28 真紅の愉快な服選び

 ◆ ◆ ◆


 それから、セスとロゼルはベアトリーチェの家を後にした。

 帰り際、ロゼルはベアトリーチェから痛み止めと化膿止めの飲み薬を処方された。魔女の薬は同族以外に使用することを禁じられているわけではないが、あまり好まれはしない。それでもカニバルブーケという正体不明の存在に負わされた傷であるがゆえ、ベアトリーチェは人間であるロゼルに魔女の薬を与えてくれた。

 セスはキッドの白手袋と靴を貰った。箱に入っていてどちらもまだ実物は確認できていないが、ロゼル曰わく双方アルバでは有名な高級店の物らしい。

 それを聞いたセスは贈り物をなくしてはならないという緊張と、そんな高級な物は自分には見合わないだろうという不安の二重苦に苛まれながら帰路についた。

 一度手紙を無くしているセスは両手に抱く箱ばかりに気を取られ――――結局。片付け途中の塗装作業員にぶつかるという失態を犯す。

 ブリキのバケツに入っていた塗料に右足を浸食されたが、長外套を羽織っていたので下に着る師匠からもらった外套と、反射的に持ち上げたベアトリーチェからの贈り物は無事だった。それらさえ問題なければと、セスは膝下を鮮やかな黄色に染めたままロゼルの店兼自宅へと向かった。

 案内された先は格子の柵に囲まれた庭だった。


「入って」


 ロゼルは慣れた様子でアーチ型の扉を開く。後に続いてセスは広い緑の庭へと身を浸した。

 芝生を這う赤茶色の石畳の小道。地下水を汲む井戸があり、端にはガーデニングテーブルとチェアが鎮座している。手入れはされているが、さしてガーデニングの趣味があるようには思えない。花よりも細身の木々が目立ち、その枝には表の通りで見掛けた丸い色硝子がいくつも吊されていた。

 ここは中庭らしく、囲むように建ている建物が店ならば相当良い店だろう。


「こっちよ」


 声を掛けられ、突っ立ったまま広々とした庭を眺めていたセスは外階段の近くにいるロゼルへと顔をやる。小走りに近付いた。


「ボクの部屋、上なの」


 庭に面した渡り廊下の階段をのぼるロゼルにセスは素直について行く。

 階段をあがる途中、木々の隙間から庭の奥にもう一軒古びた建物があるのが見えた。この建物よりも小さく、離れかと思ったがそれにしては造りが頑丈そうだ。

「早く」と上から急かされ、セスはいつの間にか止まってしまっていた足を動かす。離れた建物の窓硝子の向こうで、キラリと何かが一瞬強く輝いたのが気になった。


「いらっしゃい」

「……お邪魔、します」


 二階の渡り廊下から繋がるロゼルの自室は綺麗に整えられている。

 ロゼルが素早く床に新聞紙を敷いてくれた。歩いていたので靴底の塗装は多少擦れて乾いたが、外套に染みた黄色はまだ乾ききっていない。ロゼルはセスにその上で待機してほしいと願う。


