プロローグ ニヒリストにはなりたくない。

 私はいつも、心に一抹の綻びを、何処からともなく湧上がってくる自分のやるせなさを感じている。

 ”それ”はいつも不意に私を襲うのだ。油断するといつも頭に激しい刺激が走り、胸を、心臓を鷲掴みに強く締め上げてくる。もちろん、激しい動揺と共に。

 だが決して表には出さない。あくまでこれは、何事もない、単なる思春期と言うには遅すぎる、子供染みたちゃちな自分の願望であったからだ。


 けれど私はもう、諦めていた。これは私の、いや俺のさがであるのだと。

 なにも、生まれつきそうではなかったはずだ。それはいつからか俺の中にこびり付き、剥がれず、どんどん蝕んでいった。そして、その存在にハッキリと気が付いたときにはもう風化して、虫歯のようにぽっかりと大きな穴を開けてしまったようであったのだ。



 朝、目覚ましが鳴る。携帯の画面は6:30を表していた。

 ベッドから出るには少し寒すぎる。此処のような雪国では、朝の布団の温もりとは非常に魅力的なものである。そう、特に冬はね。


「---」


 しかし、だからといっていつまでも寝ていられるわけではない。我々現代人は、常に時間に追われるものなのだ。

 『Time is a money』とは、まさしく資本主義の時代において正確に意味を描写している。その功罪は古典派経済学の祖であるアダムスミスに始まり、この格言を著したベンジャミン=フランクリンにおけるまで幅広い、と言うにもまだ足りないくらいだ。

 だが、少なくとも『アカ』よりはずっと良いというわけだ。そこには賛同の意しかない。

 それに、私は文化人でありたいのだ。


「---はっ。文化人、ね…」

 

 一体、文化人とは誰のことを指すのだろうか。

 偏向報道ばかりのTVニュースで、気取った自称社会学者が語るのが正しい知識で、彼らが文化人なのだろうか。それとも広域に、知的労働をする者が文化人なのだろうか。それとも、文学、芸術に身を置く者がそうと言えるのだろうか。


 どれも答えにならない。失笑ものである。


 私は自室を後にし、食卓の席に着く。

 そこは決して賑やかなものではない。テーブルを挟んだ先には、50近くなって白髪が増えた男が居るだけだ。淡々とTVが流され、目の前のありがたく用意された朝食を口に運ぶ。同じく用意された、私好みのコーヒーを喉に流しながら。


「なあ、今日が発表なんだろう。送っていくか?」

「…いや、いい。一人で行く」

「分かった。まあ、心配せずに俺は仕事に行くぞ。分かったら電話でもしてくれ。したくなかったらしなくてもいいが」

「分かったよ」


 親父はそう言って席を立つ。

 彼の言うとおり、今日が近隣の県を含めた国公立大学の前期発表日だ。

 

「…しかしまあ、本当に良かったのか?」

「何が」

「何が、ってなあ…大学だよ」

「ああ、別にもう良いよ。あそこだって近隣の県じゃ一番だ。一応旧帝大の次地位的なポジションだし、その中で法学部なら、県内就職であればまず困らないよ」

「…そうだな、忘れてくれ」

「ああ」


 センターはとりあえず700点台だった。緊張したものの、大失敗はしていない。初頭なら大阪の外国語学部、2,30台なら東北、北海道であれば文系ならいける。関東にしたって筑波なんか狙ってた。二次はあるにしても、私ならいける。それだけの時間も、努力も費やしてきた。

 だけど、結局は地元を選んだ。正確には地元と言って良いのかよく分からないが。

 

「んじゃあ俺は行くぞ、戸締まりだけ頼むな」 

「---」


 朝食は食べ終わった。この家にはもう誰も居ないことになる。もともと食器も、料理も、ベッドも二人分しかないからだ。準備だけして私も早く家を出よう---





----  




 結論から言うと、受かっていた。センターはA判定だったが、それでも不安は正直あったし怖かった。けれどようやく肩の荷が下りたようだ。今は結構ほっとしている自分が居る。

 親父にはLINEで連絡だけいれておくことにした。


 周囲には歓喜の声や落胆の声が轟き、皆感情が極まっている。

 当然だ。これからの人生に多大な影響を及ぼすのだから。私は感情は表にこそ出さないが、嬉しいのはもちろん私もだ。別に自分を特殊だとは思わないが、少々変わり者だとは思う。基本的に思考では一人称が私なのも、自己を冷静に保つための道具と考えているが、それでもやはり変わっているだろう。


