34 扉の向こうに……
◆ ◆ ◆
何の変哲もない日常が繰り広げられる住宅地の一角にその家はあった。店がひしめき合う中心区は店舗兼自宅を兼ねた縦長の建物や集合住宅が多いが、住宅地にくると広々とした庭を持つ大きな家が増える。
セスとロゼルが辿り着いたそこも、広い庭を有していた。だが、随分と荒れている。雑草が我が物顔で育ち、主役だったであろう花はやつれた枯れ草と化していた。
白い外壁を這う蔦植物は乱雑に伸びきり、しかしその葉は元気ではなく病気に掛かって所々が白んでいる。
どんよりとしていて、人が住んでいる気配が感じられなかった。
「最近では、子供達に幽霊屋敷だなんて言われていると聞いたけど……ここまでだなんて」
凄惨な風景に信じられないものを目にする錯綜とした面持ちで「お庭の手入れが好きな奥様だったのに」とロゼルは零した。
寂寥感を孕んだ風が不憫な庭を駆けていく。
セスはノブに手を掛けた。冷徹な無機物に、ふと違和感。
「……開いてる?」
力を入れればノブは抵抗なく下がった。力を入れれば扉は素直に隙間を作り、澱んだ空気がセスの顔にぶつかってくる。
初めて嗅ぐ他人の家の香りのはずだが、引っ掛かりを感じた。それはセスの中の嫌な予感に絡まって焦燥感を膨らませていく。
「………ふー……」
セスは左手の杖を確認してから、息を吐いた。
扉を大きく口を開く。
泥水のように濁った空気がセスの肌を襲った。
「………………」
なんとなく、踏み込むのを躊躇してしまう。
それでもここまできてなにもせずに引き返すわけにはいかない。
嫌な予感が間違いであれば、すぐに帰る。そう、帰るのは確認してからだ。
なにがあるのかは分からない。
分からないなにかを確認するために、セスは暗い室内に身を浸した。
「誰か、いますか……?」
自分の吐き出した息が室内に沈殿する生温い空気をかき混ぜる。
「失礼します」
緊張した顔付きでロゼルも室内を見渡した。
中はとても薄暗かった。理由はすぐに判明する。照明器具である発光石のすべてに光を遮る遮断蓋がつけられていた。
真昼なので故意にとも言えるだろうが、それならばカーテンは開けるはずだろう。半円型の両開きの窓は殆どが夜色のカーテンが閉まっていた。
そのせいで光の届かない部屋の角や奥は闇が固まっている。いまにもなにかが這い出してきそうだ。
「………………」
セスは息を飲み、一歩前に出る。二歩。三歩。四歩目で「?」
しん、と凝り固まっていた冷たい暗闇から物音がした気がした。
小さな音。
高まる緊張感に五感を締め付けられながら、セスは耳を澄ます。傍らで同じように固い顔で虚ろな暗闇を警戒するロゼルの呼吸音が真っ先に耳についた。
「上……?」
セスは音の出所を推測する。
ロゼルに目で上に向かうことを伝える。彼がゆっくりと頷いたのを確認してからセスは辺りを見渡し、階段を発見した。
満ちる暗闇を波立たせないよう、セスは床を踏んだ。
ロゼルも足音に気を配っているらしい。
音を立てないように警戒して階段を上がる。
先に見える二階は、さらに深い闇が沈殿していた。
なにかを隠すように、またはなにかに隠れるように、濃い暗闇が充満している。
魔女であるセスの視野に問題はない。けれど人間であるロゼルは違うだろう。
セスはより深い闇に身を浸す前に階段の壁に設置されている照明に右手を伸ばした。花形のアルバ硝子製の土台の中心には核となる発光石が設置されている。発光石を包む遮断蓋を親指で弾いて外し、土台から石を浮き上がらせると闇に光を洩らさぬよう素早く手の中に捕らえた。
「……ロゼル。これを。人間は、暗いと見えないでしょう?」
前を向いたままセスは右手を後ろにやった。
室内に立ち込める闇は夜とは違って月も星もない。
元々足りない一階からの微かな光は、ここから先は完全に届かなくなる。
