40 血の魔女の赤い薔薇
◆ ◆ ◆
セスはどこでも寝られる。
野宿は勿論、安い三等車の硬い席でも、一等車の柔らかくも慣れないベッドでも、見知らぬ部屋でも、ぐっすりと眠りにつける体質だ。
そんなセスが、昨晩は一睡もできなかった。
「……はあー……」
輝かしい朝に見合わない重苦しく澱んだ気配を纏い、一人だけ夜に取り残されているような重い溜め息を吐きながら身体を起こす。
昨日、地獄を凝縮した家を後にした二人は一言も交わさずにクエスチョンローズへと戻った。
帰宅するとロゼルは留守を頼んでいたギルバートへ真っ先に謝罪しに行った。外出理由をうまく誤魔化して説明し、妹が納得すると彼は一度風呂と着替えに向かった。その間、兄の異変に気付いたらしい妹がセスに訊ねてきた。店に戻った途端にロゼルはいつもと変わらぬ振る舞いになったのでセスは驚いたが、身内には違いが分かるらしい。
セスは適当に「迷宮区に立ち寄ったら喧嘩を売られました……」と言い訳をした。ギルバートは追求してこなかったが、多分嘘だと気付いている。
ロゼルと違ってセスは顔に出やすい。セスは逃げるように家庭用通話機を借りるとその場から離れた。ベアトリーチェに連絡をし、ことのあらましを簡潔に説明すると彼女はとても安堵した様子だった。
今回の件はこれで終幕ね――と。
セスは念のため今日はクエスチョンローズに泊まり、明日に帰ると伝えて通話を切った。
セスにとっては、まだ終わりではなかった。
そのあとロゼルと話す時間を探したが、あろうことか彼はいつも通りに午後の営業を始め、いつも通りに仕事をこなし、いつも通りに業務を終え、いつもと違った様子で「ちょっと、一人にさせて欲しい」と、夕食もとらずに部屋へこもってしまった。
そして彼は部屋から出ず、気付けばセスは機会を逃して次の日の朝を迎えていた。
「避けられてる、よな……? いや、当たり前か……」
セスは顔を両手で覆う。歯を食いしばったまま、鼻から嘆息を吐いた。
その状態でしばらく固まる。そうしていても、勿論意味はない。
動かなければ、どうにもならない。
「…………」
セスは随分と馴れた客室の最高に寝心地の良いベッドからおりた。解けた髪を三つ編みにする技術はいくら足掻いても習得不可能だったので、そのまま首に巻く。ベッドの側にいた赤いスリッパを履き、毛布の上に寝かせていた女性物の黒外套を羽織った。
重い足取りで、ベアトリーチェの家とはまた違う洒落た家具が並んだ客室から出る。
甘い香りに誘われて廊下を進んだセスはとある扉の前で二回深呼吸をしたあと、扉を開いた。
甘い香りが強くなる。
「おはよう。随分と早いのね」
「っ……おは、ようございます……」
思わずセスの声は裏返った。朝だから喉の調子が悪いとでも言うように、軽く咳をして誤魔化す。
扉の向こうはフラワードーム薔薇専門店クエスチョンローズの作業場である中二階。
硝子のティーカップと液状の赤い香辛料入りの硝子瓶が置かれた長テーブルに肘をついてくつろいでいた店主は咳き込んだセスに「なにか飲む?」と気を配ってくれた。
「大丈夫、です……」
セスは後ろ手で扉を締めながら答える。いると思ってここに来たのだが、実際にいると変に驚いてしまった。
セスは妙に落ち着かない自分の感情を押し込みながら甘い香りに身を浸し、彼の向かい側の席に腰を下ろした。
「ギルから聞いたわ。今日戻るんですって?」
「その予定です……」
「これ、良かったらお土産に持っていって」
ロゼルは重厚なアルバ硝子と真鍮で飾られた箱をセスの前に差し出した。彼が蓋を開けると菫色のクッションが出てきた。それを退かすと、
上部が暖色系のアルバ硝子でまとめられたフラワードーム。
中身は、入っていない。
