42 ウィッチブラッド
丸くなったままロゼルは続けた。
「こういう話って、迂闊にできないから……受け入れてもらえるのって、慣れて、なくて……ごめん。……嬉しかったのよ」
テーブルに額を押し当てたままロゼルは再度「ありがとう」とくすぐったそうに笑った。
セスは首に巻く髪をなんとなく弄る。
「師匠やベアトリーチェだって、性別なんてありませんでしたし……」
席につき直しながら零したセスの呟きに、ロゼルが顔を上げた。
「性別があるのは……自分達、第三世代の魔女からです。魔女は元は隣人と呼ばれる、実体をもたない存在だと……前に、言いましたよね?」
「聞いたわ。ブージャムは隣人でも実体化できる数少ない存在だとも」
「その通りです。しかし、実体化しても師匠には性別はありませんでしたよ」
セスは口を動かしながらテーブルを叩いた時にそこへ転がしてしまった薔薇を持ち上げる。
「ヴァルプルギス以降に生まれる隣人はすべてが実体をもって生まれましたが……それでも皆、性別はありませんでした。そんな性別のない隣人達が不思議な力を使う姿を見て、人間は隣人を魔女と言い始めたんです。この時の、魔女と呼ばれ始めたキッカケを作ったのが第二世代の肉体をもちながらも性別のない存在……」
セスは指先で白い薔薇を回した。
「ベアトリーチェが、この世代です。このあと、隣人よりも魔女という呼ばれ方が定着して来た頃、新たに性別をもって生まれてくる魔女が現れました。それが」
「セス?」
「第三世代と呼ばれています。……人間と違って繁殖能力はありませんがね。これは、擬態に近いものです……人間に怪しまれずに過ごすための……」
白い花弁を口に含んだ。
自分の咀嚼音だけが響く。
セスはもしょもしょと薔薇を味わい、嚥下する。
「性別であんたが決まるわけじゃありません。あんたの存在を決めるのは、あんたの生き方です……」
言葉を吐き出すと空気に触れてより一層口内に甘味と、そこに混ざる優しいしょっぱさが広がった。セスは心地良い後味すら堪能し、ハッとした。
「あ……」
食べ欠けの白薔薇を見て、次に長い前髪の隙間から恐る恐るロゼルを窺う。
「いいわよ。食べて」
気付いたら食べてしまっていた品への正式な許可を得て、セスは安堵する。セスは食べたものを戻せる魔女ではない。
言葉に甘えて深雪色の薔薇――ラストシュガーローズをじっくり噛み締める。
ロゼルもティーカップを持ち上げて紅茶を飲んだ。
二人は互いにしばらくなにも発さずに自分の好みのものに浸る。
「……ご馳走様でした」
薔薇を完食し、セスがそう言うと空になったティーカップの持ち手を意味もなく指の腹で撫でていたロゼルの手が止まった。
「それだけで足りる?」
「……正直なところ、足りないです」
「ちゃんと用意するわ」
セスが返事をする前にロゼルは席を立つ。
一階には劣るが作業場にも薔薇の束はたくさん並べられている。ロゼルは壁際に並ぶ業務用の大型の花瓶に向かうと慣れた手付きで薔薇を選別し始めた。
セスの頬は自然とゆるむ。今日はどんな薔薇がもらえるのかと心をそわつかせるが、唐突に奇異な違和感に襲われる。
「ウィッチブラッド……?」
セスは口の中で呟いた。
ロゼルの言葉が頭の中を巡り、セスは引っ掛かった部分をすくい上げる。
「……ロゼル。あんたの欲しいものって、カニバルブーケじゃなくて……ウィッチブラッド、なんですか?」
数輪の薔薇を手にロゼルが振り返った。
「そうよ。魔女の赤薔薇。だからそう言われているカニバルブーケを追っていたの」
「カニバルブーケは、ウィッチブラッドじゃないですよ……?」
「赤い薔薇はウィッチブラッドでしょう?」
そこでようやくセスはロゼルと会話が噛み合っていない意味を理解した。
人間には赤薔薇は一輪しか認識されていない。
複数の品種が存在しない赤い薔薇は人間にはウィッチブラッドただ一輪だけ。
