Cp.08 新たな生活

「いつまで寝てんだい!」

 耳をつんざく大音声とともに、布団がはぎとられた。まだ眠気の残るまぶたを無理に押し開けると、目の前にはマルシアの姿があった。

「ゆっくり休めとは言ったが、寝坊していいとは言ってないよ」

 頭をガリガリと掻きながら体を起こし、昨日のことを思い出す。フローラとの挨拶のあと、マルシアに連れられてアジト内の食堂に行った私は、生まれて初めて、カビていないパンと温かいスープを食べた。その味に感激し、寝室に案内された後は、これまた生まれて初めて横たわる柔らかい感触に、引き込まれるように一瞬で眠りに落ちた。頭を掻く手が、何度か紐にあたる。貰ったゴーグルを外すのも忘れて寝ていたようだ。グラスの一部が顔に押し当てられていたのか、こめかみの近くがやや痛い。

 ゴーグルの位置を微調整して、寝台から降りた。

「いま何時?」

「朝の8時だね」

「昨日ここに来たのは深夜だったはずだけど……」

「寝足りないって言いたいのかい?」

「私、夜型だもの」

 マルシアは大きなため息を吐く。そして私の首根っこをむんずと掴むと、引きずりながら部屋から出た。

「これまではそうだったかもしれないけどね、ここに来たからにはここの流儀に従ってもらうよ」

「リズムを整える暇もないの?」

「船は24時間稼働だ。朝の番もいれば夜の番もいる」

「じゃあアタシは夜の番じゃないの?」

「ゆくゆくはね。でも、まずはその番が務められるくらいになってもらわないと困るんだよ」

「具体的には?」

 そう聞くと、マルシアは振り向きながら意地の悪い笑みを浮かべていた。なんだか嫌な予感がする。

「アンタに稽古をつける」

 突如、背中に悪寒がはしる。なんとなく、そういうことだろうなと予測はしていたけれど、マルシアの様子から推察するなら、その稽古とやらは余程大変なものなのではないか。

「まぁ、稽古をつけるのは当然として、とりあえずは飯だね。それから船内の案内だ」

 そう言うと、マルシアはようやく手を放す。実をいえば、少し息苦しくなってきていた。放された拍子に浮かんでいた上体が床に落ち、思わず悲鳴が漏れる。それが情けない声だったのか、マルシアは笑った。



 食堂で朝食を済ませると、マルシアに連れられてアジトの中を案内される。食堂と寝室の場所は昨日今日で覚えていたが、それ以外の場所はからっきしだった。

 昨日入ってきた出入口、風呂、トイレと、アジトを利用する上で必ず必要な場所から優先的に説明を受ける。続いて、他の団員の寝室、機関室へ続く階段、甲板と案内され、次は操船室と言われた。

「いいの?入ったばかりの新入りにそんな重要な場所まで案内して」

「お前みたいなもやしっ子に負けるほど、アタシらはやわじゃないよ」

 それはそうだろうが、警戒心というのはないのだろうか。いや、単純に私が細すぎて相手にならないという話だろう。実際、マルシアの丸太のような腕で叩かれただけで、五体満足でいられない気がする。

「着いたよ」

 そう言ってマルシアは、扉を開け、さっさと中へ入ってゆく。

「みんな、聞いてるかもしれないがコイツが昨日から入った新入りだ」

 室内にいた人間全員に向けて、マルシアが大きな声で私を紹介する。そして、名乗れと言わんばかりに、背中を手で押して私を一歩前に押し出す。

「あ……。初めまして。ガーネットです。よろしく……お願いします」

 そう言うと、三枚横並びになった大きな板の前に座る男以外は、こちらを向いて近寄ってくる。何人かが入れ代わり立ち代わり自己紹介してくれた。

 最後に、茶髪の女性がこちらに歩み寄り、右手を差し出してくる。

「アメリア。一応、この部屋のリーダーをやってる。よろしく」

「よろしく……」

 アメリアと握手をした。彼女は一度強く握ったあと、すぐに手を放して、同じ手の親指で、背後の振り返りもしなかった男を指した。

「で、アイツはエリック。この船の操縦士だね。今手が離せないから、不躾なのは許してやって」

「あ、いえ……。えっと、操縦士って……?」

「あぁ。見慣れないのも無理ないよね。この船は特殊でさ、動かすのが結構大変なんだ。ほら、あれ」

 アメリアは顎でエリックの前の装置を示す。

「あそこに並んだボタンを操作して船を操縦してるんだ。で、入れた情報や、いまの船の状況なんかがあの三枚の板に表示される。エリックはキーボードとディスプレイとか呼んでたけど、そのあたりの機械まわりはアタシたちには分からないから」

 初めて見た。こういった飛行物体は、あの細かな装置で動かしているのだな。もちろん、遠目で見ても、エリックと呼ばれた男性が何をしているのかなんて分からない。ただ、忙しそうにキーボードとやらを激しくたたいては、何度もディスプレイを眺めて、時折手元の紙とペンでせわしなく何か書いたと思ったら、またキーボードをたたく作業に戻っている。

