Cp.07 ゴーグル

 階段を上り切り、アジトに入ると、入り口のすぐ近くにはガタイのいい女性が仁王立ちしていた。腕組みをしてどっしりと構え、こちらを値踏みする様に見つめている。

「ただいま、マルシア」

「おう」

 マルシアと呼ばれた女性は、ユーグの声掛けに片手を上げて答える。ユーグを一瞥したかと思うと、視線はまたすぐに自分に戻ってきた。

「で、その子が例の子かい?」

「うん。洞窟にいたし、なにより洞窟を出た時、日光でも見るようにして月を見てたから間違いないと思う」

「ふーん」

 そうしてマルシアは、私の頭からつま先にかけてゆっくりと視線を巡らせ手から近づいてきた。目の前に立つと、ガタイの良さをさらに実感する。私の目の位置が、マルシアの胸の位置か少し下くらいにある。ユーグとすれ違う時に比較したが、男であるユーグよりも大きい。

 マルシアは、私の目の前に立つと、眉根を寄せて険しい顔をした。

 なんだろう。私が何かしただろうか。そう考えて、ふと自分の左手のものに気が付く。そういえば、ユーグの銃を持っていたのだった。もしかしなくても、警戒されているのではないか。

「ユーグ、早速だけど、この子ちょっと借りてくよ」

「それはいいけど、団長に挨拶が先じゃないかな?」

「挨拶の前にやらなきゃいけないことがあるだろ!」

 そう言うと、マルシアは私の体をひょいと持ち上げた。栄養失調の自分の体は、マルシアにとっては大した重量がなかったらしい。片手で持ち上げられて、さらに動揺する。

「え?え、ちょっと……!」

「まずコイツを風呂に入れる!団長にはお前から何とか言っとけ!」

「ちょっと、あの……きゃあ!」

 ユーグの返答も、私の疑問も待つことなく、マルシアは駆け出した。肩に担がれた私は、薄くなった腹部に刺さるマルシアの肩にえづきながら、みるみる遠ざかっていくユーグをただ眺める事しかできなかった。

 たすけて、と言おうにも、声が出なかった。視界に移るユーグは、そんな私の様子には気付かず、ただ面倒そうに頭を掻いて別の通路へと消えていった。

 訳も分からぬまま担がれて、着いた部屋では一瞬で衣服をはぎ取られた。こちらの意思など関係ないと言わんばかりの強引さに、ただなされるままにしていると、気付いた時には頭からお湯をかけられていた。

「ぶッ……!」

 いきなりのことに混乱し、もがこうとするも、すぐに取り押さえられて、何か椅子のようなものに座らされる。

「暴れるんじゃないよ」

「そんなこと言ったって……うぐ!」

 頭を両手でがっしりと抑えられる。すぐにガシガシと引っかかれはじめ、あまりの力に首が手の動きに合わせて激しく揺れる。

「アンタろくな扱いされてこなかったろ」

「ええ。今もだけどね」

「今は仕方ないだろ」

「なんで?」

「クッセーんだよ、アンタ」

「……え?」

「風呂どころか、水浴びもまともにさせてもらえなかったんだろ。汗と泥、あとカビもか?とにかく酷い臭いがしてんだよ」

「う……」

 人としての尊厳など、あの洞窟の中で完全に消え去っていたものだとばかり思っていたが、クサい、酷い臭いと言われて、少なからず傷ついている自分がいる。思っていたよりも、まだまだ人間らしさは残っていたということか。

 そう言われてからの私は、マルシアに黙って全身を洗われていた。ひとしきり洗い終わったのか、また乱暴にお湯をかけられたかと思うと、今度は体を持ち上げて投げ飛ばされた。ボチャンという音と同時に、視界がぼやける。呼吸も思うようにできない。必死にもがくと、体が水面から浮かび上がる。いきなりの事で動転していたが、足はし、座った状態でも顔が水よりも上にくる場所だった。どうやら、湯船に投げ飛ばされていたらしい。

