Cp.11 訓練の日々

「オラ!足が止まってる!」

 受け身をとって跪いている私の元に、マルシアの怒号が飛んでくる。

「ぐっ……こんのぉ───!」

 自分を奮い立たせるように声をあげながら、マルシアに飛び掛かる。体重をのせて振り下ろした拳は、あっさりと避けられて空を切り、肘で背中を小突かれて体制を崩す。

 私は、うげっ、と情けない悲鳴をあげながら、床に倒れ込んだ。

「まだまだ動きが甘い!ホラ、さっさと立て!」

 マルシアはそう言いながら私の肩を蹴飛ばした。

「せめて戦えるレベルになってもらわなきゃ困るんだ。休んでる暇があると思うなよ!」

 マルシアの怒鳴り声を聞きながら、よろよろと立ち上がる。この鬼教官め。

 一発ぶん殴ると決意を固めたはいいものの、渾身の一撃がこう何度もあっさり避けられてるんじゃ話にならない。右手で乱暴に滴る汗をぬぐい、私は再びマルシアに向かって殴りかかった。



 一方、訓練室の端で、マルシアとガーネットの戦闘訓練の様子を眺めていたユーグが、同じく苦笑いを浮かべながら訓練を眺めていたナーシャに尋ねた。

「あれ、どのくらい続けてるの?」

「そうですね、3時間くらいでしょうか……」

「3時間……。ガーネットも随分タフになったな」

「ええ。ガーネットがアジトに来て一ヶ月。その短期間でここまでになるとは、正直思ってませんでした」

「確かに。初日の戦闘訓練で寝込んでたのが懐かしいね」

「初日だけじゃなくて、マルシアさんがかなり無茶な訓練をつけるんで、週に一回は倒れてましたよ」

 ナーシャの言葉に、自分もそうされた経験があるのか、ユーグは乾いた笑いで応えた。

「それにしても、一ヶ月も経ってたのか、と思うのと同時に、一ヶ月しか経ってないのか、って思ってる自分がいるよ」

「それはどういう……?」

「体感としてはもう一ヶ月も……って思ってて、ガーネットの様子を見ると、まだ一ヶ月しか……って思うんだよ」

「そうですね。まともな生活を送ってなかった人が一ヶ月でここまで動けるようになるとは思いませんでした」

「だろう?」

「それにガーネットってば、心なしか背が伸びて、スタイルが良くなってきてるんです。具体的に言えば、胸が少し大きく……ふふ……」

 ナーシャが恍惚の表情を浮かべ始める。ユーグとしては、また悪癖が出てるな、と冷めた目で受け流しているが、おそらく同室のガーネットにはまだ見せていないであろう側面だ。

「成長や回復が早いのも、月光症の特徴なんだろうな」

「そうかもしれませんね。あっ……!」

「どうした?」

「ということは、ガーネットって、もしかしてこれから高身長のナイスバディなお姉さんになるということ……?そんな彼女と同室の私。あぁ!何も起きないわけがなく!」

 聞こえなかった振りをして、ユーグはガーネットの戦闘訓練に視線を戻した。

 自分が迎えに行った時には、もやしのように細かったのに、今では健康的になっている。それどころか、もうしばらくすれば、他の団員のフィジカルを上回るのではないだろうか、という速度で成長している。

 その視線の中に、僅かに警戒をにじませながらも、ユーグは感慨にふけっていた。


  ――― * ――― * ――― * ―――


「いったぁ~い!」

 あれから二時間。トータル五時間の戦闘訓練を終え、私は医務室でナーシャにすり傷や打ち身を手当てしてもらっていた。

「我慢してね。すり傷の方はちょっとしみるかもだけど、あとになっちゃうといけないから」

「別にそのくらいいいよ、気にしないし」

「ダメだよ!ガーネット、せっかく可愛いのに、傷がついたらもったいないよ!」

「傷も何も、そもそも月光症だし」

「それとこれとは話が別!」

「えぇ……別、かなぁ……?」

 疑問はあるものの、ナーシャの勢いに圧倒されてそれ以上は何も言えなくなってしまった。とはいえ、傷の手当てをしてくれるのはありがたいし、打ち身を冷やしてもらうだけでも、翌日の治りの早さが違ったりする。傷痕だのなんだのは気にしないが、次の日も万全に動けるようにするためには、傷の手当てをして損はない。