「あっ、■■■■じゃん」

「ん、おはよう。…どうだった?」

「ばっちし。受かってた」

「おお、良かったね。俺も受かってたよ」


 クラスの友人である子が私に声をかけてきた。

 なかなか社交的で良い子である。私も時々勉強の質問に答えたりするうちに、顔を会わせると一言二言は話すようにはなっていた。


「まあ■■■■はもう絶対受かってたでしょ?途中で颯爽と高校編入してきたと思ったら、いきなりうちのクラスで首位争いしてるんだもんなぁ」

「うーん。俺も不安はあったし怖かったけどね?」

「ええ…んじゃあ俺はもっとヤバかったことになるけど??」


 他愛もない与太話で私たちは笑う。

 ちなみに私たちは所謂特進クラスとやらで、どうやら1,2年時の成績優秀者が一つのクラスに集められ、お互いに競い合わせてより成績を伸ばさせる。というコンセプトの下の、自称進学校にありがちなシステムである。 


「正直、■■■■は勿体ないよ。センターそれだけあれば旧帝いけたっしょ?」

「んー、そんな甘くはないと思うけどね」

「いやあ、一応志望してたとこは、二次、世界史と英語でしょ?■■■■なら世界史満点いけるし、英語だってそんなに悪いわけじゃないじゃん。ホント羨ましいよ」

「---」 


 そこから先は、他愛もなかった。



 家に着くとすぐに寝た。外はあまり好きではない。部活だってバスケをしていたが、室内だ。結局、高校編入に伴って最後まで出来なかったが。

 思えば、脳内止揚が一段と増したのも、部活をしなくなってからかもしれない。体を動かすよりも頭を動かした方が好きだし、得意なのは承知している。けど、運動部をしていると学べることが沢山ある。

 もちろんバスケはチームスポーツであるし、体格差がもろに出るのが特徴でもある。だからこそ一人強いヤツが居ると、ソレ中心にことが進んだり、上手い下手で影響が出てくる。雰囲気がギクシャクしてくるように私には思えた。全てのチームがそうとは言わないが、私にはその空気がどうも苦手だった。

 結局、自発的には辞めず、最後まで自分は耐えて、いや、やり切ったつもりであった。楽しかったことも沢山あるし、先輩が引退してからの夏は、誰よりも早く登校し、一人朝練に勤しんだ。俺はみんなと違い、中学生の頃はバスケをしていなかったし、一年生の頃はとにかくがむしゃらに練習についていった。体力が無かったし何度も挫けそうになったが、そのおかげで学べたことは山のようにある。あのときの練習にくらべたら…と思ってキツいことにも我慢強くなれる。それだけでも十分なのだ。


 親父も似たような経験をしていた。

 彼も高校は進学校ではあったが、野球一筋の人間でもあった。そしてキャプテンであったらしく、まさに野球には嘘をつきたくない、そういう人だった。

 親父が私と違う、決定的な部分。それは環境、努力、才能とはほど遠いもので、信念だと思う。


 彼は現役の頃、とある目標を掲げていたと言っていた。

 俺たちは公立の進学校だと。だから私立のヤツらには野球で食おうとしているヤツがいるので、そこは割り切ろう。だが、同じ公立のヤツらには絶対負けない、と。

 その結果が、嘘みたいなのだが、上手いこと公立の高校が私立を破り、親父のチームが勝ち上がってきた公立を破って、甲子園出場、というわけだ。

 別にこれは漁夫の利でも何でも無い。純粋な努力の報われであろう。

 しかし、その結果は凄まじい。そして良くも悪くも、それが親父を苦しめたそうだ。


 当時、このことは話題を呼んだ。公立の進学校が甲子園に出てしまったのだから、地域メディアでもすごい注目度だったらしい。それがたとえ、甲子園一回戦敗退でも、出場だけですごいことは皆当然承知だった。

 そのせいで、親父は大学、就職と、何処に行っても言われ続けたそうだ。

 見る人来る人が皆、こいつはどんな奴だろう、と詮索をいれるように相対ハードルが無条件に上がるのだ。昔、酒で酔っ払った時に、思わずだろうが口から溢したことを私は覚えている。  


 親父は教師だった。だが数年前に行政に昇格させられた。

 何故表現が受け身なのかというと、親父はそれを嫌がっていたからだ。何故単なる教師が行政なんぞの全く別の職種に就かないといけないのか、と。だがこれを拒否すれば、後は一生昇格の話は来ない。そういう世界なのだ。

 

