43 ラストシュガーローズ

「文献にも残っているんでしょう? ウィッチブラッドはとある魔女の血だと」

「キミは《薔薇喰いの魔女》で! 《血の魔女》ではないでしょう! そもそも《血の魔女》がいないって言ったのはセスじゃない!」

「そうですよ。《血の魔女》はいません。自分は、なんですか?」

「キミは《薔薇喰いの魔女》で……! ま、さか……!」

「人間って、勝手に名前をつけるのが好きですよね……そんな魔女、聞いたことがありません……」

「心優しい少女と、セス! 血のセスなの!」


 激しく揺すられ、セスは右手に持ったままの鋏を落とさぬよう気をつけながら「そーですねぇえ……」と認めた。揺れに合わせて声までおかしく伸びる。


「百年前よ! 約百年前の出来事よ! キミどう見ても十八、十九じゃない!」

「魔女、はっ……長命だと、言ぃましたっよ、ね?」

「本当に? 本当に……心優しい少女に救われた《血の魔女》? セスが! セスが御伽噺に出てくる《血の魔女》なの!」

「そのっ、ことっです、け、どっ……あの話、改変されすぎで、すよお……」


 がくんがくんと頭を前後させられ、途切れ途切れになりつつもセスは言う。舌を噛みそうになった。

 ロゼルの動きが止まる。

 期待と好奇心に輝く眼差しで見つめられ、セスは腕を伸ばして重い嘆息とともに鋏を棚の上へ置いた。


「レイシーは……心優しい少女じゃ、ありません」

「レイシー? それって」


 ロゼルが何かを思い出したように表情を変える。

 やはり汽車の中で、悪夢に起こされたセスは口走っていたようだ。そしてはっきりと聞かれていたらしい。

 なら、ここまで話して隠す必要もないだろう。


「自分が薔薇を渡した――あんた達に黒い少女と言われる子です」


 興味深そうにロゼルは一層表情を明るくする。

 相対的にセスの顔は曇った。


「レイシーは病弱でしたけど、話に書かれる心優しい少女とは酷くかけ離れていますよ。確かに、出会った時自分は怪我をしていましたが……彼女は自分を治療してくれる気なんてありませんでした。……逆です。逆。もっと……見たがったんです。彼女は、ずっと……ずっとずっと、自分をつけ回してきて……ッ! 靴に針を仕込んだり、窓から花瓶を落としてきたり、猫を投げてきたり、最終的に中々怪我をしないからと……は、鋏を持って、追いかけてきて……逃げた自分を、自分をっ……階段から落としたんですっ!」


 当時の出来事が走馬灯のように巡り、セスの視界に火花が散る。

 突然感じた小さな衝撃と強い熱。突き飛ばすように己の身に突き立てられたそれがレイシーの持っていた鋏であると理解する前にセスの世界は回っていた。

 何もかもが突然で、世界が狂ったかと疑うほど。

 階段から転がり落ちたと自覚したのは、床に叩きつけられた衝撃と遅れてやってきた全身に走る痛みによってだった。

 思考がまとまらず、痛みに動けなくなっているセスの歪んだ視界に映ったのは自分から滴った赤薔薇の花弁と、階段の上で笑うレイシーの姿。

 レイシーの遊びの誘いを断れなかった当時の自分を、セスは強く強く叱咤して引き止めたい。


「ま、魔女じゃなかったら死んでますからね! なのに……レイシーは、痛みに呻く自分よりも先に自分から零れた薔薇を拾い上げて『きれいね』と笑ったんです。……あの満面の笑みは、いま思い出しても鳥肌が立ちます……!」