「ありがとう」とロゼルの手が触れ、セスは拳を開く。背後が一瞬明るくなった。が、すぐに白光はおさまる。
発光石がロゼルの手にしまわれた気配を感じ、セスは「行きます」と告げた。
階段をのぼると異臭を感じ始めた。
闇が濃度を増していくのに比例して異臭が強くなる。
階段を上がりきった時には、その異臭はセスの嗅覚だけでなく喉や胃を刺激するほど鮮明になっていた。
二階は空気が澱んでいた。
重苦しく。呼吸をするのが嫌になる。全身の毛が逆立って拒絶反応を起こしそうだ。
「………………」
階段を上がって二階の廊下に出た瞬間、セスははっきりとどこに向かえば良いか理解した。
「大丈夫ですか……?」
「なんとか……」
「身体に変化は?」
「ない、けど」
言葉を途切れさせたロゼル。
振り向けば、彼は顔色が白くなっていた。縋るように胸元で握られる拳の隙間から零れる発光石の白い光のせいではないだろう。
発病しそう、という感じでもない。
これは誤魔化しようのない恐怖からくる不安だ。知らない場所ならまだしも、ロゼルはここに住む人物に馴染みがある。セス以上に心配になり、不安も大きいだろう。
「ついてきて、くださいね……」
ロゼルには酷だろうが、それでも休んでいて良いとは言えない。
彼は頷いた。
セスは闇に塗り潰されている前方を見据える。
「多分……音がしたのは、あの部屋です……」
セスはロゼルには見えないであろうが、言った。
目的地は、直線の廊下に並ぶいくつかの扉のひとつ。
ノブに、ラストシュガーローズが一輪だけ入ったフラワードームが掛けられている扉。
セスは瑠璃の杖を握る。
指先が痺れるほど、強く握る。
「………………」
粘着質な闇をかき分け、進んだ。
扉の前までくると、異様な気配が扉越しに肌に突き刺さってきた。
嫌な予感を確信に変える。
扉の向こうから響いてくる異音に、傍のロゼルがさらにきつく発光石を握り締めた。不安と困惑が表情に強く出てしまっている。
仕方がない。
扉の向こう側から断続的に聞こえる重い音が、闇に撫でられて敏感になった二人の肌を叩いた。身体だけでなく精神まで粟立つ。
一般家庭に満ちるすべきでない異様な空気。
「………………」
「………………」
扉一枚隔てた向こう側に、得体の知れないものが存在している。
否、セスもロゼルもその正体は既に知っている。
逡巡している時間すら惜しい。
セスは乾燥して張り付いた喉に無理矢理唾を流し込む。
「…………開けます」
覚えのある白薔薇が入ったフラワードームを睨んだ。
セスは丸いノブを掴んで―――――回す。
かちゃ。
と、場違いなほど軽い音を奏でて、扉はセスの腕力に身を委ねた。
隙間から溢れ出した光の筋に一瞬だけ目が瞬く。すぐに慣れ、セスの視覚は扉が愛らしいピンク色だと認識する。
そこが子供部屋だと理解したのは、室内に踏み込んだ足が頭のない人形を潰してからだった。
「ひっ……!」
背後で掠れた悲鳴が上がる。
二人が入った部屋は、子供部屋だった。
子供部屋だった。
窓はカーテンの上から板が打ち付けられ、可愛らしい家具達は欠けていたり、引き出しが失われたり、扉が外れてしまっていた。元々はとても愛らしい姿だったろうが、赤黒い汚れすら付き痛々しくなっている。
床には獣に引き裂かれたような汚れ乱れた絨毯と、そこらに散乱する家具の破片や玩具に混ざって、なにかの塊が転がっていた。塊には丸々太った蛆が蠢き、若々しい蠅が元気に飛び回っている。
塊がなんであったのかは分からない。
だが、塊がなんであるかは分かった。
平和なのは天井だけ。燦々と微笑む太陽と青空が描かれ、発光石を乗せた気球形の照明が吊されている天井だけ。
「――――っ!」
音がした。
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