 そう思うと同時に、思わずため息が漏れた。

「どうかした?」

 私のため息に、ナーシャが気遣うように覗き込んでくる。

「いや、もう一ヶ月も鍛錬しているのに、未だにマルシアに一発もいれられないなって。それどころか、かすりもしないし……」

「それはしょうがないよ。だって、マルシアのあだ名は“闘将”だよ?」

「え……」

 初耳だった。思わず言葉を失うと同時に、納得もしていた。

「マルシアに勝てる人は、男性でもそうそういないんだよ?実際、この団が作られてからは負けたことがないって話だし」

 それほどの実力者が、遠慮なしに私を殴ったり蹴ったり投げ飛ばしたりしているのか。いや、当然手加減はしてくれているのだろうが、それでもつい一か月前まで食事もろくにとれていなかった人間にする仕打ちではないような気がする。

「どうにかマルシアを一発ぶん殴ってやりたいって思ってるのに、それができるようになるのはいつになるんだろう」

 口から弱音が出ていた。そんな様子の私をナーシャは楽しげに眺めている。

「どうかした?」

「ううん。ガーネットって、負けず嫌いだよね」

「どうだろう。他人の思い通りに動かされるのが嫌っていうか、そういう反骨心?だけな気もするけど」

「それが負けず嫌いだってことだと思うよ」

「そうなのかなぁ」

 首をかしげる私に、ナーシャはずっと微笑んでいた。

「はい、手当て終わったよ。これなら、痣も早く引くと思うし、痕も残らないと思う」

「ありがとう、ナーシャ」

 本当に、感謝してもしきれないくらい、ナーシャは私に優しくしてくれる。実際、他の団員は私に少なからず警戒というか距離があるし、操船室のアメリアや、団長のフローラは好意的だけれど最初の顔合わせ以降、会っていない。私を連れてきた本人であるユーグも、顔を合わせれば多少言葉を交わすけれど、適当な世間話を少しするだけで、それほど面倒を見てもらえていない。

 つまるところ、このアジトにおける私の現状の人間関係は、同室のナーシャと、鬼教官のマルシアだけだった。

「それじゃあ、食堂に行こうか」

 手当て用の道具をしまったナーシャが立ち上がる。私も後に続いて立ち、二人で食堂に向かった。


  ――― * ――― * ――― * ―――


 食堂でナーシャと夕食を食べた後、私はナーシャと別れていた。ナーシャはこれから夜の警備のシフトがあるらしく、私はこのまま自室で寝て、翌朝の早朝からまたマルシアとの戦闘訓練にそなえるくらいしか予定がなかった。

 とはいえ、寝るには少し早い時間だし、まだ船の中を全部覚えているわけではないので、退屈しのぎに一人で船の中をぶらついていた。

 甲板に出たところで、見知った人影を見つけた。

「ユーグ」

 甲板の端の方で、誰かと話していたらしいユーグがこちらを振り返る。それにつられて、話し相手の方もこちらを向いた。夜間だし、外ならばそれほど明るくないのもあって、私はゴーグルを外していた。こちらを向く二人の顔が鮮明に見える。

ユーグの隣にいる男は、短い黒髪で、背丈はユーグより少し低いくらいだった。そして、目つきの悪い三白眼をこちらに向けている。

 呼びかけたことでユーグが私の方に軽く手を上げて応えた。

「おう、ガーネット。どうした?お前はまだ警備のシフトは入ってなかったはずだが……」

 ユーグの言葉を聞きながら、私は二人に近づく。何か打ち合わせか内密の話でもしていただろうか。元々目つきが悪いのもあるだろうが、ユーグと一緒にいる男の目つきが険しい気がする。

「別に何か用がある訳じゃないけど、話し相手もいないし、就寝まで時間を潰していたところ。邪魔だった?」

「いや。ちょうど区切りのいいとこだった」

 そう言いつつ、目つきの悪い男に軽く視線を投げてこちらを向き直る。

「いい機会だし、紹介しておこうか。こいつはアリオス。うちの戦闘員で、結構な腕利きだ」

「アリオスだ。お前が噂の新人だな?」

 ユーグの紹介を受けて、目つきの悪い男、アリオスが口を開く。思っていたよりも声が若い。見た目だけで言えば、私よりも少し年上に思えるが、実は同い年くらいなのだろうか。

