第1章 心の隙間

第1話 信念

 人生とは奇妙なものである。

 子は、親より先に死ぬべき存在ではない。古くさいかもしれないが、天命を全うすることが、人間として生まれた定めではないだろうか。そして図らずとも、現代において寿命を享受し愛する者々に看取られるのは、勝ち組だけである。なんとも皮肉なことだが。


 さて、---私、いや俺は死んだのだ。

 間違いない。テロリストの放った無数の凶弾が、俺のちっぽけな命を刈り取った。

 きっと今頃、現場は騒然となるも、テロリストたちは銃殺され、鎮圧されているに違いない。無条件な虐殺ジェノサイドは交渉の余地など無いはずだ。ましてや米国警察である。しかしいずれにせよ、無辜むこなる我々の犠牲は、彼らの死に決して及ばない。ただ、悲しみや憎しみが放浪するだけであろう。

 そこには自責の念を抱く者もいるかもしれない。

 

 嗚呼、親父は生きているだろうか。

 目の前で息子が脳髄をぶち抜かれた。それだけで生きていたにせよ、一生の恐怖であり、トラウマだ。

 願わくは彼には生きていて欲しい。いや、俺のためにも生きてもらわねば困る。死んで親父と天国で再会するなんて気まずくて仕方が無いからだ。

 とは言っても、そもそも、我々人間に天国などという希望があるかは知らんがね。悪いが、俺は無神論者でさあ、神なんてこの世にはいないと思ってるんだ。それは脳髄をぶち抜かれたときにはっきり理解したよ。





 ---と、思ってたんですがねぇ…


「----」

「---、-----」

「---------」

「----!-----!?」


 何やら、声が聞こえる。

 それは、音と言うにはあまりに感情がこもっており、理解こそ出来ないが喜びを感じるものであった。

 不思議なことに、それはまるで耳の役割、つまり感覚器官を通して感覚神経を経由し、俺の脳に囁くが如く声を拾わせる。


 …はて。俺には実体があるのだろうか。

 死後の世界があるとすれば、それは天国や極楽浄土のように輪廻転生から解脱できたものが行く先である。だが、見ての通り俺は無神論者。とてもそんな大層な場所にいけるわけがない。すなわち、まだまだ現世の苦しみを味わえということだ。


 しかし、そうなった場合、神は存在することになってしまう。唯名論か唯心論。昔の普遍闘争ではあるまいが、俺もよく考えていた。そして、この闘争の原因は、なによりも神の存在であった。

 だけれども、哀しいかな、どうやら結論は出てしまったようだ。俺の存在によってね。

 ばからしい。

 


 はぁ。つまり、認めざるを得ないだろう。たどり着く結論は一つであった。


 神は存在し、俺は生を新たに受けた。

 享受出来るかは分からない。だが、少なくともだ、死後が無であるよりはずっと良いだろう。

 

 割り切りだ。

 今からこれが、俺の信念なのだ---





---

 


 


 それは、俺にとって忘れられない出来事となるだろう。

 人によっては、一生で一度、体験できるか出来ないかの素晴らしい経験だ。俺は何よりそれをかみ締めたかった。


「…オリヴィア」

「…なぁに、こんな朝早くから。まだ眠たいのだけれど」

「いや…なに、この子は大丈夫なのだろうかと思ってだな。---ほら、また動いた」 

「---この子…あっ!そう! あの子だわ!私たちの愛おしき子はどこ!?」


 美しく、可愛らしい寝顔から母親の顔になるのは、当然彼女も初めてだった。

 綺麗な淡い青髪は、乱れ、普段は真っ直ぐな髪質なのにこの有様であるのは、きっと昨晩のせいに違いない。



 昨晩は大変だった。

 いきなり陣痛が始まったのだ。前々から兆候はあったものの、今回がピークであった。


 俺はすぐに飛び起き、愛おしき妻、オリヴィアの手を握り安心させようとするが、それ以上にすべきことがあった。

 彼女の容体を判断し、助産師を呼びに行く。 

 それが、夫である俺に出来た唯一の救いであった。



 結果、彼女は無事で、素晴らしい贈り物を授けてくれた。

 オリヴィアは小柄であり、出会ったときの姿そのままであるように思われる。だからこそ、俺は心配だった。彼女の体で出産を経験するのは、あまりに彼女の負担が大きすぎるのではないかと。

 しかし、彼女も既に17である。そして、かく言う俺も19の若造。

 生活は安定しているし、衣食住は不自由なく揃い、何より互いに愛していた。ともなれば、あとに望むことは必然的であろう。

 

 …不安はある。分からないことだらけだ。

 だが、それ相当には人生を渡ってきたつもりである。今思えば、かなり危険なことも、危ない橋をも臆せず歩いてきたと思う。

 

 

 ---世間、世界は急速に変わりつつある。これからの時代、何が正しく、何が間違いか。そして正義と悪とが曖昧になってきた。

 古く伝統あるものが、この世の定めとばかりに崩れ落ち、新興の奇抜な価値観が世を蔓延る。そこに不満はない。あるのはやはり不安だ。

 一体、世界はどうなってしまうというのだろうか。

 俺たちが文化人らしく、時には抗い、守っていくべきものは果たして正義とされるのだろうか。


 

 だからこそ、己の理性のみが自らの信念であろう。

 ずっと昔、思い出したくもないバカなガキだった過去。そこに先生は現れた。もう、世にはいない先生。俺の師だった先生。

 

 嗚呼、あの人の教えは、今もなお俺の中で生き続けているのだろうか。

 時々、それが堪らなく怖くなる。大切だったものが去って行くのは、いつも自分の気付かないとき。慢心しているとき。けれど、ずっと目を離さなくても突然いなくなってしまうことがある。

 そんなとき、後悔しないように。大事なものは手元に置け、目を離すな。そして、身を捧げて愛しろ。

 先生の言葉はずっと俺の中だ。大丈夫。



 俺は、オリヴィアとこの子を愛している。たとえ溺愛になってもいい。親バカになってもいい。

 絶対に、一生をかけて彼らを守るのだ。


 それが俺の、信念だ---





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