 そしてことが起こった。

 あの親父でも魔窟は少々難敵だったらしい。とくに人口が多い都市というのはそれだけ業務が忙しい。民間の人から見ると、公務員とはノルマがなく安定してて良いと思うかもしれない。

 だが現実はそんなに甘くはないのだ。今日、ようやく教員の多忙かつブラック職種現場が明らかになりつつあるが、はたして公務員の中で教員だけがそのようであろうか。むしろ、行政というキレ者が集まっている集団において、中間管理職でありつつ、イチから職務を覚えていかないといけないのは相当なものであるはず、というのが自明の理でなかろうか。


 そして、私たちは親父の地元に移り住んだわけであった。

 その以前から我々は二人だったし、そこに親父に対する負の感情は一切ない。

 親父は再び教職に就いた。これでよかったのである。


 けれども、彼は私に責任を感じているのであろう。それは、ずっと前に我々が二人になったことを考慮するとなおさらだろうか。私は彼を責めたりはしないというのに。




「アメリカ、行くぞ」

「…は?」


 突拍子も無く親父が言い出したときには、そのことがすぐさま脳裏を過ぎった。

 何故?どういう気の狂いで?また現状が難敵になったのだろうか?

 幾つもの言葉を飲み込み、何でも無い声で訊ねた。


「旅行だ」

「はぁ」

「パスポートはまだ効力が残っているだろう。行き先はニューヨーク、行きたい場所を調べておいてくれ」

「また急な…理由は?」

「だから旅行だ。何度も言わせるなよ」


 …いつぶりだろうか、親父の楽しそうな顔を見るのは。

 気が付いたときにはもう白髪が大部分を占めていた。私の、いや俺の尊敬する人は、そういえば昔はこんな茶目っ気があったのかもしれない。それは今となってはもう正確には思い出せないのだが、ぼやけた風景が脳裏をかすめるばかりであった。


 いつの日か、それは叶うのだろうか。 

 その得体の知れない漠然とした望は、俺自身何であるのかはっきりと理解していない。

 母親がどうだとか、人生にゆとりをもたせるだとか、はたまた俺をどうしたいだとか、そんな望なのだろうか。分からないが、今はもう彼に任せるのが最善であった。俺の理性がそう同意したのであったからだ。




---



 ニューヨーク。もともとはオランダ領ニューアムステルダム。

 英蘭戦争を経て、アメリカ開拓時代からヴァージニアやフィラデルフィアと並び成長し、WWI後のパクス=アメリカーナでは栄華を極めた都市。それは現存だ。

 

 まず、マンハッタン島ではセントラルパークが大きな存在感を示していた。

 それから地下鉄に乗り、ハンバーガーショップではその大きさを実感し、国連本部を目に焼き付けてきた。そして、同時多発テロの惨害を知識から記憶へと変えるためにも来た。良い体験だった。

 米国という国は、周りが言うほどはいけ好かないが、この規模と発展具合をまざまざと見せられると、やはり覇権国家であることを実感する。そういう都市であった。

 

「…さて、どうしたものか」

「---」


 俺たちは英語は話せる。それこそ日常会話なら特に難なく。

 だがこの国を一つだけ見誤っていたとしたならば、それは人種のるつぼであったこと。すなわち○○系アメリカ人である人が大勢居るということだ。

 もちろんネイティヴの英語も発音が滑らかすぎて聞き取りにくくはある。しかし難関過ぎると言うほどではないのだ。


 一方、アジア系、もしくはピスパニック系の人々は英語が話せないがアメリカ滞在している、ということもよくある。その上でバイリンガルである人もいることはいるが、あまり主流ではない。

 そういうわけで、少々彼らと危うくトラブルになりかけた。

 そして、それはどうにか防げたのだが、観光計画には支障が出た次第であった。


「あー、なあ、これからワシントンに行く、ってのはどうだ?」

「ほう…」

「さっき調べたんだが、どうやら上院議員様が移民についての講演会を開くらしい。先刻のあれも重なって興味が湧かないか?一応事前申し込みは不要らしいが」

「ん、面白そうじゃん。ワシントンまでどれくらいかかる?」

「---4時間ちょっとだな。…やめとくか?」

「いや、行こう。興味が湧いたよ」


 ニューヨーク=ワシントン間は、おおよそ東京名古屋間の距離だと思ってもらえたらいい。所要時間はバスで四時間半程だ。

 私たちはバスに揺られ、ようやくワシントンに着いた。まずはホワイトハウスを見たいと思い、またもや光景を目に焼き付け終わった頃には、もはやおやつが食べたくなる時間であった。