 アリオスの言葉にうなずきながら、こちらも名乗る。

「ガーネットよ。ユーグに拾われて、ひと月前からここで厄介になってる」

 以前、ユーグにしてもらったように右手を差し出すが、握手するつもりはないと手をかざして辞退するアリオス。深くなれ合うつもりはないという意思表示だろうか。

「気にしなくていい。珍しい武器を使う割に、戦闘では頼りになるやつなんだが、どうにも人づきあいが不慣れでな」

「そうなの……?」

 その割に、ユーグとは平然と話していたように見えた。意図せずアリオスの方に視線を向けていたようだが、アリオスはこちらの視線を避けるようにふっと顔をそむける。

「新参者、ってやっぱり警戒されるものなのかしら?」

「まぁそれもあるんだろうが、アリオスはまぁ、ちょっと特別なんだよ」

「そう……」

 警戒はもっともだ。この組織には良くしてもらっているとはいえ、自分にもまだ拭いきれない不信感はある。とはいえ、こうもあからさまに仲良くしようという行為を拒絶されると、少なからず思うところは出てしまう。

 そんな感情を払拭しようと、話題を変える。

「珍しい武器って言っていたけど、どんなものを使うの?」

 質問の相手はもちろんユーグだった。しかし、その言葉に露骨に眉根を寄せるアリオス。新参者とはいえ、一応は仲間のはずだが、敵に教えるのは意に反すると言わんばかりの態度だった。

 しかし、ユーグは肩をすくめながら答えてくれた。

「クピンガだよ」

「クピンガ?」

「言葉で説明するのは難しいんで、こいつの腰の獲物を見て欲しい」

 そう言われて視線を向けると、そこには三股に分かれいびつな形をした短刀が装備されていた。刃先は直角をなしながら、切っ先にむけてわずかに湾曲している。刺されたら傷口はえげつないことになるだろうその武器は、振り回すには少し不便そうな形状だった。

「主に投げて使うんだが、両刃になってて、斬ってよし、刺してよし、投げてよしの便利な道具なんだとさ」

「使い方は分からないけど、確かに深手は負わせられそうね」

「実際、アリオスが使うと、一瞬で戦闘不能にさせられるからな」

「戦いの場では、殺すより、動けなくする方が理に適ってる」

 アリオスは面倒くさそうに言った。そして、それ以上は特に話すつもりはないとでもいうようにふいっと顔をそむけて、甲板の先に広がる夜空を眺めていた。

「それにしても、マルシアの訓練受けてまだ起きてられるなんて、ガーネットもタフになったよな」

 ユーグが笑いながら言う。

「さすがに一カ月間みっちりしごかれてれば、それなりの体力はつくわよ」

「気付いてないのか?マルシア、お前のレベルに合わせて少しずつ厳しくしいてってるんだぞ」

「気付いてるわよ。訓練終わったら、はいバタン、なんてすぐに倒れるほどやわじゃなくなってるってだけ」

「それが難しいんだけどな」

 苦笑いを浮かべるユーグ。暗に、お前も異常になってきたな、と言われた気がする。マルシアと同列に扱われるのもどうかと思う。

「普通、まともな食事さえとってればこんなものじゃないの?」

「そんな訳ないだろ。新人がマルシアの訓練でへばらなくなるのに、三月みつきはかかる」

 筋肉痛で倒れたり寝込むのもお前の比じゃない、と肩をすくめて苦笑いされた。

 私の比じゃないくらい寝込む人間がいたのに、なんで私はあんなにもマルシアに爆笑されたのだろうか。もしかすると、これまでの新人諸氏も漏れなくその憂き目にあってきたのかもしれないけれど、納得がいかない。

「なぁガーネット。お前……」

 ユーグが何か聞きたそうにゆっくりと言葉を選びながらしゃべった瞬間、突如としてけたたましい音が鳴り響く。身の内を素手でなぞられるような不快な音に顔をしかめていると、ユーグとアリオスは即座に警戒を強める。

「なに、この音?」

「警報だ。接敵か、船の異常か……ともかく状況を確認する」

 ユーグもアリオスも私に指示を出すことはなく、それぞれ持ち場に向けて駆け出す。アリオスは甲板の上で、ユーグは別の方角へ駆けていった。

 警報、と言われたなら、私も呆然と立っているわけにはいかない。ただ、やみくもに周囲を見回したところで今の自分が何かできるとは思わない。拳銃は持たされたものが懐に入っているけれど、地上で人間と対峙した時ならいざ知らず、この空の上の巨大な船に襲い掛かるような何かに対抗できるとは思えない。

 状況を確認する、というユーグの言葉を思い出し、私も甲板から駆け出した。

 何か異常事態があった時に情報が集まるとすれば、操船室だ。不慣れな新米なりに必死に頭を回して目的地を定めた私は、全速力で廊下を走って操船室へと向かった。

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