Cp.10 初めての友人

 マルシアにしごかれた翌朝、全身を包む激痛で目が覚めた。

 筋肉痛だった。腕だけとか、足だけではない。腹部も背中も、とにかく全身だった。

 うめき声を上げながら、起き上がろうとするが、すぐに徒労に終わった。じっとしていても痛いのに、起き上がるなんてどだい無理な話だった。ゴーグルをつけたままベッドに倒れ込んでいたのは幸いだった。もしも外して寝ていたのなら、とてもじゃないが装着するような余裕はなかった。

 寝ていた時間なんて計りようもないが、今マルシアが近くにいないということは、起床しなくてはならない時間よりは早いのだろう。それでも、マルシアが来ればまた寝坊を責められることになる。彼女が来るまでに、何としてもベッドから起き出しておかなければならない。

 とはいえ、首を動かした振動だけでも耐えがたいほどの激痛がはしる。

 起き上がるなんて絶対に無理だ。

 そう諦めた瞬間に、部屋の扉が開かれた。

「二日続けて寝坊とは、いい度胸じゃないか」

 マルシアがやってきた。

 終わった。この状態でベッドから振り落とされようものなら、間違いなく気絶する。もし気絶しなくても、今までに味わったことのないような痛みに苦しむことになるだろう。

「待って!起きてる!起きてるけど起き上がれないの!」

 必死の弁明。果たして、この鬼教官に私の悲痛の叫びはどこまで通じるだろうか。

「ああ?」

 マルシアの圧のある声が部屋の中に響く。ああ。やっぱりダメなのだろう。想像もできないような苦痛を覚悟して、ゴーグルの内側でまぶたを閉じる。

「まさか……筋肉痛かい?」

 伝わった……!

「そう、そうなの!この痛みで目が覚めて、今もホントに痛くて……」

 情けない声でそこまで言うと、マルシアは噴き出した。横たわった私のすぐそばで、大声を上げながら笑っていた。

 自分が悪いのは分かっている。たった一日、それも数時間訓練をしただけでまったく動けなくなっている自分の体たらくは、腹立たしいのと同時に恥ずかしさも生じさせた。それでも、動けない程の痛みに苦しんでいる自分の横で大笑いされるのは、どうにも腹が立ってくる。

