Cp.12 エリック
廊下を駆け抜けて、操船室に飛び込むと、中では操船員たちが慌ただしくしていた。船の各所と連絡を取り合ったり、船の操縦や進行方向について
私が入ったことに気付いたのは、操船室のリーダー、アメリアと、扉の横で操船員の邪魔にならないように壁にもたれていたマルシアだった。
アメリアは驚いたようにこちらを一瞬見たけれど、すぐに自分の仕事に戻った。話しかけようと前に一歩出ると、マルシアに肩を掴まれ、隣におさめられる。マルシアの眉間には深いしわが刻まれ、こちらを制するように見つめて深いため息を吐いた。
「ここへ来たのは誰かの指示かい?」
「いや、私の独断」
「……どうしてそうしようと思った?」
私を見定めるような視線が突き刺さる。マルシアの強いまなざしに、事情は聞くが、内容次第では許さない、と言われているような気がした。
「甲板でユーグたちと話していたら、緊急事態が起きたって聞いたから」
「緊急事態なら、操船室にくるのかい?」
マルシアの声に圧が乗る。大きな声でもないのに、体の芯がすくむような心地がした。それでもぐっと堪え、腹に力を入れて改めて背筋を伸ばした。
「私に何ができるかは分からないけど、それでも事情を知れば、多少は役に立てることもあると思ったから」
「そうかい」
マルシアは相変わらず私の目を見つめていたが、少しして視線を前方に向けた。
「アンタがここに来たところで、出来る事なんてないよ」
それを言われてはどうしようもない。自分の判断は間違っていたかもしれない。それでも、情報だけは欲しかった。今何が起きているのか、何をもって緊急事態だと言っているのか。何一つわからないままなら、たとえ戦える技量を身に付けたとしても、自分がここにいる理由なんてない。
そうおもって唇を噛み、俯きそうになったところで、マルシアの声が降ってきた。
「けど、その判断自体は間違いじゃない。うちの内部事情なんて分からないなりに、ここが一番情報を得るのに最適だと判断したってことだろ?」
私は頷く。
「そろそろ、戦い方以外も教えなきゃと思ってたからね。好い機会だ。アタシから状況を教えてやるよ」
そう言ってマルシアは、前方に広がる窓の景色と、操船員の―――確かエリックだったろうか―――の前に表示された映像を見ながら、いまの状況を教えてくれた。
先ほどなったけたたましい音は、警報音であり、船に何か問題があった時や、船の内外で敵や危険を察知した場合に鳴らされるということ。そして、いまの状況は、後者であること。
敵と断定することはまだできないが、この船に近づいてくるものを察知したため、今こうして確認作業やその対応にあたっているのだ、ということをマルシアは教えてくれた。
「まずは暗視ゴーグルや望遠鏡なんかを使って目視で確認するんだ。ユーグたちがやってたのはこれだね」
「なるほど」
「で、それをもとに精査する対象を絞ってどうするかを考えるのが、ここでやってる仕事だ」
アメリアは周囲で連絡を取り合っている団員たちから情報を集め、逐一モニターの前に座っている男、エリックに共有している。エリックの方は、忙しく手元を動かしながら、相槌一つ打たずに熱心にモニターを眺めていた。
要は、甲板にいる警備担当の団員たちが情報を仕入れて操船室に連絡し、受け取った団員がアメリアに報告して、それを要約して操船を行っているエリックに伝える、という流れなんだろう。
そして逃げるか、応戦するかを選択する、ということだろうか。
「ああ、そういうことか……。私がここに連れてこられた理由、今までで一番納得できた」
「アタシらにとっちゃ夜は視界がほとんどないからね。けど、月光症のアンタなら……」
「昼間と変わりなく周囲を見ることが出来る」
よくわかってるじゃないか、とマルシアが肩をすくめた。
「でも、いまのところ私は夜間の警備に振られてないわよね?訓練ばかりで、こうした事態の対処も、これが初耳だし」
「一人で戦える水準に達してないのと、基礎体力をつけるのが先だったからね。ま、そのうちやってもらうことにはなるから、今のうちに周りがどう動いているのか覚えておきな」
「現地、というよりは司令部しか見れないけどね」
「俯瞰で見ている景色がどうかを覚えるだけでも、実地での動き方は変わるもんさ」
マルシアと話していると、エリックが悲鳴のような声をあげて頭を掻きむしる。それを見てマルシアがエリックに近づき、状況を尋ねた。
「何か問題か?」
「いつも言ってる通りだ。人手が足りない!」
「十分足りてるとは思うが」
マルシアは素早く周囲の団員たちに目を走らせ、現場が問題なくやりくりできていることを確認する。
