Cp.09 月光症の人間は

 マルシアの訓練に体が悲鳴をあげていたガーネットは、歩くのもやっとだった。

 警備について説明するマルシアの声はなんとか聞いていたものの、意識はすでにとびかけていた。マルシアの拳を恐れて、どうにか説明は聞き届けなければと努めていたが、内容はほとんど頭に入っていなかった。

 マルシアはため息交じりに説明を切り上げてガーネットを寝室まで送り届け、今日は休むように伝えた。

 その後、マルシアは団長室でデスクを挟み、団長であるフローラと向かい合っていた。

 デスクの前で腕組みをして立つマルシアに、団長のフローラは微笑みを向けている。なにか思うところがあるという訳ではなく、微笑を浮かべるのは、フローラの癖だった。

 そこへ、団長室の扉が開く音がする。

 マルシアとフローラがそちらへ視線を向けると、そこにはユーグが立っていた。

「レディの部屋にノックもなしかい?」

「アンタの部屋じゃないだろ、マルシア」

「はっは。違ぇねえ」

「一応、執務室だから、ノックはしてくれると嬉しかな」

 ユーグとマルシアの軽口の応酬に、フローラは微笑のまま言った。ユーグは気を付けます、と素直に頭を下げ、マルシアの隣に並ぶ。

「それじゃ、彼女について聞かせてもらおうかな」

 ガーネットのことだった。

 もちろん、報告自体はガーネットが来た初日も受けていた。彼女の暮らしていた環境、雇い主たちからの扱い、そして船にくるまでのユーグとのやり取りなどだ。

「マルシア。一日、彼女を見ていてどうだった?」

「人間性かい?それとも能力の話?」

「言うまでもなく、両方だよ」

「はいはい」

 マルシアは片手をふって答える。

「人間に関しちゃ、まぁまともかね。あんな環境にいた割には、腐ってない」

 フローラが、ほぅ、と息を漏らす。

「疑り深すぎるきらいはあるが、それでも誰彼構わずケンカを売ることはしない。まず観察してるね。相手がどんな人間かを……」

 フローラがユーグに視線を向ける。ユーグの方の意見を聞かせろということだ。

「俺もほぼ同意見ですね。疑り深く、目の前の事柄を慎重に天秤にかけてる。当然の反応だが、十何歳から洞窟の中で生きていた割には、賢いほうですね」

 フローラは頷いて、視線をまたマルシアに戻した。

「情報に飢えてるんだろうね。あまりにも知らないことが多すぎる。こっちが説明する前から、ところかまわずあちこち見まわしてるよ。もちろん、好奇心に駆られただけの視線じゃない。冷静な観察、情報収集。アイツがやってんのはそれだ」

