星の器

「やっぱり、アレに似ているよな」

「……そうですね」


 未だに裸足の指が身もだえるように動く、ラビが憚るように小声で応じると、女ふたりはじろりとリドルを睨みつけた。


「いやらしい魔術だよな」


 リドルはふたたび諸手を上げて降参の意を示す。


「だからそれは、ぼくのせいじゃなくて……文句は〈一番ノ魔女〉につけてくれ。呪いの力が源なんだから」


 リドルは辞書の扉をめくり、それを検めようとしてかぶりを振るう。辞書をアルルに手渡すと代わりに見取ってと頼んだ。


 ラビも気になりアルルの手元を覗きこむ。はたして辞書の扉はその一面を黒に塗り潰され、白抜きの模様とひとつの単語が浮かび上がっていた。

 白い点がたわむ円形を作るそれは夜空の星座のようにラビには見えた。その扉の中心に流麗なる字体で〈安定〉といった意味ほどの古語が書かれてある。


 痺れを切らしたリドルが扉の模様をなぞるアルルをせっついた。


「どうなの」

「不動星は〈安定〉と出ている。周回星はずいぶんと均衡の取れた〈星〉に見えるけど。どこにも偏らない……ほとんど円形の平均律だね、これ」


 リドルはたまらず吹き出した。アルルはむっとくちびるを尖らせる。


「そりゃあ、アルルとは正反対で」

「兄さまが読み解いたほうが正確だと思うけど。……あたしの見立てじゃ、まるで当てにならないだろ」


 ぶっきらぼうに辞書をリドルに返すと、アルルは鼻を鳴らしてみせた。ラビはその辞書の扉に現れた白黒の図表めいたものを熱心に見つめている。


「これが……わたしの心模様?」

「そう。ぼくはこれを〈星の器〉と呼んでいる。星座みたいでしょ」


 リドルは説明をそらんじる。


「扉の中心にある文字が〈不動星〉で、これはこの辞書が導き出したきみの総評、ようはラビ・リンディスという個人の礎を示すもの。周りにある白い点が〈周回星〉で、きみがこれまで会得してきた素養を示すものだ。それぞれの星が外側に向かうほど、辞書からの評価が高いということ」


 なるほど、とラビはうなずいた。


「栄養学の食品成分表みたいですね」

「きみを献立に使えば、本日の栄養素はおおよそ補填できるわけだ」

「ヒース高原産の高機能食材だったのかい、きみ」


 ふたりのからかいは無視、ラビの胸中は思いのほか複雑である。この星座のどの方角がなんの指向を示しているのかはさっぱりだけど、ここまでまんべんなく丸いと指摘されるとは思いもよらなかったのだ。


 省みてみれば、学生時代から苦手科目があることが許せなくて欠点と目す穴をせっせと埋めてきたけれど、長所を伸ばそうと努力したことはほとんどなかった。ある程度のことを学べば十分だと思っていた。


 そうした心の動きに鑑みて、可もなければ不可もない没個性の器用貧乏といわれている気がして、ラビはちょっと落ち込んでいたのである。


「まあ、これはあくまでも目安だから。あんまり気にしても仕方がない。今後は変わっていくかもしれないし。扱う辞書によってがらりと違いが出たりするし。いみじくもアルルが譬えたように占いみたいなもので」


 ふたりは元気を失くす新人をなぐさめている。


「目立つ不得手がないことこそ、きみの強みなんだろ。優秀の証じゃないか。万能ということなんだから。あの星なら魔術の失敗はまず起きないよ。迷宮もぐりの予断を許さない状況において、この誰にも勝る〈安定〉は役に立つはずさ」

「……本当ですか」

「あたしの与る不動星より、よっぽど頼りになる」


 胸を張ってアルルが威張ると、リドルが苦笑してつけ加えた。


「アルルの星は〈双極〉といってね、どんな魔術でも極端になっちゃうんだよ。常に確度が揺らいで安定しないんだ」


「ちっちゃいか、馬鹿でかいか、ときたま平均。出る目にムラがあって、あたし自身にも読みにくいから、否応なく攻め立てる戦法しか取れない。大数の法則に頼らざるを得ないんだ。――へたな魔術も数打ちゃ当たる、そういう無手勝流より安定して策を立てられるほうが信用できるだろ」


「その代わり、紋章の展開はめっぽう速い」


 リドルは断言する。


「アルルは魔力が多すぎるんだ。魔術の確度と速度について〈水と器〉の譬えをよくするけど、それに倣えばアルルの貯水量は無尽蔵の水脈といえるよ」



 ――水道と試験管。

 水道から流す水が〈魔力〉そのもの、水を受ける試験管が〈紋章〉だとすると、魔術が発動できる上限値と下限値がこの試験管にある。


 ひとつの目盛りが横に引かれる試験管があるとして、この線より上まで水を満たさないと任意の魔術は発動しない。これが魔術の下限値である。


 その反対、上限値とは試験管の容量そのものであり、これを越えて水があふれてしまうと魔術は発動しない、または暴発するかで術者は操りきれなくなる。


 しかして魔術の確度とは、この下限と上限のあいだの領域にちょうどよく水を注ぐことにあり、上限に近いほど魔術がしっかりと、より強く発動する。この扱う魔術によっては試験管の容量ならびに目盛りの位置が異なってくる。


 魔術の速度とはつまるところ、いかに任意の分量まで水を速く注げるか、これが肝要になるため、魔術師としての素養がここに際立って現れやすい。とりもなおさず水を流せる最大量はこの術者の力に伴うためである。


 それでも、蛇口をひねり水道から流す水量はその術者によりけり、手癖も様々である。試験管から水がこぼれないよう慎重に水をほどよく流す術者もいれば、その蛇口を全開に目いっぱい水を流して試験管に溜める術者もいる。

 要約すると魔力の多い魔術師はそれだけ速く紋章に魔力を注ぐことができる。


 アルルはいつも蛇口から流れる水が多すぎ、あまりに速く試験管に溜まるので、魔術の確度を制御しきれないのだ。



「アルルはせっかちすぎるんだよ。もっと慎ましやかに魔力を流せばいいのにね」

「ちまちま魔術を操れってか。あたしの性分じゃないね」


 アルルは長椅子にふんぞり返っている。


「そういうわけで、魔術師同士の組み合わせとして、きみたちふたりの相性は思いのほかいいように思える。たがいに補い合えばアルルの弱みが薄まって、さらに向かうところ敵なしだろう」


 リドルはラビに向き直る。


「アルルについていくのは大変だと思うけど、しばらくはアルルにつきっきりで助手の見習いをやってみて。こと魔術に関してなら学べるところも多いはず、あるいは反面教師にでも」


 アルルがべえっと舌を出した。


 リドルは衒いなく辞書を閉じると、空の手のひらに小ぶりの炎を出して、その燃え盛るさなかに辞書をくべた。

 いきなりの焚書を止める間もなかった。炎の中ですぐさま焦げつき、じわじわと歪んで黒ずんでいく辞書の姿を、ラビは唖然として見つめた。

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