 プハッと大きく息を吐き、呼吸を整えて顔にへばりついた水分を乱暴に掻き落とす。

「いきなり何すんのよ!」

「アンタの酷い臭いを我慢しながら洗ってたんだ。このくらいは許してもらわないとねぇ」

「にしても、もう少し優しくしてくれてもいいじゃない」

「髪と体を洗ってやったんだ。これ以上に優しいことなんてあるかい?」

「うぅぅ……」

 少しも悪びれないマルシアを睨みながら低く呻る。

「あはははは!そんな痩せっぽっちに威嚇されても怖くもなんともないよ」

 高らかに笑うマルシア。ユーグと言いマルシアと言い、ここの組織はこんなのばっかりなのだろうか。

 凄まじいスピードであれこれされていた慌ただしさが過ぎ去り、ようやく自分が使っている湯船の温かさが全身にしみてくる。お湯に浸かるなど、人生初ではなかろうか。

 そこまできて、形はどうあれ、自分の汚い体を洗ってくれたマルシアに感謝しようという気持ちが少しだけわいた。

「まぁ、乱暴なのは嫌だったけど、その……ありがとう」

「はっは。どういたしまして」

 マルシアの険しかった顔が、ようやく優しげにほころんだ。




 ある程度温まったところで私は湯船から上がり、出口に向かっていく。引き戸となっている扉を開けると、マルシアは脱衣所のイスに座って待っていた。こちらを向くと、タオルを投げてよこす。

「着替えはそこに用意してあるから、体を拭いたらそれ着な」

 マルシアが顎で示した場所には、きれいに畳まれた服が置かれていた。新品という訳ではなさそうだが、それでも洗って清潔にされているものだった。数年間の洞窟暮らしだった私にとっては、どんなドレスよりも上等な品に見えて、思わず目頭が熱くなる。

 髪はまだ湿っているが、用意された衣服に袖を通す。着てみると、肌触りもいい。思わず感嘆の声が漏れる。その様子にマルシアが苦笑いした。

「よっぽどひどい環境にいたんだね」

「え……?」

「シルクの上等なものってわけでもないのに、まるで貴族の服でも着たように感激してるもんだからさ」

「あぁ……。そりゃ、これまでは使い古しの麻袋を縫い合わせたようなボロ布しかきてなかったからね」

「確かに。ありゃ酷いもんだったね。言っとくけど、アンタが着てきたあの布切れは捨てたよ」

「着るものをもらえるなら、それでいい」

「そうかい。ま、思い入れがあるなんて言われたらそっちのが驚きだけどね」

 マルシアは立ち上がり、細長い布をこちらに渡してくる。

「なに?これ」

「目隠しだよ。アンタ月光症なんだろ。ここは薄暗くしてあるけど、この先は照明でガンガンに明るいからね」

「あぁ、そうか」

「そうかって、アンタ自分の病気のこと忘れてたのかい?」

「私にとって、ここの照明は薄暗くなんてなかったから」

「難儀なもんだね」

 差し出された目隠しを受け取る。しかし、それを装着するのは少しためらわれた。目隠しをして、視界を絶ってしまった時、私は私の身の安全を守れるだろうか。それに、こうして風呂に入れてもらう時に銃も取り上げられてしまっている。

「心配しなくても、とって食いやしないよ」

 こちらの思案を読んだのだろう。マルシアが苦笑いする。

 たしかに、ここまでくれば、もはや何をしたところで意味なんてない。ここは彼女たちのアジトの中なのだから。それに、光の中に出れば私の視界は目隠しなんてあってもなくても関係ない。どのみち眩しすぎて見えないのだから。

 そう思い直して、私はおもむろに目隠しを巻く。

 視界を完全にふさいだところで、マルシアは私の手を取って、ゆっくりと歩き出した。てっきり、さっきと同じように肩にかつぎあげられるものだとばかり思っていたが、あれは私の体臭に耐えがたいものであったがための緊急措置だったようだ。

 私は何も見えないまま、マルシアの誘導に従って歩いた。歩いている通路は、たしかに目隠しをして余りあるほど明るく、布を巻いているおかげで痛みこそないものの、それでも視界は真っ白だった。

 どれだけ歩くのだろう、と思っていると、マルシアが立ち止まった。扉をたたく音がして、扉の先からの誰何すいかの声とマルシアが応える声が聞こえる。扉の先の人物が入室を促すと、再びマルシアは歩き出す。

 部屋の中に入ったところで、マルシアは手を放した。

「待たせたね。団長」

「ああ、ご苦労さま。ユーグから事情は聞いてるよ。その子が例の月光症の子だろう?」

「ああ」

「なら、先にこのゴーグルをつけてもらった方がいいだろうね」

 団長と呼ばれた人間の声は、若い女性の声だった。それにしても、マルシアは何者なのだろう。団長、といえば自分よりも目上の存在だろうに、不遜な物言いをしている。しかも、団長と呼ばれた方も、それを容認しているように思える。

「いいのかい?まだ何も話してないのに」

「目隠ししたままの人間と話すなんて、気分が良くないじゃないか。それに、信用を得るならまずこちらが誠意を示すものだよ」

「了解」

 そういうと、何か作業をしているもの音が聞こえ、私の目隠しが外される。それに次いで、すぐさま何かをかぶせられた。目だけを覆っている。さっき言っていたゴーグルだろうか。

