29 クエスチョンローズ

 セスは渡り廊下を歩みつつ、気になった庭の奥にある建物を凝視。そこに注目しながらふらりと外階段をおりれば、ロゼルと鉢合わせた。


「早いわね」


 視線が交わり、穏やかに微笑まれる。

 彼は胸の前にやや大きめの箱を抱えていた。


「ありがとうございました」

「いいえ。服も丁度良いみたいで安心したわ。その上着は……お気に入り? 随分使い古されているわよね」


 視線をぼろいと断言できる外套に向けたロゼルへとセスは頷いた。


「師匠の、形見なんです」


 はっきり伝えるとロゼルは「ならとても大切なものね」と柔らかく言い、セスの全体を確認。視線が落ちた刹那、目を見開いた。


「ワンダーガーデン!」

「は?」

「その長靴ブーツ!」


 瞠目したロゼルがセスの靴に釘付けになる。いまにもしゃがみ込んで、床に顔をつけてしまいそうだった。


「ワンダーガーデンは服飾店だけど、前に一度だけ靴屋と共同作製コラボレーションをして、それはその時に数足限定で発売された靴なのよ」

「はあ……」

「ボクは抽選で外れたの!」


 悔しそうにロゼルは奥歯を噛んだ。地団駄を踏みたいのだろうが荷物によってそれが叶わないロゼルは、もどかしそうに長駆を捻る。

 王都アルバには様々な高級店が並び、限定品も多いがそれらに疎いセスは苦悶の表情をするロゼルに「へえ……」と興味のない返事を落とした。

「良いわあ」「やっぱり実物は綺麗ねえ」「この実用性がありながらも、上品さを兼ね備えた作りが最高だわあ」と、一頻りセスの靴に夢中になったあと恍惚とした吐息を洩らし、ロゼルは現実に戻ってきた。

 うっとりとしていた碧眼が今度はセスの髪に注目する。


「髪は?」

「ハゲたくありません」

「できなかったのね」


 セスの主張の意を汲んでくれたロゼルは苦笑った。


「ちゃんと櫛を持ってくるわね。悪いのだけれど、これを赤いドアの先に持って行ってくれる?」

「分かりました」


 着替えをもらった分それくらいはと、セスは杖を持ち直して荷物を受け取る。

 カシャリ、と透き通っていながらもどこかむず痒くなる音が箱の中から響いた。


「杖、大丈夫? 気を付けてね」


 セスが頷くとロゼルはコートの裾を軽く摘み上げ先程セスが降りてきた階段を駆け上がる。途中でセスを一瞥してから、自室に消えた。

 セスは自分の髪の重みを改めて感じる。

 過去に見ていて邪魔くさいとブージャムに切られたがその度に髪と一緒に切断されそうになった耳に意識が向く。

 見栄えに関心のないセスですら心から悲惨だと思える腕前を披露してもらい、本人も流石に微妙な顔になっていたのは懐かしい。


「あ、荷物を運ばねば……」


 セスは過去に浸りそうになった意識を切り替えた。

 真新しい靴に包まれた足を動かし、荷物を運ぶ。


 ロゼルに言われた赤い扉はまた上品な作りだった。白壁に映える赤塗りにされた木製の扉。上部には薔薇と茨をうまく描いたひし形のアルバ硝子が嵌められ、銀の細長いノブも同じ植物を模している。

 セスは肘を使ってノブを下げ、肩で扉を押し開けた。

 開いた扉の隙間から押し寄せてきた濃密な甘味がセスに抱き付いた。


「わっ……!」


 感嘆の声が洩れる。

 一呼吸で肺が蜜で溺れてしまう。

 そう感じるほどに濃い香り。

 踏み入れたその場所は、薔薇に覆い尽くされていた。

 壁際に佇む数多の薔薇は種類が豊富で、街中にあるアルバ硝子と同様の鮮やかさを放つ。

 白、青、黄、紫、緑――様々なそれらは壁だけでなくいたる所に飾られていた。

 売り物だと一目で分かる見栄えを気にした豪華な陳列だ。


 薔薇に囲まれた部屋の中央辺りには子供と同じ背丈の大きな深海石しんかいせきの原石が直立している。

 左手側には半螺旋状の階段があり、中二階へ繋がっていた。その下の空間には来客用だろういくつかのテーブルと椅子。白塗りにされた木製のそれらは脚の細部まで上品な彫り込みと艶を有し、椅子の背もたれは薔薇の描かれた柔らかそうな生地だ。同じデザインのソファー席もあり、上品な統一感がある。