「なるほどね」

 フローラは顎に指を当て、しばし考え事に入る。しかし、それも数秒を数えないくらいの短さで、続けて能力面の報告を求めた。

「ハッキリ言って、“異常”の一言だよ」

 マルシアはため息交じりに言った。

「アイツの食事内容は、資料でも見たし、アイツの口からも聞いた。およそ、普通の人間が生きて活動できる食事なんかじゃない」

「あれには驚いたね。俺は資料で見ただけだけど、家畜の方がまともな飯を食ってるレベルだったな」

「ああ。加えて、毎日支給されるわけでもない。とっくの昔に栄養失調でくたばっててもおかしくないくらいだ」

 そこまで聞いて、フローラはユーグに改まった視線を向ける。

「ユーグ。再確認なんだが、彼女は、自分の足で山道を下りたんだよね?」

「ええ。途中、足がもつれて坂道を転がってたが、それでもふらつくような気配は感じられなかったです」

「洞窟の中では?」

「入り口での騒ぎを聞きつけて、自分で駆け上がってきてましたよ」

 気付けば、フローラの微笑は消えていた。聞けば聞くほど、他の人間にはない、ガーネットの特異性というものが見えてくる。

「マルシア。彼女の訓練での様子は?」

「使い物になるかどうかって意味かい?」

 フローラは頷く。

「他の団員並に動けるかって意味なら、問題外だ。体力も筋力も、おそまつそのものさ。戦闘技術を教える前に、体が悲鳴をあげてたね」

「それはそうだろうね」

「でも、さっきの状況を加味するなら話は変わる。加減しているとはいえ、数時間の訓練を最後までやれること自体がおかしいよ」

「やはり、そうか……」

 フローラは先ほどより深い思案を巡らせる。そして、デスクに乗せた紙の束に視線を移した。

 ガーネットのかつての雇用主の家にあった、ガーネットについての報告書、採掘作業にかかる出納帳、そして、月光症に関する論文。紙の束の一番上には、それらの書類のうち、論文が置かれていた。

 “月光症”。その三文字をなぞるフローラの視線は、意図せず、鋭いものになっていた。

「難儀な病気だね……」

「月光症のことですか?」

 独り言のように呟いたフローラの言葉に、ユーグが反応する。目の前の二人をおいて、思案の世界に片足を入れていたフローラは顔を上げ、鋭くなった表情を消してすぐに微笑を浮かべた。

「うん。症例が少なく、その全貌は専門家にすら分かっていない病気だからね。私たちにわかることといえば、光の強い場所ではゴーグルが必要だということくらいだ」

「回りくどいね。アイツの異常さが、月光症と関連しているって言いたいんだろ?」

 マルシアが苛立ったような声をあげる。

「ああ。仮説でしかないけどね」

 フローラは、紙の束を指で叩いた。

「一つ、月光症について面白い話が合ってね。論文では荒唐無稽だと一蹴されていたけど……」

 フローラが言葉をきって二人を見る。ユーグとマルシアは、黙って話の続きを待った。

「あくまで都市伝説なんだけどね。月光症を発症した男が、超人のような力を発揮した、という話だよ。彼のやっていたことも、ガーネット同様に採掘作業員だった。ただ、違うところはまともな雇い主の下で働いていたことだね」

 二人は沈黙を守り、フローラは微笑のまま続ける。

「彼はある日、落盤事故に巻き込まれたらしいんだ。外にいた人間も、閉じ込められた作業員たちも、助からないと諦めた。しかし、月光症の男だけは、諦めなかった。なんとか外に出ようと、重い岩の山を、まるで小石をどけるみたいに取り払い、動かせない岩は素手で砕いたという」

 そこまで言うと、フローラは一息つき、顔から微笑を消した。

「その男は、特別な訓練を積んだわけでもなければ、他の作業員より上等かつ多量の食事をとっていたわけではなかったそうだ。あくまで、他の作業員と同じ生活をしていた。月光症であることを除けばね」

 そこまで聞いて、おもむろにユーグが口を開く。

「つまり、月光症の人間は他の人間よりも少ない栄養価で活動が可能、常人並みの栄養なら常人以上に動ける、と?」

「あくまで仮説だけどね」

 フローラの表情がやわらぐ。反対に、ユーグは真剣な表情になった。マルシアの方は、予想していたとばかりに、顔色一つ変えなかった。

「ま、そう考えるのが現状では一番妥当だろう。他に理由のつけようがない」

「うん、そうだね」

「ま、いいんじゃないかね」

 それまでの深刻な空気とうって変わって、マルシアがひときわ明るい声を出した。

「アタシらとおんなじように過ごすだけで、とんでもない怪力女が爆誕ってわけだ。こりゃ、将来が楽しみじゃないか!」

「いいのか?そうなると、接近戦じゃ誰も太刀打ちできなくなるってことだ」

 マルシアとは対照的に、ユーグは暗い面持ちのままだった。

「仮にアイツが自分に力があると分かって、裏切った時はどうする?」

「そんときゃ、アタシが処分するさ」

 マルシアは笑ったまま、その瞳に暗い炎を灯す。長い付き合いとは言わないまでも、マルシアとは数年来の仲で、苦楽を共にしているユーグであったが、その瞳の色に、思わず息を呑んだ。

