられないくらいの涙があふれ出ていた。


 なんだよ。なんできみが泣くんだよ。そういうみっともないのは、別れたくないとすがるようなのは俺の役だろ。


 だってアイリスが泣くってことは、彼女もまた別れがつらいと思ってるってことだぞ。そんなのを俺に見せるなよ。いくらなんでも、ズルすぎるだろ……!


 アイリスは涙を拭いながらぐすぐすと鼻を鳴らして、それから二言三言を言おうとするけれど、いずれも喉を鳴らすのみに終わってしまう。彼女だけじゃない。俺だってそうだ。言いたいことが多すぎて、溢れてくる思いが強すぎて、ぜんぶが喉に詰まってしまう。


「わ、わたしは――」


 言いかけたアイリスは袖で涙を拭って、まっすぐに俺を見た。出逢ったころの冷たい眼差しとは正反対の熱い思いを、夜明けの空色の瞳に宿して。


「わたしは絶対に忘れない。覚えているから! これからも、ずっと覚えてる――――あなたの物語を!」


 その言葉に胸を撃ち抜かれて、俺の目からもついに熱いものがあふれ出した。

 いつか教えられたことを思い出す。物語は数多の世界をつなぐ接点であり、


「……世界は、物語で繋がっている……」


 思わず呟いてしまったそれは、もしかしたら俺とアイリスという二人の間でも同じなんじゃないだろうか。物語が世界を繋ぐように、きっと人と人をも繋いでくれるとしたら。


「だから、また――!」


 彼女に言われなくともその先がわかる。俺たちはいつかどこかでまた逢える。だって、実際に俺たちは出逢えたじゃないか。それはきっと、俺が彼女の物語をずっと覚え続けていたから。


 俺はもうこれ以上自分のみっともない姿を見せなくてすむように、慌ててアイリスに背を向けた。それから自分が少しでも強く見せられるよう、颯爽と握りこぶしを突き上げる。


 そうだ。俺たちはきっとまた逢える。だから別れを悲しむ必要はない。この涙は見せなくていい。俺は静かに歩き出して、秋葉原の雑踏に紛れた。

 そのまま無心で歩き続けるうちに駅前までたどり着いてしまう。振り向けば捜査局のビルはもう見えなくなっていた。


 周りには俺と同じようなオタク趣味とわかる人々が歩いていて、妙な落ち着きを覚えてくる。美少女とかロボとかミリオタとかボドゲとか、ジャンルは色々あるけれど、基本的にはだいたいみんな愛と勇気と希望と正義と……そういうのを抱きしめた物語が好きで、本当だったらいいなと願ってて、だけど幻想だと諦めてる。いつかの俺と同じように。


 ……いや。本当にそうなんだろうか?


 ふと立ち止まり、振り返ってみた。アニメやゲームの宣伝が溢れるこの街並みの中に、あるいはここからずっと広がるこの世界のどこかに、もしも。


 もしも……諦めていない誰かが、この俺の他にもいるとしたら。


 もしも……俺が、これまでみたいな言い訳とは違う本当の意味で、特別でもなんでもなかったとしたら。


 俺がこんな遠い遠い回り道を辿ってやっとわかったことが、実は呆れるくらいにありふれていたとしたら。

 多くの人が俺と同じように、どこかで主人公になりたいと思い、今この瞬間もなろうとしているのだとしたら。

 だとしたら、この世界ではきっと誰もが自分の物語を生きていて。

 この退屈で残酷に見える世界には、誰も知らない物語がたくさん息づいていて。


 もしもそうであるのなら、この世界は最初から――――


 なんだかこの先の景色が妙に気になって、俺はまた歩き始めた。

 想い出の証として首にかけている身分証を目の前にかざす。

 残念ながら、数字はあの時から変わらないままだ。

 だけど、きっと他の何かは変わっている。だって俺が歩いているこの世界は、退屈と残酷だけに支配されているわけじゃないんだから。


 確かにマンネリ展開ばかりの退屈があって、ときどき心の底から世界に愛想を尽かすくらいには残酷だろう。だけど時々は胸躍る冒険とか涙が溢れるドラマの舞台にもなって――そんなさまざまな物語があって、その向こうでたくさんの世界と繋がっている。


 そうさ。慌てて絶望することなんかなかったんだ。

 きっと俺たちの物語は、まだまだ始まったばかりなんだから。




 かくして、俺は日常に戻った。人より優れた能力も便利なスキルも能力もない、物語るにはあまりにも退屈すぎる日常に。


 だけど俺は忘れない。

 誰かが見た夢の先を守るために戦い続ける、彼らと過ごした日々のことを。


 だから俺は絶対に忘れない。

 俺たちが夢見るすべての世界が、どこかで必ずこの現実と――



 俺たちが生きる物語と、繋がっていることを。

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