「他の団員の話じゃない。操船員だ。この船をメインで動かせる人間がいないって話だよ!」
「ああ、そいつについちゃ諦めろって何度も言ってるじゃないか」
「えっと、それってこの人しか動かせないものなの?」
疑問に思い、つい口を挟んでしまった。
「ま、この船が骨董品なせいもあって、クセが強いんだよ」
「クセが強いとかじゃなくて、計算量が膨大なんだよ!刻一刻と変わる風向きとその強さ、天気、方向転換や速度の調整もシャレにならない!全部その場で計算して入力してやらないとこいつはまともに動けないんだ」
とんだ欠陥品めとエリックが毒づく。
「前に私も努力してみたんだけど、さすがに臨機応変に何度も計算を繰り返すってのはついていけなくて……」
アメリアが申し訳なさそうに言った。他の団員たちはそれぞれの仕事に集中しているが、私がふと見回したときに目の合った人は、自分も無理でしたと所作や表情でうったえてきた。
「ああ!僕がもう一人いたら、もう少し楽ができるってのに……!」
「そりゃ無理な相談だね。で?悲鳴をあげた理由はそれだけかい?」
「いえ、後ろからこちらを追ってきている船、恐らく官憲のものだと思うんですが、こちらに向けてスピードを上げて迫ってきていて……」
「加えて、前方数十キロ先には積乱雲。まさに前門の虎、後門の狼ってやつだよ」
ため息交じりにエリックが言う。マルシアは腕を組みながら、どうしようか思案していた。アメリアもどう航行させるべきか悩んでいるのか、穏やかな人柄に似つかわしくない眉間が深く刻まれていた。
「船のデカさはどのくらいなんだ?」
「こちらよりは小さいですが、それでもそれなりの大きさです。官憲の船と考えると、人数は相当乗っているかと……」
「戦闘は、最後の手段にとっときたいね……」
そう言って呻るマルシア。
「えっと、速度を上げて振り切るとかはできないの?」
私の言葉に一同がこちらを向く。マルシアは大きくため息を吐き、アメリアは苦し気に微笑み、エリックは眉根を寄せる。
「いまの会話聞いてたか、新人。僕が一人で操縦を担っている以上、その負担は全部僕にくる。そう簡単な話じゃないんだよ」
呆れた様子でエリックが言う。
「でも、今までもこういった事態がなかったとは思えないし、何より、これまで船が大きく揺れたりすることはなかったでしょ。エリック……なら出来るんじゃないの?」
不安げにエリックの名を口にする。訂正されないところを見ると、名前自体はあっていたらしい。しかし、エリックは眉間のしわをさらに深くして大きくため息を吐いた。
「負担が大きいと何度言わせれば気が済むんだ?それに、積乱雲の中を突っ切るなら、船にも少なからず被害が出る。これから速度を上げるとなると、甲板に出ている団員全員を中に退避させなきゃならない。そうしている間に、追いつかれるかもしれないって話をしてるんだよ」
そのくらい分かれバカ、と言わんばかりの口調だった。
「なら積乱雲を避けて航行するとか、やりようはあるんじゃないの?」
エリックが私を睨みつけてくる。何度も同じことを言わせるな、という視線だ。
「絶対不可能ってわけじゃないだろうが、あまり船の姿勢が崩れるのは好ましくないね」
「そうですね。搭乗している我々の体への負担も大きいですし」
「他にできそうなことってないの?」
「あったらもう言ってるよ」
難しい顔をしてマルシアが言う。三人寄ればなんとやら、ということわざを聞いたことがあるが、困難な計算と船の操縦を担う秀才を含めた四人でもいい考えが浮かばないとは……。こうなれば戦闘をするしかないんじゃないだろうか。
四人でうなっている間も、船の各所からの連絡は鳴りやまない。暗い思案に沈んだ私たち以外の団員たちは、忙しく連絡を受けては立ち働いている。
やがて、腕を組んでいたマルシアが意を決したように顔を上げた。
「よし、少し無茶と
マルシアの言葉に、私とアメリアが疑問を顔に浮かべる。エリックは聞こえないふりをするようにモニターを見つめ、手元を忙しく動かし始めた。
「どうするんですか?」
「速度を上げるのはギリギリまで待つ」
「でも、それだと追いつかれるんじゃないの?」
「ああ。十中八九、先行部隊が乗り込んでくるだろうな」
「それ、マズいんじゃないの?さっき、戦闘は最終手段に取っておきたい、って言ってたじゃない」
「全面戦争はそうだな。けど、こっちには暗闇で動ける人間がいる」
マルシアがいたずらを企むような顔でにまりと笑う。ああ、そこまで言われたらさすがに分かる。
「まさかとは思うけど……」
「ああ、そのまさかだ。ガーネット、もし先行部隊が乗り込んできたらその対処はお前ひとりに任せる」
「嘘でしょ!?さっき、戦える水準にはないって言ってたじゃない!」