「闘将マルシア。小娘一人に後れを取ると思ってんのかい、ユーグ?」

 ユーグの背筋に冷たいものがはしる。

「……いや、アンタが言うなら大丈夫だろう」

「当り前さね」

 そう言ってマルシアは快闊に笑った。

「心配しなくても、私は彼女が裏切ることはないと思ってるよ」

 フローラが優しく諭した。

「どうして、そう思うんですか?」

「雇用主に騙された彼女は、裏切りや欺きを最も嫌うだろう。軽蔑する存在と同列になることは、自分で自分を許せないことなんじゃないかな」

「だとしても、それは自分が戦えないと思っているからじゃ……?」

「もちろん、私たちが彼女を欺いたなら、遠慮なく牙を剥くだろう。“騙された”という大義名分が立つからね。でも、彼女が望んだとおりに人並の生活が保障されているなら……」

「嘘は言ってないねぇ。ま、アタシのしごきをどうとらえるかにもよるけどね」

 マルシアはまた楽しそうに笑った。

「まぁ、彼女のことはあまり疑い過ぎない程度に注視していこう。ようやく人としての尊厳を取り戻した彼女がどう生きるかは、彼女の選択次第だからね」

 そう言って、フローラはユーグとマルシアにそれぞれの持ち場に戻るよういい、自身は事務仕事に戻った。

 団長室を出た二人は、並んで廊下を歩いていた。歩きながら、マルシアが口を開く。

「にしても意外だったねぇ」

「なにがだ?」

「アジトに入るまで、あんなに仲良く接してたのに、いざ仲間に引き入れたらいの一番にアンタが疑ってんだからね。そりゃあ驚くだろう」

「非力な少女だと思ってたからな……」

「ああなんて可哀想な子!僕が守ってあげなきゃ~ってか?」

 からかうようにマルシアが言う。

「否定はしない。俺も憂き目にあってた側だったからな」

「同族、相哀れむってやつか」

「そんなとこだ」

「で?結局のところどうなのさ」

「なにが?」

「アンタの本音だよ」

「不安ではあるよ。俺が大事なのは、俺を救ってくれたこの船の仲間たちだ。アイツが何かするなら、それは許せない」

「まぁ、何かするなら、そうだろうさ」

「だからまぁ、団長の言う通り、疑い過ぎず、それとなくガーネットのことは気にしておくよ」

 暗かったユーグの表情が、僅かにやわらいだ。それを見てマルシアは不敵に笑った。

「それが一番、無難だね」

「ああ」

「ま、アタシも団長とおんなじ意見だ」

「疑い過ぎず……ってことか?」

「違うよ」

 ユーグが首をかしげる。

「アイツは裏切らない。一日ぽっちだが、アイツを見てたアタシが言うんだ。間違いないよ」

 微笑んだマルシアの表情に、ユーグは呆気にとられた。先ほど、人ひとり殺すことに躊躇のない目をしていた人間が、慈しみをたたえた表情をしていたことに、驚きを隠せなかったのだ。

「アンタも、まだまだ女を見る目がないねぇ」

 そういってマルシアがユーグを小突く。バランスを崩してよろけたユーグは、体制を整えながら、ほうっておけと悪態をついた。

 それを見て、またマルシアが笑う。

 そして廊下の分かれ道にさしかかったところで、それぞれの持ち場へと戻っていった。

 一人で廊下を歩くユーグは、マルシアの言葉を耳の奥で反芻しながら、自分が見て、会話していたガーネットという少女のことを考えていた。わずかな情報の中から、彼女の人となりを詳らかにしようと、記憶の中の少女の姿を、じっと見つめた。

 わずかに舌打ちをし、独り言をつぶやく。

「あんな短い時間で見極められる訳ないだろ……」

 ユーグは初めて、一人の異性のことを考えながら夜を明かした。

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