「いきなりすまないね。月光症用のゴーグルだと聞いているが、効果のほどはどうだろうか」

 そう言われて、恐る恐る目を開ける。すると、普段、夜の中で見るような景色が目の前に広がっていた。先ほどまでの眩しさは全くなく、ちょうどいい光の加減。

「……大丈夫、みたいです」

「そうか、ならよかった」

 目の前に座る女性が柔らかく笑う。その容姿を見て驚いた。声が年齢とは不釣り合いに若いことはままあるが、団長と呼ばれていたであろうその女性は、ユーグと同い年くらいだった。ユーグ曰く、はぐれ者の集団、と呼ばれていたこの組織をまとめ上げているであろう人物にしては、いささか分不相応な外見をしている。

 とはいえ、実態なんて何も知らない自分が意見することではない。外見通りの年齢ではないかもしれないし、まとめ上げるだけのカリスマ性を持っているのかもしれない。とりあえず、そういったことはなるべく顔に出さないようにしておこう。

「思っていたよりも若い頭目で驚いたかな?」

 顔に出てたようだ。

「まぁ、団長、と呼ばれていたから、もう少し無骨な人を想像してた……ました」

「無理に敬語を使わなくていいよ。マルシアだってこんなだし」

「アタシのは、団長が敬語を使うなって言ったからだろ」

「君の敬語はなんだかその、気持ち悪いんだよ」

「左様でございますか」

「そうそう。こんな具合にね」

 そう言って団長は楽しそうに笑った。気持ち悪いと言われたマルシアの方も、別に気分を害したという訳ではなく、むしろからかって楽しんでいる。

「まぁ……。それなら、遠慮なくそうさせてもらう」

「うん。それじゃあ、改めて。この集団を率いているフローラだ。一応、“団長”と呼ばれている。よろしくね」

「私はガーネット。よろしく」

 そうして、団長フローラは、椅子から立ち上がってこちらに歩み寄り、握手をした。

「そういや、アタシの自己紹介を忘れてたね。マルシアだ。よろしく」

「あ、うん。よろしく」

 ユーグや団長から呼ばれているので名前を憶えていたが、一応形式だけは守っておく。

「にしても不格好だね。こんな細い子にデカいゴーグル、ってのはなんか似合わないね」

「似合わないって言われても……」

「ま、粗末な生活してたんだから細いのは当たり前か」

 分かっているのならなぜ言ったのだろう。

「マルシア」

「アタシにデリカシーなんて求めようってならお門違いだよ、団長」

「にしても、言い方ってものがあるだろう」

「アタシの中にない言葉は出せやしないよ」

「まぁ、そこは諦めるしかないか」

「むしろ、まだ諦めてなかったことが驚きだね」

 フローラは大きなため息を吐く。一、二度頭を振ると、改まった様子でこちらに向き直る。

「まぁ、ここではそんな生活はさせないから安心して欲しい。贅沢こそさせられないが、人として普通の生活は保障するよ」

「無法者なりに、かしら?」

 こちらがそういうと、フローラとマルシアは揃ってきょとんとした顔をした。そしてすぐ、同時に笑い出した。

「ははははは!こいつはいい!なかなか小生意気な奴が入ったじゃないか!」

「うん、期待できそうだね」

 いま、フローラの口から少し恐ろしい言葉が聞こえた気がした。“期待できそう”?無礼千万な物言いをしたのにもかかわらず、どうしてこの二人が期限を良くしているのか分からない。

「一応ユーグが話を通してるとは思うけど、最終確認だ。私たちの集団に参加する、ってことでいいんだよね?」

「まぁ。他に行く当てもないし、生活はあの洞窟よりマシって聞いてるから」

「うん、マシなのは間違いないと思うよ」

「じゃあ、参加するで大丈夫よ」

「随分上から目線じゃないか」

「話し方を知らないんだもの。あなたと同じよ」

 そう言うと、マルシアはまた大声で笑った。

「こりゃ、鍛えがいがありそうな奴だよ!」

「まぁとにかく、今日のところは食事をとってゆっくり休むといい。直近で固形物を食べたのはいつだい?」

「?」

 質問の意味が分からず疑問符を浮かべる私に、フローラは補足した。

「絶食明けの固形物は、体に悪いからね。それに応じて食事の内容を変えようと思ってさ」

「ああ、そういうこと。昨日よ」

「オーケー。じゃあ、炊事班には消化のいい軽食を作るよう伝えておくよ。マルシア、ガーネットを食堂に案内して」

「了解」

「じゃあね、ガーネット。明日からは色々やるべきことを伝えるけれど、さっきも言ったように今日のところはゆっくりくつろいでくれ」

 フローラは元の席に戻り、作業に戻る。私は一言だけお礼を言い、マルシアとともに団長室を後にした。

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