「一応、ここでやってることの説明をしとくね」

 アメリアの声ではっとして、視線をエリックの手元からアメリアに戻す。

「マルシアから聞いたかもしれないけど、ここは操船室。難しい言葉だと艦橋、ともいうみたいだけど、アタシらは操船室で慣れちゃってるから、そっちで呼んでる。甲板とか、あちこちから情報を集めて、船の進路を決めたり、緊急時の指示出しはここからやってるんだ。エリックが操縦士だって説明したから、おおかた想像してたかもしれないけどね」

「なんというか、操縦ってこう、ハンドルを回したりとか、そういうのを想像してた」

「あはは。まぁ、他の……というより、川とか海に浮かんでるのはそうかもしれないね」

「言ったろ。この船は特別なんだって」

 そこでマルシアが口を挟んできた。少し退屈そうな顔をして腕を組んでいる。彼女にとっては聞き飽きた説明、というより、当たり前のことだから聞くまでもないと思っているのだろう。

「ありがとな、アメリア。でも、説明はもう十分だよ」

「え、でも……」

「この後、コイツにはみっちりと稽古をつけなきゃいけないんでね」

「え……?」

 途端に、アメリアは引きつった顔をした。明らかに、稽古内容に対する反応だ。大変なものだと予想していた私の予感は、嫌々ながらも的中しているということなのだろう。

 ふと、背筋に寒いものがはしる。急いで飛び退すさろうとしたが、私の行動よりも早く、マルシアの太い腕が私の腹部に食い込む。

「ぐえっ」

「逃げようったってそうはいかないよ。ま、この部屋から逃げたとしても、延々と追っかけ回すだけだけどね」

 そこまで言うと、マルシアは私を肩にかつぎあげる。途中、何か思いついたように「あ、それも悪くないかもねぇ」と言っていたのは耳の錯覚だと信じたい。

「じゃあ、アタシらは行くよ。邪魔したね」

「ああ、いや……。一応、加減はしてあげてね」

「当然だろ。コイツに他の連中と同じ水準でやったら五分と持たずにくたばっちまう」

 かたく盛り上がった肩の筋肉と腕の筋肉で、腹と背をサンドイッチするのは問題ないのか。そう文句を言いたくても、薄い腹部に食い込んだ肩が痛くて、呼吸をするのでやっとだった。

 マルシアは私を担いだまま大股で部屋から出て行く。閉じられていく扉の隙間から、アメリアが体の前で十字を切っているのが見えた。アメリアも相当しごかれたのだろうか。

「さぁ、次に行くのが最後の案内場所、訓練所だよ」

 楽しそうに言うマルシアとは反対に、私は冷や汗が止まらなかった。



 訓練所に連れてこられてからのことは記憶が曖昧だった。とにかく走って筋トレをして、走って筋トレをして……その繰り返しだった気がする。

 今の私は、硬い床にうつ伏せに倒れて、ぜえぜえと息を荒げている。体はもう言うことを聞かない。全身が痛くて仕方がない。採掘作業や硬い地面で寝たことで体がバキバキになったり、足の裏や指先を怪我することは日常だったが、それとは違う、皮膚の内側の筋肉がその繊維の一本も余すことなく悲鳴をあげているのが分かる。

「今日はこんなもんかねぇ」

 頭上から声が降ってくる。見上げると、マルシアが平然とした様子で、むしろ、すこし見下すような目で見下ろしていた。

「こんなもんって……これ以上は……無理……」

「ま、粗末な飯しか食べてこなかったもやしっ子がここまでったと思えばましな方かね」

 やれやれとでも言いたげに肩をすくめる。

 やれやれと言いたいのはこちらの方だ。限界でフラフラになりながら走っていても、お構いなしに脇から怒号を飛ばし、不甲斐ないトレーニングでもしようものなら手刀が繰り出された。つい昨日までひ弱な採掘員だったのだ。マルシアのような戦闘員が行うようなゴリゴリのトレーニングなんてこなしきれるわけがない。

「とりあえず、風呂で汗を流したら食堂に来な。後で警備の仕方について説明してやる」

 容赦のないしごきで、自分一人で立ち上がることもままならないほど疲弊しきった人間に、この上まだやることを課すのか。

 不平のひとつも言いたかったが、それを口にする余力すらなかった。

 もう無理だと頻りに泣き叫ぶ筋肉にむちをうち、自力でよろよろと立ち上がる。そして、一歩一歩、生まれたての鹿のような足取りで風呂場へと歩き始めた。

「風呂と着替え、飯も含めた休憩で一時間半だ。食堂に迎えに行くから、それまでに全部済ましとくんだよ」

 鬼教官め、と心中で悪態をつき、恨みがましい目でマルシアを一瞥して頷く。

 大方、こちらの胸中など全部お見通しなのだろう。私を送り出すマルシアは半笑いだった。

(いつか絶対ぶん殴る。一発でもいい。とっておきのやつ……)

 当面の目標を定め、私は訓練場を後にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る