30 薔薇の店

「兄貴! これで全部だぜ!」


 豪快な声が店内に反響する。

 腕捲りをされた愛用感が強い青の繋ぎと腰に巻き付けられた上着。太い眉の下にある瞳はやや緑がかった碧眼。真後ろではなく左横の高い位置で縛られた金髪を揺らし、十代後半程の少女が店内に飛び込んできた。

 セスが頼まれて運んできた箱と同じものを両腕に抱えた少女は「あっ」と固まる。


「さっき言ってたしばらく泊まる人?」

「うん。セス、この子はボクの妹」

「…………ああ、噂の……」

「そう。噂の……」


 セスとロゼルは故意に含みのある言い方をする。


「おい。アタシの知らねーとこでなに話したんだ兄貴」


 噂の、いまは全然髪をいじらせてくれない妹はやや不服な面持ちでセスの背後にいるロゼルを睨む。

「はい。できたわよ」その眼差しをものともせず、ロゼルはセスの髪を結い終わらせた。

 セスは三つ編みを首に巻きながら妹に近付く。


「セスです。よろしくお願いします」

「どーも。アタシはギルバート。ギルでいいよ」


 それは主に男性につけられる名前だった。

 ふとセスはロゼルとギルバートを交互に見やる。


「……そういえば、二人の名前は珍しいですね」

「交換してるのよ」


 疑問を零せば、すぐにロゼルから答えが返ってきた。


「ボクの本名がギルバート。妹が本当はロゼルなの」

「面白いことをしてますね」

「ふふっ、変でしょ」

「面白いと変は違いますよ」


 セスは否定した。


「自分は面白いと言いました。変、ではないです……」


 思ったことをそのまま口にするとロゼルとギルバートが目を合わせる。ロゼルがゆっくりと表情を綻ばせ、ギルバートは肩を竦めて一笑した。


「じゃあ、お二人は性別も取り替えているんですか?」


 セスはもうひとつの疑問を投げ掛ける。

 ロゼルの口調が人前だと変わることをずっと不思議に感じていたが、距離を取ろうとしていたので訊かないでいた。もう良いだろうと、セスはここぞとばかりに疑問をすべて訊ねていく。


「そっち、言ってねえの?」

「色々あってそこはまだなのよ」


 二人の会話に性別の交換はしていないのかとセスは考える。

 確かにロゼルは女性的だが、完全に女性のようではない。ギルバートも男勝りだが、男性のようとは言えない。では、なんだろうと首を捻った。


「どっちが、どっちなんですか……?」


 ロゼルとギルバートは顔を見合わせ――――


「オンナだぜ」

「どっちだと思う?」


 と、声を揃えて二人は違う答えを吐き出した。

 にこにこと笑むロゼルを見上げてからギルバートは「んじゃ、上運んでくわ」と中二階へと階段をあがって行った。

 残されたロゼルをセスは改めて凝視する。


「体格や声からして、間違いなく男だと思います。でも格好や仕草、口調も一人称を覗けば女性的で…………分かりません」

「正解よ」


 感じたことを率直に伝えればロゼルは笑顔を深め、嬉々と手を叩いた。



 悪戯でも、相手を試すでもない。ロゼルの表情はどこか他人事で面白がっている陽気なものだが、口調からそれは真実だと分かる。


「身体は男よ。男だと自覚してる。でもね、時々思うの。ボクは本当に男なのか? ってね。そして、不意に突然強く女でいたくなるの」

「なら……」

「かと思えば、女なわけがないと自分を笑いたくなっちゃう」


 失笑し、ロゼルは手にする櫛を弄ぶ。


「男の身体が嫌で嫌で女になりたかったのに……女ではなく普通に男としてもいたくなる。男でありたく、女でありたい。同時に、どちらとも思えない。どちらでもありたくて、どちらの性別にも疑問を持つ。それがボク」