 鮮明に刻まれた恐ろしい記憶。

 少女の無邪気な笑顔はセスの心に色濃く染み込んで百年経ったいまでも消えない。


「あまりにもこわ──し、しつこいのでその血を、ウィッチブラッドをあげたんですよ……」


 自分で語り、胃が痛くなってきた。セスの身体の中に詰まるのは薔薇であり、臓器は入っていない。が、なぜかレイシーを考えると内臓があるかのように身体の内側が軋むのだ。


「これが、真実です……」


 セスは吐き気を堪えながら断言した。

 レイシーのことを思い出すと憂鬱でならない。

 薔薇を、自棄喰いしたなる。


「き、聞きたくなかったわ」


 ロゼルが口を両手で押さえ、大きく目を見開く。手が震えていた。うっすらと目元には涙も浮かんでいる。


「真実なんて……こんなものですよ……」

「嘘よーっ!」


 頭を抱えて膝から崩れ落ちたロゼルにセスは鼻を鳴らして失笑した。

 そう。真実とは残酷だ。

 ウィッチブラッドを渡したせいでレイシーは魔女だと疑われ、狩られた。

 華奢な体躯が柱にきつく括りつけられ、轟と笑う業火に喰われる光景は彼女のあの眩い笑顔と同じくらいセスの瞼にこびり付いていて離れない。

 いまは百年前とは時代が変わった。錬金術が発達し、一部では魔女は人間の恐怖心によって生み出された精神的なまやかしの存在と語る者すらいる。

 ウィッチブラッドの存在が人目に触れてもロゼルが火炙りにされる心配はないだろう。少し見られても偽物と思われ、趣味が悪いと囁かれる程度。万が一大事になっても、処刑ではなく病院に閉じ込められるか、錬金術師から譲ってくれと頭を下げられるか……なんにせよ、彼の命は無事であるはずだ。

 それに、彼はレイシーとは違ってこれを他者に見せびらかすような性格はしていない。むしろ逆だろう。


「どうぞ」


 改めてセスはウィッチブラッドを差し出した。


「これでもうカニバルブーケを気にする理由はないですね」

「そうね。でも……いらないわ」

「え?」


 面食らったセスに今度はロゼルが意地悪に口元を綻ばせる。

 ゆっくりと立ち上がった彼は片足を半歩引き、綺麗に身を翻す。長テーブルに向き合って、箱から空のフラワードームを取った。

 手慣れた動作でフラワードームを半分に分解。土台側である下部のほうを右手に乗せ、セスの元からウィッチブラッドを素早くさらうとドームへと落とした。暖色のアルバ硝子に彩られる上部をくっ付け直して「はい。お土産」とロゼルはウィッチブラッドをフラワードームごとセスの左手に戻した。


「流石に自分の血は食べないでしょ?」

「それは……まあ……。けど……ロゼル、本当にいいんですか?」

「いやよ。すごく欲しいわ」


 ロゼルは腰に手を当て、胸を張って言い切った。

 意味が分からないとセスは表情で問う。


「欲しいけど……実物を見たら、まだかなって思ったのよね」

「まだ?」

「うん。まだ……」


 その真意がセスには理解できなかった。が、なんとなく腑には落ちた。

 こういう気持ちは、言葉では明確に表せられないものかもしれない。だからセスは疑問符は浮かべたものの追求はしなかった。

 きっとそれは無粋な行為になる。

 代わりにセスはフラワードームをじいっと深く凝視。確かに薔薇だが自分の血と認識するものをベアトリーチェに渡すのははばかられたので、これは素直に自分への土産にしようと決める。

 レイシーならきっとこれを大変喜んだろうが、セス的にはラストシュガーローズのほうが断然良かった。あれは期間限定品。いくらでも味わいたい。

「セス」呼ばれ、思考をそちらに向ける。

「!」


 長テーブルに薔薇がずらりと並べられていた。

 赤以外の薔薇がいくつも転がるそこにラストシュガーローズの頭も発見する。


「好きなの食べて」

「いいんですか!」

「大奮発よ。その代わり……やっぱり、しばらくそれ見せて」

「好きなだけどうぞ!」


 セスはロゼルにフラワードームを放り投げ、嬉々と席についた。

 両手でフラワードームを捕まえたロゼルも恍惚とした様子で中のウィッチブラッドを観察しつつ自分が座っていた椅子へ戻る。

 再生力の高いセスの傷は既に塞がっており、傷のない手で薔薇を掻き分けて真っ先にラストシュガーローズを掴んだ。

 ふとラストシュガーローズの薔薇言葉が浮かぶ。


「……前言、撤回ですね」


 ウィッチブラッドに夢中なロゼルには、セスの呟きは聞こえなかったらしい。


「良い縁でした」


 心から満足そうに微笑んで、魔女は薔薇を喰べた。


 ラストシュガーローズの薔薇言葉は――――

『陽光の訪れ』

『苦難の終わり』

『新しい出逢い』

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