「良ければ好きな薔薇を選んで。お土産だから、食べないでね?」
セスの前に箱ごとそれを差し出して、ロゼルは女性的な仕草で笑う。
早朝だからなのか、臨時休業にしたからなのか、いまのロゼルは化粧もせず黒いワイシャツにスラックスというシンプルな格好だった。
胸元のボタンもみっつ開け、随分とゆったりしている。そこから覗く素肌には、なにも巻かれていない。前までそこに包帯が巻かれていたことを知るセスは、完治したことに胸を撫で下ろした。
同時に、彼に傷を与えた存在のことを思い出し、心中のわだかまりが不快に蠢く。
セスは箱を両手で握り締め、意を決した。
このまま彼と別れるわけにはいかない。
ここまで関わったのならば、きっと知っておいたほうが良い。
「……ロゼル。聞かせてください」
「なにを?」
「あれだけカニバルブーケにこだわった理由です」
セスは淡々とロゼルに述べる。
ロゼルがどこか寂しげに目を伏せるが、セスは続けた。
窓から差し込む白い朝日がアルバ硝子により極彩に変化する。
甘い香りに包まれた店内で、空気に混ざった埃がキラキラと輝く様は美しかった。
「あんたは、それなりに腕が立つ人だと思います。なのに、カニバルブーケには一切手を出さなかった。どんなに自分が傷付いても……職人は、自分が商品と言っても過言ではないですよね。そんな自分に傷を付けてまでこだわった理由は、なんですか? ……もしかして……ロゼルは、その……いたぶられるのが好きという、そっちの人で」
「それはないわ。絶対に」
「……なら、なぜ?」
セスは問う。答えてくれるかは分からない。もしかしたら答えてくれないかもしれない。
それでも、黙っていることはできなかった。
言葉で表さなければ、伝えられないものもある。
「…………」
ロゼルは額に指先を当て、少しだけ項垂れると濁った溜め息を吐いた。
「いまからする話……笑っていいわよ」
少し間を置いてから、ぽつりと零す。
「笑う……?」
「うん。笑い話にしてちょうだい」
そう前置きをして「ボクはね、憧れてたの」と、ロゼルは語り出した。
「血の御伽噺。実話をもとにしたあのお話に出てくる薔薇……少女が《血の魔女》から受け取った赤い薔薇に、ボクはずっとずっと憧れていたの」
「!」
予想外の始まりにセスは息を飲む。一瞬目の焦点がブレたが、唇を噛んで真紅の言葉に耳を傾けた。
聞こうと決めたのはセス自身だ。
どんな内容でも、最後まで耳を傾けねばならない。
例え、予想外の内容に自らの古傷を開くことになったとしても。
◆ ◆ ◆
昔々、とある病弱な少女がいた。
彼女は病弱ながらも人一倍好奇心旺盛で、よく病院をこっそりと抜け出していた。
その日も少女は病院を抜け出し、森へ遊びに行っていた。するとそこで少女は怪我をした魔女を見つける。
少女は拙いながらも魔女に手当てを施してあげた。
自らの血が薔薇となる不思議な力を保った《血の魔女》は少女に大変感謝して、傷口から滴った自分の血――
百年前の実際にあった出来事を元にしたお話であり、あまりにも有名なため話に展開が増え、様々な内容が混在するが、大元はこういった内容である。
「子供の頃、大図書館で見た時からずっと憧れてて、いつか本物のウィッチブラッドが見たいと願っていたわ」
「憧れるのは分かりますが……あんな目にあってまで?」
「恥ずかしい話……ボクって、昔は結構情緒不安定だったのよ。相当なやんちゃもしちゃったわ」
「……ロゼルが、迷宮区に詳しい理由って……もしかして……」
「まあ色々ね」
ぎし、とロゼルは椅子の背もたれに体重を預けた。するりと長い脚を組み、腕も組む。
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