 ロゼルは口元を筋張った手で隠しながら可笑しそうに笑った。女性的な所作だった。


「ボクはボク自身の性別に疑問を持っているわ。分からない、で正解」


 ロゼルは一等強く微笑んだ。

 アルバ硝子を通って店内に差し込む太陽光が、浅い水路が張り巡らされた床を極彩色に輝かせる。


「けれど、これだけは明確よ」


 薔薇達が光にあわせるように足元で踊った。


「ボクは薔薇が好き。女の時も、男の時もね」


 碧眼を迷いなく真っ直ぐにして、ロゼルは言い切った。

 甘い香りが強くなった気がした。


「それで……クエスチョンローズ?」

「それだけじゃないわ。ボクはここでボクみたいに迷っている人の力になりたいの。この店の名は、ボクの誓いと願い」


 強い想いを孕んだ瞳が豪奢な店内を優しく見渡す。


「元は薔薇専門店ローズドームだったんだけどね」

「……いまのほうが、良いです」

「ありがとう」


 真紅のコートが上機嫌に揺れた。


「まあ、難しく考えないでね。ボクを呼ぶ時は彼で良いわよ」

「……いいん、ですか?」

「外の目は厳しいからね。ボク自身が悪魔憑きやら呪い持ちとか言われるのは良いけれど……ボクのことで、誰かがなにかを言われるのは嫌だわ」

「でも……」

「ああ、やめてちょうだいね。ボクを勝手に背負わないで。ボクはボク。キミはキミ。ボクはボクの考えで立ち振る舞っているのよ。そこにキミの迷いは必要ないわ」


 ロゼルはきっぱりと言い放った。その言葉は些かきつい言い方にも感じられたが、セスはそれ以上に彼の言動が美しいと感じた。

 先程から話を聞くに、ロゼルは既に自分自身と十分に向き合っている。その上で社会や一般論にも自分の意思を持って向かい合っているのだろう。

 実際に、彼は人前だと口調を変えていた。理由が分かったいま、口調の変化にセスは納得した。

 ならば、そこに他人であるセスの迷いは不要。戸惑いや否定は逆に失礼に当たる。


「分かりました……」


 セスは頷いた。

 ロゼルが口元に三日月を描く。「だからギルにも兄と呼ばせているの」と付け加えた。


「店内を軽く説明するわね」


 櫛を振りながらロゼルは踵を返した。


「見て分かるでしょうけど、ここでお客様とやり取りをするから、ボクが仕事中は上で待っていてくれる?」


 セスが仰ぎ見ると植物の蔦を模した柵に囲まれる中二階から丁度ギルバートが顔を出していた。


「兄貴。アタシ、晩飯まで工房こもるわ。ラストシュガーローズの決まったら教えて」

「分かったわ。荷物運びありがとう」

「そっちは運んでねーけどな」

「やっておくわよ」


 櫛を指揮棒のように振ったロゼルにギルバートは「おう」と片手を持ち上げた。

 柵から身を離し、ギルバートは引っ込んだ。扉の開閉音が響くと中二階から人の気配が失われた。


「工房?」

「うちは硝子工房も隣接しててね、フラワードームの販売だけじゃなく修繕とかもしているのよ」


 セスは庭の奥にあった建物を思い出す。工房とは多分あそこだと推測。窓からの輝きは硝子の反射だったのだろう。


「本格的に色々やる工房は別にあるけどね。あの子はうちの硝子職人なのよ。店の工房と向こうの工房と、行ったり来たりしてもらってるわ」

「若いのに、すごいですね」

「アルバは実力主義だから。腕さえあれば、年齢も学も関係ないのよ」


 ロゼルが階段を上がり、セスも続く。


「地方からも硝子職人になろうと来る人も少なくはないわ。でも実際に職人になれるのはごく僅か。実力者社会だからこそ、結果を出せないとすぐに切り捨てられるから」

「もしかして……迷宮区にいるのって……」

「想像通り。そういう帰れなくなった人達もいるわ。アルバは表向きは豪華だけど、裏側はね……観光客狙いのスリだってそこらにいるのよ。気を付けてね」


 ロゼルにヒールが中二階の床を叩く。

 のぼった中二階は普通の床だった。一階よりも薔薇の数は少ないものの、それでもそれなりの量がひしめき合っている。

 豪勢な装飾が施されたチェストやキャビネット、アルバ硝子張りのコレクションラックに囲まれるようにして細かな金糸が踊る赤いカーペットの上に佇む猫脚の長テーブルには、カウンターにあったものよりもたくさんの材料が丁寧に並んでいた。道具だけでなく、本や硝子ペン、ブロッターに印章などの小物もある。


「ここはボクの作業場も兼ねているの。お客様はあげないし、従業員スタッフも勝手には入れないから自由に使って。ただギルは普通に来るからそれだけはよろしくね」

「分かりました」

「向こうのドアが自宅側の廊下に繋がってて……セスにこれから使ってもらう客室にも案内するわね」

「お願いします」


 セスは説明するロゼルについて行く。

 これ以降、中二階の窓際の席がセスの定位置となった。

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