「そりゃ、あくまで真っ向勝負ならって話だ。奇襲的なやり方なら、この一ヶ月みっちり仕込んできた分、お前でもやれないことはない」
「全ッ然自信がないんだけど?」
「あの、その奇襲というのはどうするのですか?」
アメリアが小さく手を上げながらマルシアに尋ねる。それを聞いてマルシアがまたにまりと笑う。
「なに、簡単な話だ。今夜は夜警を早上がりさせて、おねんねしてもらうだけだよ」
アメリアは何のことか分からない顔をしていたが、私にはわかった。というより、新参者で他の団員よりも劣る私を運用するということは、それしかない。
その後は、マルシアが忙しく指揮をとり始め、私は指定された後部甲板へと向かったのだった。
* * *
「大丈夫でしょうか?ガーネット」
アメリアが不安げにマルシアに尋ねる。
「たったあれだけの作戦で、長年戦闘訓練を積んできた官憲の兵士を一人で相手にするんですよね?」
「ああ。だからこその博奕さね」
「それに、夜警に出ている団員はみんな船の中に退避させてますし……」
「万が一の保険ははってある。ま、心配しなさんな」
「そうはいっても……」
「それより、大変なのはこっちもだからね」
そう言って、マルシアがエリックの肩に手を置く。一瞬びくりと体を震わせたエリックは、すぐいつもの不愛想な様子に戻り、知らん顔で船の操縦を続ける。
「ガーネットが公僕どもを引き付けてから、いい具合のトコになったら急加速だ。通常運行してる今のうちに積乱雲を避けるルートをとっておけば、ぶつからないだろ?」
ニヤニヤしながらエリックに尋ねるマルシア。
「理論上はね。けど、やらない理由はさっき新人に話した通りだ」
「やらない?はっ!できない理由の間違いだろ」
エリックはモニターから目を離して振り返る。相変わらず悪そうな笑みをたたえたマルシアと真っ向から目が合った。マルシアは口元は笑みを浮かべているのに、目が笑っていない。ガーネットや気の弱い団員であれば、一瞬ひるんでもおかしくない形相だった。だが、エリックはひるむことなく、まっすぐマルシアを睨みつける。
「できない、だと?」
「だってそうだろ。やらない理由をあげつらって行動に移さないのは、凡人が自分に出来ないことを隠すための言い訳だ。違うかい?」
「僕に限っては違う」
「どうだか」
マルシアが鼻で笑ってあしらう。そのやり取りを横で見ていたアメリアは、また始まったと思った。
エリックは基本、頭の回転が速く、計算以外の事柄でもいち早く察知する。だというのに、なぜ自分の能力を軽んじられることに関しては、敏感でありながら鈍感だった。
相手が本気だろうとそうじゃなかろうと関係ない。すぐに腹を立てるし、そこから相手の意図を察知するということも学ばない。
つまるところ、マルシアとエリックのこのやり取りは今回だけではない。両手の指を全て折っても数えられないくらいには繰り返している。
以前、マルシアがエリックを焚きつけるのに、二度目はさすがに効かないかと思って試しに煽ってみたところ、初回と同じ反応を返してきたのだ。これは使える、と思って以来、有事の際に無茶を通そうとするときは毎回エリックを煽っている。
今回も、マルシアが初めてエリックを煽った時と同じ反応だった。普段の英邁さはどこへ行ってしまうのだろうと疑問に思うアメリア。それと同時に、ここまで繰り返しても懲りることを知らないのはもはや才能なのではないか、とも思った。
「ま、船の操縦が出来るのはありがたいけどね。計算が得意なだけの凡才・エリック君には、それが限界ってもんだろう。ま、戦いの方はアタシらでやるから、安心してこれまで通りの安全な船旅を頼むよ」
そういってエリックの肩をポンポンと叩き、操船室を出て行こうとするマルシアに、エリックが叫ぶ。
「上等だ!そこまで言うならやって見せてやる!」
モニターに向かい、手元の紙に何か激しく書いていったと思ったら、手元の装置、キーボードを指ではじいていく。
「“他の”凡才どもならそうだろうがな!この僕に、頭を使うことで勝てる奴なんていない。ハッ!ならもう一個条件を付けてやろう」
振り返って人差し指をマルシアに向ける。
「急加速をしようが関係ない。団員たちに余計な負担は負わせないさ。平時と変わらぬ、安全な航海を約束してやる!」
マルシアがにやりと笑う。アメリアと視線を合わせ、二人同時に肩をすくめた。
「できるのかい?」
「当然だ。この天才、エリック・ニューマンをなめるなよ……!」
ガーネットの明かり ざっと @zatto_8c
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