「また会いに来たよ」
吉岡梅
ドアの隙間の手紙
目が覚めた時、何かがいつもと違うな、という雰囲気を感じました。なんでしょうか。のろのろと半身を起こし、まだ覚醒しきっていない頭のまま部屋のなかを見回しましたが、特に変わったところはありません。私には広すぎる寝室に大げさなベッド。毎日ユゼフがふかふかにしておいてくれる枕。その傍らには読みかけの文庫本、クマのローザの縫いぐるみ、陶器のアロマポット、寝返りを打った際に脱げたのであろうナイトキャップ。どれも目覚めるたびに見る物ばかり。気のせいかしらん? 私は、ひとつ伸びをしてベッドから降り、勢いよく紗のカーテンを両開きに開きました。2階から外を見下ろしてみても、いつもとかわらず碧い湖が広がっているばかりです。
降り注ぐ朝日が、薄暗かった部屋の中を一気に色付けます。その気持ち良い光を浴びて、私は思わず大きく腕を伸ばし、ネグリジェの裾がふわりと浮き上がるのもお構いなしにくるりと一回りしました。そのはしたなさにはたと気づいて裾を押さえ、きょろきょろと辺りを見回した時、ドアの下の隙間から、1通の手紙が差し入れられているのを見つけました。
裸足のまま絨毯を踏みしめ手に取ってみると、手紙は深紅の蜜蝋で封をされていました。お魚が跳ねたかのようなソモン家のへんてこな家紋。手紙を手にした私の胸には、少しの驚きと、ああ、やはり、というなにか納得したような気持ちがないまぜに溢れてきました。気持ちを整理整頓する間も惜しく、ペーパーナイフを取り出して封を開けると、そこには見慣れた文字が踊っていました。「親愛なるユノ様――」。
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親愛なるユノ様、3月になりましたね。東方にある日本という国では、3月は物事がひと段落する季節であるそうです。もう、お察しでしょうか。そうです、お別れの時が来たようです。この手紙をお読みになっている頃、既に私は「
かれこれ、1年は前になりますでしょうか。確か、若葉が芽吹き始めた頃でした。
腹の虫を
初めて参加させていただいたのは、そのひと月後でしたね。「薔薇香る夕食」をテーマとされた催しに、私も参加させていただきました。「薔薇」からヴァンパネラを連想し、深紅のヴァンパネラ・クラブを食材に使うことを決め、調理方法を思案しました。結局、ボイルした蟹を薔薇の花弁のようにくるりと並べ、薔薇のエッセンスを含んだスパイスで味付けした一品をご披露させていただくこととなりました。
思い返すと、初参加という事もあり見栄を張っていたのでしょうね。花びらで飾り立てたうえに、薔薇と梅をベースにしたソースまで作って、殊更に色彩かな見た目の仕上げの皿となってしまいました。なんとも面映ゆい思い出です。サロンの皆様や、ユノ様に温かいお言葉をいただいたときは、正直、ほっといたしました。
その後、いろいろとあってこちら側で暮らすようになった私にとって、月に一度のサロンへの参加は、特別な楽しみとなりました。同じテーマを元に、テーマを切り取るその切り口やあじわいの違いを比べる、という趣向は、とても新鮮で刺激的でした。もちろん、味わうだけでなく作ることも。
テーマの言葉を元に、自分だけでは思いつかなかったであろう一品を生み出していくのは、非常に楽しい作業でした。テーマの言葉は、まるで真珠貝が抱え込んだ核のよう。その周りに、少しずつ肉付けをしていくのは、時に苦労もしましたが、どこかその苦労を楽しませていただいていたような気がします。
そうして自分なりにいろいろと考え、工夫した一皿を、いかがでしょうか、と、お目にかける瞬間は、いつも何か妙な緊張感がありました。我ながらうまくいったものや、いかなかったものもありましたが、どれも皆、今でも愛着のある一皿です。
ところで、ここだけの話ですが、実は私も昔、湖の向こうでサロンのホストを務めさせていただいていた事があります。サロンというものは楽しくもあり、面倒でもあるものです。私がかつて関わっていたサロンでは、なんと言えばよいのやら……。言うなれば、魚と蟹がいつもチクチクとやりあったり、イカが珊瑚をひっくり返したりするようなありさまも日常茶飯事でした。もうホストなんてこりごり。そう思っていたのです。
そのため、しがらみの無いこちらでは、気楽ないち参加者として食事を楽しもう。そう考えて参加させていただいておりました。しかしそのうちに、あることに気付きました。それは、ユノ様の丁寧なサロンの運営っぷりです。本当に細やかで、丁寧で、自らも楽しんでサロンの中をゆかしく逍遥し、ひとつひとつのお皿に接する様は、目から鱗が落ちるかのようでした。
時に、サロンの参加人数が思いのほか多い事もありました。そんな月には老婆心ながら、ユノ様は料理を全て食べきれるのだろうか。お腹いっぱいでご無理をされているのではないかしらん、と心配したものです。割と結構そこそこ膨大な量でしたものね。しかしながら、ユノ様は涼やかに、ゆっくりですが全てのお皿の前へと足を運び、丁寧に味あわれていました。関係の無いウニが紛れ込んでいたかのようなお皿ですら、さらっと対応され、何事もなかったかのように楽し気に次のテーマをお決めになっているのを見るたびに、ある種の畏敬の念をいだく程でした。素晴らしいホストとしての佇まい、お見事でございます。
そんな楽しい催しも、この3月でひとまずは一区切りとの事。本当にお疲れ様でございました。心から感謝申し上げます。
そして、ユノ様の立ち居振る舞いを拝見し、不詳ながら私もひとつ決心をいたしました。私が湖の向こうに嫌気がさし、地上へと逃げてきてから1年になります。しかしながら、もう一度、あちらへと帰ってやり直してみようと思います。夢のような月日と別れ、碧の湖のその向こう、七つの海のひとつであるアクサンの海で。
今、あちらでは、七つの海の七種の種族が覇権を争い互いを傷付けあっております。事の発端は魚族であるアクサンの新王、つまりは私目の弟の暴走です。兄として、また、海の民として、今一度あちらへと戻り、争いを収められるよう、尽力したいと思います。
もちろん、力ではなく、ユノ様に教えていただいたような融和と、そして美味しい料理を持って。魚族と甲殻族が、互いにサメやカニを
ユノ様もどうかお元気で。ユノ様、そして、サロンの皆様方に、地上の神の祝福と新たな出会いのあらんことを。もしご縁があれば、またお会いしましょう。その時は、事の顛末を皿に乗せ、またお食事をご一緒させていただければと思います。
しかしながら、ユノ様達に比べると、我々魚人の寿命は短いもの。次にお目にかかるのは、私の子供か孫、ともすればひ孫になるかもしれません。もし、ソモン家の家紋を持った魚が訪ねてきたら、お声をかけてあげて下さい。私もよくよく言っておきましょう。お声をかけていただいた際には「また会いに来たよ」と伝えるよう。
それでは、そろそろ私はゆきます。重ね重ね本当にありがとうございました。
「また会いに来たよ」 吉岡梅 @uomasa
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