だからこそ、人間にはカニバルブーケの赤い薔薇とウィッチブラッドは同一視されている。
簡単なことだった。ロゼルも人間だ。彼も他の人間同様、カニバルブーケの赤薔薇とウィッチブラッドが別物であるとは知らない。
「そういう、ことか……」
セスは頭を抱えた。
違いを知るのは、ウィッチブラッドがなんであるかを把握するセスだけだ。
「ロゼル……」
ゆっくりと腰を持ち上げたセスは真剣な面持ちでロゼルを凝視し「すみませんでしたッ!」
思い切り、深々と、頭を下げた。
「な、なにが……?」
「いや……あんたの想いを考えると……言わないと、いけない気がして……自分の良心的にも……ちょっと……」
きょとり、とするロゼルへとセスは胸を押さえながら呻いた。
「ナイフ……鋏でもいいです。ありますか?」
「鋏? それなら、そこのサイドチェストの一番上にあるわよ」
ロゼルは答えると、セスに背を向けて朝食の準備を続ける。
「お借りします」
セスは作業場を見渡した。引き出しが三段しかない低いサイドチェストの天辺を開ける。ラッピング用のリボンが綺麗に並べられ、その端のスペースに鎮座する箱の中に鋏が定規などと一緒に横たわっていた。
きちんと手入れがされた切れ味の良さそうな銀の鋏をセスは右手に掴む。
「なにに使うの?」とロゼルがセスに顔を向けた時には、セスは鋭利な刃で自分の左手の平を撫でていた。
「ッ──なにやってるのよ!」
「……少しでも、謝罪の気持ちを表そうと思って……」
「魔女の謝罪はこんなにも物騒なのっ⁉︎」
ロゼルは薔薇の束を長テーブルに素早く、しかし丁寧に置き小走りに別の大きなチェストに直進する。荒々しく引き出しから清潔なタオルを引きずり出した。
「魔女ではなく……これは、自分個人の謝罪の仕方です。ロゼルになら喜んでもらえると思って……」
「ボクにそういう趣味はないわ!」
眉を吊り上げて激しく唾を飛ばすロゼルの顔面は、いまにも崩れそうなほど必死だった。
セスは首を捻る。
なぜなら絶対にロゼルに喜んでもらえる自信があったからだ。
「ロゼルの趣味は知りませんが…………」
セスは左手をロゼルに伸ばした。
顰めっ面になったロゼルがその手をタオルで包もうとして「――え?」と動きを止める。
セスの手の平から滴る鮮やかな赤にロゼルは固まった。
「受け取ってください」
セスはいつもの調子で言う。
そして傷口から溢れ出す赤い花弁を右手に持つ鋏の先で掻き分けて、花弁ではなくきちんとした形で傷から咲いた赤薔薇を選ぶと、薔薇の乗った左腕を改めてロゼルの眼前まで掲げた。
ロゼルがタオルを落とす。
「……ッ……!」
空気だけがロゼルの喉から短く流れた。
開かれた唇は、微かに震えている。
「……ウィッチ、ブラッド?」
たっぷり十秒後。ロゼルは目の当たりにしているものの名を言葉にした。それはまるで確認している口調だった。
セスは首を縦に振って肯定する。その間も鮮やかな赤薔薇はセスの傷口から咲き続けた。
これはカニバルブーケという紛い物の赤薔薇ではない。
正真正銘の、歴史に残っているものと同一の品だ。
「欲しいんですよね? あげます」
「あ、あげッ……あっあっ、はあああぁあ――ッ!」
突然至近距離で叫ばれ、セスの耳は痛む。
聴覚への攻撃にセスが顔を歪めていると、腕が取れると思うほどの力で左手首を掴まれた。衝撃で手の平から鮮血の花びらがいくつかはらりと床へ滴る。
「ウィッチブラッド! なんっなんで! なんでセスが! セスがっセスーッ!」
「はいはい……セスですよ。なんですか? 大丈夫ですかロゼル? 顔がすごいですよ?」
「なんではこっちの台詞よ! なんでセスがウィッチブラッドを! セスの血が! 血! ウィッチブラッドが!」
興奮で支離滅裂なロゼルに今度は両肩を掴まれる。爪が食い込んで痛い。
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