「荷物をありがとう。セスのも、一旦置いておくわね」


 口調が敬語ではなくなったロゼルに腕を伸ばされ、セスは荷物を預けた。ロゼルの荷物だけでなく、ベアトリーチェからもらったふたつの箱と杖を渡す。

 ロゼルはそれらをテーブルに移動させた。


「良かったわね。靴を貰えて」

「助かりました。これしかなかったので……」

「お風呂を貸すから、着替えとか準備して。それは、一応訊ねるけどこっちで処分しても?」

「お願いします」


 セスは黄色い染みがつく長外套を脱いだ。ロゼルに手渡してから膝を折り、鞄を開けた。中にはワイシャツと師匠からの手紙のみが入っている。


「それだけ?」


 塗料が周りに被害を出さないように長外套をまとめていたロゼルが、鞄を覗き込んで頬を引攣らせる。

「そうですよ」とセスが肯定すれば「待ってて」と真紅の長躯は奥にある扉からまた別の部屋へと消えた。


 数分経ち。

「待たせてごめんなさい」と、奥から早足に戻ってきたロゼルは汚れた長外套の代わりに大量の衣服が入ったカゴを胸に抱いていた。


「苦手な格好とかある?」

「分かりません」

「こだわる感じではなさそうだものね」


 ロゼルはセスを上から下まで軽く流し見ると、手にするカゴから衣服達を部屋にある楕円形のテーブルや大きなソファーへと次々に放った。汽車で支度をしていた時から知ってはいたが、ロゼルは本当に服持ちのようだ。

 服だけでなく部屋の家具や小物も洒落ていて、細部までこだわりが伺える。


「ボクのお古だけど、あげるわ」

「服は持っていますよ?」

「持っていると足りているは別よ」


 空になったカゴをセスの側に置いてから「さて!」と彼は腰に手を当てて、様々なデザインや色合いの衣類と相対する。


「ボク的には……これと、これとー……好きな色は?」

「目立たなければ……」


 セスは興味なさそうに答えた。掲げられる服はどれもセスには同じに見えてしまう。なにをどう見て、なにをどう選べば良いのか分からなかった。第一、自分に似合う服の種類というのがどんなものなのか判断できない。セスが求めるのは見た目よりも動きやすさなのだ。


「ねえ。深めの青とか、緑がいいかしら?」


 ロゼルの明るい声にセスは頭を持ち上げる。

 色合いは濃く落ち着いた紺色だが、袖と襟首にレース生地が付いた洋服が目に飛び込んできた。


「意外と黄色とかも似合う気がするんだけど」

「黒か、茶色で……」

「……そう?」


 残念そうに眉を下げたロゼルにセスは念のため再度強調して「目立たない色で、お願いします」と伝えた。

 そのお陰か最終的に選ばれた服は落ち着いた色合いだった。

 釦が二つ付いた袖口を持つ白シャツにチョコレート色のカマーベスト。スラックスも黒色で無駄な装飾は一切ない。

 セスはそれらとともに今度は室内を通って風呂場へと連行された。

 シャワーや浴槽、シャンプーなどを確認するとロゼルは「好きに使ってね」と長い袖を振って、風呂の扉を閉めた。

 好きにと言われたものの、セスがここにきた目的はロゼルの監視。あまり離れるわけには行かないと、湯船に浸かることはせずシャワーでざっと流すだけで五分もしないうちにセスは事を済ませる。

 それから浴槽の側に立っている折り畳みパーテーションに引っ掛けていた服に着替えた。

 もらった服は少々袖や襟が緩いだけで全体的には丁度良かった。それらに袖を通したあとセスは師匠にもらった黒外套を羽織る。慣れた着心地にほっと息を吐いた。

 最後に箱から出して持ってきた手袋と靴を身につける。

 キッドの白手袋に指を入れれば「……おお」ぴったり。

 手袋だけでなく、艶のある黒い長靴ブーツはいままでに経験のしたことがないすこぶる履き心地の良いもの。こだわりの強いベアトリーチェの性格と財力的に、本当に上質な品なのだろう。


「汚さないようにしなくては……」


 誓いながらセスは鏡の前に立つ。

 水に強いセスの髪はすぐに乾いている。汽車で教わった三つ編みをやってみた。


「………………ハゲる……」


 入浴時間よりも長い間髪と格闘し、指に絡まって千切れた白髪を目にしたセスはすべてを諦めた。これ以上続けると、髪と精神面に大きな犠牲がでそうだった。いくら再生力が高いとは言え、それは外傷に対して。髪が失われれば、生えるまで時間がかかる。

 膝裏まである長髪をおろしたままセスは風呂場を離れた。

 ロゼルの自室へ真っ直ぐに戻るが、そこに真紅の姿はなかった。


「あれ……ロゼル?」


 瑠璃の杖を手にするとセスは渡り廊下へ出る。

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