 店内にもあのアルバ硝子の球体が複数、静かに吊されていた。

 正面には大きな両開きの扉。

 全面がアルバ硝子で作られたそこにはセスが入ってきた赤い扉よりも繊細で優美な薔薇が微笑んでいた。

 ドアベルのついた両開きのあそこが正規の出入り口なのだろう。

 扉の左右にある縦長の窓からは人の往来が激しい大通りの様子がアルバ硝子越しにぼんやりと歪みながらも窺えた。皆夜から逃げるように帰路についている。


「これは、圧巻だ……」


 素直な感想を零しながらセスは店内にしっかりと進んで行った。

 不意に、バシャ! と足元が跳ねる。


「……?」


 セスは双眼を落とす。

 凝視すれば床には溝が刻まれ、澄んだ水が流れていた。

 茎を切られた薔薇の頭だけが溝を流れる水に運ばれ、店内の床を好き勝手に泳いでいる。

 このための深海石か、とセスは納得した。

 ごぼりごぼりと水音を響かせる透明な水晶――深海石は水を浄化させる結晶だ。

 その名の通り深海でしか採れない天然の結晶であり価値が高く、一般家庭にはまず出回らない。基本的に所持しているのは飲食店や飲料水店、一部の貴族。それでもここまでのサイズは必要としないだろう。このサイズの原石となると、眼球が転がるほどの高額なのは明らか。この店は相当繁盛しているようだ。

 セスはカウンターの空いている場所に箱を置いた。ついでに杖もカウンターに立て掛ける。


「へえ……」


 セスは床を滑る薔薇のひとつに手を伸ばした。

 拾い上げたのは中輪半八重房状平咲きの淡い黄褐色の薔薇。

 シャンぺンローズと呼ばれる薔薇で、『豪酒』『陶酔』『最高の一杯』などの薔薇言葉を持ち、お酒好きな人に酒と一緒に贈られることが多い。この薔薇を胸に差した男が数多の酒場を飲み潰した逸話から、これを手にして酒場に入ると『この酒場の酒をすべて飲み干してやる』という挑戦状にもなるという面白い薔薇だ。

「お待たせ!」と、中二階から扉の開閉音とロゼルの明るい声が降ってきた。

 カツコツと早足に近付いてくるヒールの音色にセスは意識を持ち上げる。


「なにボクの薔薇を食べてるのよ!」

「あっ、ふみまへん。よひ香りれひたのれ、つい……」

「ついって……どれだけ食い意地張ってるの」


 中二階の柵の前で足を止めたロゼルはシャンペンローズを頬張るセスに碧眼を伏せ、肩を落とす。「タルトも食べていたでしょう」と呟きながら階段を降りてきた。

 セスは誘惑に負けて勝手に食べてしまったシャンペンローズを嚥下えんかする。パチパチと心地良い刺激に舌が痺れた。

 薔薇以外では味覚も腹も満たされないセスは、結局朝にラストシュガーローズを一輪食べただけの状態。大食漢のセスには当たり前に足りていなかった。

 ここはセスにとって高級料理店と言っても良い場所であり、空腹には厳しい。


「髪、いいかしら?」


 ロゼルが持ち上げた腕には櫛が握られていた。


「そこの椅子にでも座……ると、床につくわね」


 セスの髪の長さを確認したロゼルはくるりと右手を回した。

 動きに従ってセスは半回転。彼に背を向ける。


「ここは……花屋ですか?」

「いいえ。フラワードームのお店よ」

「フラワー、ドーム……?」

「アルバ硝子をドーム型にして、その中に花を飾ったアルバの特産品よ。カウンターに置いてあるやつ」


 髪がまとめられていくのを感じながらセスはカウンターへと目を向けた。そこには茎の切られた薔薇の頭が詰まった箱と下部に色がついた半円形のアルバ硝子の並んだ箱が置いてある。


「土台に花を飾り付けて、上からアルバ硝子を被せるの。窓辺とかに置いておくと光を反射して綺麗なのよ。昔はああいうドーム型のものが主流で……それでフラワードームって呼ばれたんだけど、数年前からはボール型の吊すタイプが流行っているわね。街中でもいたるところに吊してなかった?」

「綺麗でした」

「うちはこのフラワードームに入れる花の、薔薇専門のお店なの」


 彼の青い鞄に詰まっていた薔薇がすべて頭だけだった理由が判明した。


「良い店ですね」


 言いながらセスは外套のポケットにしまっていたリボンを思い出し、ロゼルに手渡した。


「ありがとう。フラワードーム薔薇専門店クエスチョンローズ。自慢だけど、それなりに名の通った老舗なのよ。ボクで七代目」


 その店名はベアトリーチェが彼を呼んでいたものだった。


「それは自慢ですね」

「とっても」


 これならば店を開けることは難しいなと、セスはベアトリーチェの家でロゼルが言っていたことに納得した。

 セスの髪を結っていくロゼルは二度目だけあり、手際が良い。


「もし良ければお土産にひとつ――」


 と、彼が言いかけたところで赤い扉が勢い良く開いた。

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