「たったあれだけで動けなくなるほどの筋肉痛になるのかい」

「し、仕方がないでしょ!今まであんなに動くことなんてなかったんだから!」

 マルシアに文句を言ったところで、また全身が鈍く痛む。どうやら大声を出しただけでも、私の筋肉たちは悲鳴をあげるようだ。

 痛みにあえぐ私をみて、マルシアはまた大笑いした。

「今度は文句を言っただけで痛むってか!」

 まだ文句を言い足りないが、これ以上声を張り上げるとまた激痛に苦しむことになる。私は不平をうめき声で表すだけにとどめた。

「ま、仕方がないかね。手作業でちまちま採掘やってた人間がいきなり体を動かそうってんだから」

 笑い過ぎてひぃひぃ言っていたマルシアは、予想外にもこちらの事情をくんでくれた。

「新入りが二日目で休むなんてのは業腹だが、ま、動けないもんはしゃあないかね」

 そう言ってマルシアは踵を返して扉の方へ歩いていった。

「今日は筋肉を休めな。明日からは動けるようにね」

 そういって扉をあけて出て行く。

 意外とあっさり引き下がっていった。昨日のスパルタぶりは何だったのだと思うほどに。

 そう考えたのも束の間で、私は激痛に耐えかねてすぐにまた眠りに落ちていった。


   *   *   *


「あの~、起きれますか?」

 唐突に聞こえてきた控えめな声で、私は目覚めた。

 ゴーグルの中で目を明け、限られた視界の端に目をやってみると、そこには自分と同い年くらいの少女の顔があった。

「えっと……意識はある。けど、体を起こすのはまだ無理かも」

 最初に目覚めた時ほどではないが、やはり痛みは残っている。上身を起こそうと力を入れてみたものの、痛みにうめいて断念した。

「あ、無理はしないでいいですよ!そのままで大丈夫です」

 少女は優しく声をかけてくれた。ユーグも優しいほうではあったが、それでも、ここに来て初めて、心から他人をおもんぱかる人物に出会ったように思う。

「マルシアさんに言われて、あなたの看病に来ました。といっても、ルームメイトなんですけど……」

「ルームメイト……?」

 たしかに、自分が今いる寝室のベッドは二段になっており、自分は下段で寝起きしている。普通に考えれば他にもう一人いてもおかしくないことはわかりそうなものだが、この船に来てから一度も会っていなかったので、すっかり頭から抜け落ちていた。

「はい。タイミングが合わなくて挨拶できてなかったですけど……。初めまして、ですね」

「ええ。初めまして……」

 なんとなく気恥ずかしくて、語尾が消え入りそうなか細い声になる。

「あ、私、ナーシャっていいます」

「私はガーネット。一昨日からここで暮らすようになったの……」

「ガーネット!いい名前ですね。これからよろしく!」

「よろしく……」

 名前を褒められるのはこれで二度目だった。咄嗟に口をついて出た言葉がそのまま自分の名前になるとは思っていなかったが、こうして褒めてもらえるのなら、悪くないネーミングだったかもしれない、と思えてくる。

「それで、話は変わるんですけど、ご飯は食べられそうですか?」

 ナーシャにそう言われたところで、タイミングよく自分のお腹が鳴る。

「大丈夫そうですね」

 都合よくなったお腹の音に、ナーシャははにかみながら立ち上がった。どうやら、ベッドの端にしゃがみ込んでいたみたいだ。

「あ、うん……。お腹は空いてるみたい……」

 まごうことなく空腹ではあるけれど、恥ずかしさを紛らわすように他人事のようにして誤魔化そうとする。

「でも、まだ起き上がれないから、食べるのは難しいかも」

「それなら、私が手伝うので大丈夫ですよ」

 ナーシャは優しく微笑んで、扉から出て行った。どうやら、食事をとりに行ったらしい。

 部屋から出て行くナーシャの背中を見送り、扉が閉まるのを見届ける。

 不意に、涙が出そうになった。

 いままで、どれほど苦しい状況だろうと、誰も手を差し伸べることもなく、食事もろくに食べられない環境にいたからだろうか。誰かの優しさに、胸がいっぱいになる。甲斐甲斐しく面倒を見てもらうこと自体、生まれてこのかた記憶にないのだ。

 誰かに甘えている自分を自覚して、唐突に不甲斐なさと、恥ずかしさと、そしてそれができる事への嬉しさがないまぜになって、目頭を熱くしたのだろう。

 ゴーグルをしていて、本当に良かった。他人に弱みを見せるのは性に合わない。そんな自分は許せない。今の自分は、十中八九目元を赤くしているはずだから。だから、それを隠せることは本当に良かった。

 ナーシャが戻ってくるまでに平常心を取り戻そうと、私は先ほどまで耐えられなかったはずの筋肉痛に集中する。そして、自分で物が食べられるようにと、悲鳴をあげる筋肉たちにムチ打って、無理やり半身を起こした。