「ん、ここがそうみたいだね」

「ほお、思ってたよりは講演者と受講者の距離が近いな」

「警備は大丈夫なんじゃない?ほら、体格が屈強なSPがそこらじゅうにいる。ましてや移民排斥主義者ならともかく、移民保護の立場の人でしょうに」

「それもそうだな」

 

 最近、移民についてこの国は敏感である。

 先日の大統領選挙において、国が真っ二つに割れているようなものなので、今回もこの講演会の注目度は高いらしい。そのためより多くの人に集まってもらうために、かなり有名で地位のある上院議員であるが、こうして事前申告なしに傍聴者を募っているのだ。

 事前通知だと話の内容はざっくりと、移民や黒人に対する銃乱射の不条理とその対策を国会に提出するためのより強固な支持を得たい、ということらしい。

 だから親父が警備について心配するのも分からなくはない。普通、こんなに傍聴者が近いなんて思わないだろう。もしこの場で銃乱射なんぞされたらひとたまりも無い。

 けれどきっと、それだけこの議員には熱意があるというアピールのなるのだろう。民衆はそれをうけてますます支持したくなる。メディアを通して見る人が間近に居ると、思わず興奮するのはどこのどの分野でも同じだ。

 だからこそ、ボディーチェックは念密にこれでもかというほど受けたが。


 そして、とうとう“かれ”が来た。



 第一印象はすごく若かった。

 地位のある、なんてことを聞いていたものだから、てっきり豊かに肥えた白髪のおじさんだと思い込んでいたが、そうではない。

 その目には自信と野心が。そしてなにより為政者である覇気というか、オーラがにじみ出ている。

 たまたま私たちは、前方の席に座れたので、間近で彼を見ることが出来た。



 演説は凄まじかった。

 正直、驚いた。興奮した。人がここまで感情を湧き出させることができるのだと、初めて知った気分だ。これこそ民主主義の神髄、いや良くも悪くも大衆民主主義の時代なのだと。

 ドイツ第三帝国として、A.ヒトラーもまた演説が素晴らしくカリスマがあったと言われる。ヒトラーはその巧みな技術を生かして世論を引っ張り、全権委任法や強硬政策を次々実施した。そして、あとは周知の通りだ。

 

 ---思わず、目の前の彼を、そう思ってしまった。




 そのときだった。

 突如として、初めて聞く、銃声というものが鳴り響いた。初めは銃声だと分からなかった。頭が真っ白になり、思考がまわらない。こんなことは今まで一度も無かった。私が、俺が思考が回らないなんて。

 

 だが隣にいた親父に頭を押さえ付けられ、座席に隠れるように身を屈める。

 恐ろしさのあまり、手が震える。


 しかし、銃声は、銃声と化さなかった。

 銃声に混ざって聞こえるのは、悲痛な叫びを帯びた阿鼻叫喚。



 ---本能的に頭が回らないなりに悟った。これは無差別テロだと。

 

 怖さのあまりか、何故か、思わず乾いた笑みを浮かべてしまった。

 見れば、つい先刻までカリスマのある演説を行った彼は、無残にも血だるまになって倒れており、SPや医療者と思われる人達が周りに駆けつけようにも、複数居ると思われるテロリストたちの休む間もない乱射で動けない。

 

 

 

 



 そして、運命とは無情にも我が身に降りかかるものだった。


 一瞬の痛みが、何よりも逐語通り、脳裏を過ぎった。それは俺が普段やっているような子供染みた思考の止揚に伴う痛みや苦しみではない。紛れもない現実リアルであった。

 矛盾するようだが、痛みはなく、驚きであった。不幸が俺を選んだとは考えずにいられなかった。


 親父の、目を見開いていく様がとてもまじまじと見られる。

 時間がゆっくりすぎる。だから皮肉なことにいろいろ考えてしまう。

 


 嗚呼、親父に一度ぐらい言っておけばよかった。

 あなたは最高の父親だ、と。誰よりも尊敬でき、誰よりも俺を理解してくれた。


 “少なくともこの3年間は”

 

 そうすれば、きっと、俺が死んでも彼の痛みや、悲しみは少しはマシになるかもしれない。

 おそらく俺のことを想ったが故に、今回の旅行を決断したのかもしれない。

 俺に対する負い目から、本当はいつも内心ビクビクしていたのかもしれない。

 強い人間なんて存在しない、完璧な人間なんて存在しない、ただ己の理性があり、それに信じることが大事だと教えてくれたのは貴方なのだ、と。



 ---だから最後に、精一杯微笑んでみた。





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