 しばらくして、ナーシャが戻ってきた。

 お盆を手に持ったナーシャはこちらを見ると驚いた様子で、起き上がれるようになったんだね、と嬉しそうにしてくれた。

 なんとか、と曖昧に返事をして、ナーシャから視線を外す。ゴーグルごしでは目なんて合うはずもないのに、どうしても照れ隠しが先に立ってしまった。

 ナーシャは部屋のイスを寄せてその上にトレーをのせる。そして、食事を手に取り、私に差し出してくる。

「はい、あーん」

 手ずから食べさせようと、スープをすくったスプーンを近づけてくる。

「あの、お椀と食器をもらえれば自分で食べられるから……」

 ナーシャは気付かなかったとばかりに顔を赤らめて、スプーンをお椀の中に入れ、私に手渡してくれる。

「ごめんなさい。筋肉痛で動けないって聞いてたから、つい……」

「いや、大丈夫。気遣ってくれてありがとう」

 受け取ったお椀を支える腕は、この程度の重さも支えられなかったかと不甲斐なくなるように震えるが、それでもなんとか自分一人で食べることは出来た。

 ナーシャが運んできてくれた食事を食べ終わり、また呻きながら体を横たえた。

「でも、意外だな」

 トレーを片付け、再び部屋に戻ってきたナーシャがいきなり口を開いた。

「意外って何が……?」

「だって、みんなからはひどい環境で生活していたって聞いてたし、その、ガーネットは……」

「月光症だから?」

「あ、うん……」

 ナーシャが、良くないことを口にしようとしていたと言わんばかりに委縮する。

「別に、私が月光症なのは事実なんだから、そんなに悪びれる必要はないでしょ」

「悪びれるなんて……。でも、もっと怖い人かもって想像していたのは本当……」

「正直にどうも」

 気付くと、ナーシャは敬語が抜けていた。緊張がほぐれたのか、気安く話せる人間だと思ったのか、こちらの方がナーシャの素なのだろうと思う気安さだった。

「でも、実際に話してみて、可愛らしい人なんだってわかってほっとしたんだ」

「どうして?」

「だって、そんな環境にいたら、私はもっと色んな人を敵視していると思うから」

「私だって同じだよ」

「そんなことないよ」

「そんなことあるよ。実際、マルシアのことは絶対殴るって決めてるし」

 そう言うと、ナーシャはおかしそうに笑った。

「訓練が厳しいから?」

「訓練だけじゃなくて、いろいろ」

「そっか。たしかに、マルシアさんは結構厳しいかもね」

「それにむかつく」

「ふふふ。でも、殴るのは相当難しいかもね」

「だと思う。あの筋肉お化け……」

 訓練を思い出して、顔が引きつる。まったく動かしていない体が、また痛んだような錯覚に、うぐ、と嗚咽が漏れた。

 そんな私の様子に、ナーシャはまた笑う。つられて私も笑った。マルシアと違って、ナーシャが笑うさまは、とても心地がいい。

「ガーネットは不安とか感じないんだね」

「なんでそう思うの?」

「だって、人間不信になる環境にいたのに、初めての場所で、初めて会う人ばかりで、それでも物怖じせずに生活してる。すごいなぁって思うよ」

「そうする以外に道はないって思ったから、その道を必死に走ってるだけだよ、私は」

「それがすごいんだよ」

 私だったら逃げ出しちゃいそう、とナーシャの声が消え入りそうになる。

 自分は、自分の置かれた環境だ全てで、自分のことだけで必死だったけど、今になって他の人間にもそれぞれ事情があるのだろう、ということに思いが至った。そういえば、ユーグも拾われた人間とか言っていたような気がする。

「本当に、尊敬する」

 ナーシャのまっすぐな瞳が、ゴーグルごしに私の目を見据えていた。笑ってごまかそうと思ったけど、できない目力があった。たぶん、しちゃいけないと直感で悟ったのだ。

「……ありがとう」

 一言そう言って、ナーシャから目線を外し、二段ベッドの硬い上段の板を見つめる。

「ねぇ、今更だけど、私と友だちになってくれる?」

 ナーシャが改まった口調で問いかけてくる。

「私、ガーネットと仲良くしたい」

 私は視線をナーシャに戻し、微笑みかけた。

「もちろん。ルームメイトだし、こんな情けない姿も見られちゃってるしね」

「もう、そういうのじゃなくて……!」

「分かってる。改めて、これからよろしく、ナーシャ」

 体の横に伸ばした左腕をなけなしの力を振り絞ってナーシャの方へ差し出す。ナーシャは笑ってその手をとった。

「うん!これからよろしくね!ガーネット。私のお友だち!」

 嬉しそうに言うナーシャは、力強く私の手を握りしめた。

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