27 奇病の感染方法
「セスも知っているでしょう? 物質型でも、応用はきくのよね」
「ああ……」
セスは納得した。
ロゼルだけが応用の意味をよく分かっていない様子だったが、人間である自分が無闇に口を挟むのも失礼だとでも思っているのか、黙って二人のやり取りを聞いていた。そんなロゼルを察したベアトリーチェが「例えば」と説明を続ける。
「ブージャムなら身体から咲く青薔薇を硬質化できたわ。あれ、厄介だったのよね。わたくしの硬化と同じ強度で……ああ、この話は余計ね」
ベアトリーチェは「んっふふふ……」と唇を隠して笑った。笑い方に歪なものが含まれていた気もしたが、触れないことにした。触れてはいけない気がした。
ブージャムとベアトリーチェは友人であり、好敵手なのだ。
「わたくしは身体が鉱石でできた魔女なのだけれど、他にも涙が鉱石になったり、自然界に存在する特定の鉱石の場所を探知することもできるわ。セスなら」
「薔薇を食べる以外にも、水の上に立てたりもしますね。薔薇に関してのことなら、多少……色々できます。あくまで専門は食べることですが……」
セスは食べる動作をロゼルに向かってしてみせた。
「こんなふうに元来の能力を応用して、少し変わった力も使えるの。個人差はあるけれどね。魔女の能力をすべて明かすのは、同じ魔女でも難しいのよ」
「自分の手の内をすべて明かすなんて……そんなの、師匠しかしませんよ」
「そうね。あれはおかしいわ」
ベアトリーチェはフォークを手に取る。
「ただし、カニバルブーケと呼ばれる奇病が物質型の応用技であるならば、対処は簡単」
彼女はクルクルと指でフォークを回す。
フォークに巻き取られるスパゲッティのように、セスとロゼルの目線は踊るフォークへと引っ張られた。
注目を受けた途端、踊っていたフォークがとまる。
「物質型はあくまでも自分自身を軸にしなければ力を使えないわ」
フォークが苺にそえられる。
「この場合、原因となる魔女と接触しないようにすればいいのよ」
鋭利な先端が苺の表面に接触し、ぷつん、と埋もれた。
フォークが苺に沈んでいく。フォークと苺の接触面から苺の体液が微かに溢れた。
「そうすれば、カニバルブーケにはならないわ。マスタークエスチョンローズは魔女ではなく、カニバルブーケになった人間に襲われたのよね?」
「きっと……そう、です。自分は彼を襲った、カニバルブーケになったであろう人間を見ています……」
「そうだったの?」
ロゼルが驚いた。
「言いませんでしたっけ……?」
「いま聞いた」
「じゃあ……いま、言いました」
セスの適当な態度にロゼルは口を開くが、なにも発さず諦めたように片眉を下げ、ふ、と小さく肩を落とした。
セスはロゼルによって中断した話を再開する。
「食堂車で食事をしていた男性の様子がおかしかったので、少し気になったんです……」
実際には男ではなく新聞が気になっていたのだが、ややこしくなるだろうとセスは説明を省いた。
「その人は、派手に珈琲を零しました。それで……カニバルブーケの服にも珈琲のシミがあったんです。思い返せば、服装も同じだったと思います」
ベアトリーチェは少し考えるように顎を持ち上げた。
「その人間はどう変だったの?」
「顔色が悪くて、落ち着きがなくて……妙に震えたりもしていました。……そういえば、珈琲やケーキしか食べていなかったのに、酒を飲んだみたいに呂律も回っていませんでしたね……」
「それが発病する予兆とは断言できないけれど……無関係とも言い切れないわね。もしも、汽車内で物質型の魔女と接触した可能性があると考えるのなら、感染したのはカニバルブーケになったその彼だけ。発病した彼から傷を受けても、移りはしないわ」
ベアトリーチェは苺に歯を立てた。苺のてっぺんだけが失われる。
「こわいのが、単独犯ではなく物質型と干渉型双方の魔女が何人かで企んでいたら……はあ。ほんとうに、信じられないわ。自分で自分の首を絞めて楽しいのかしら」
心底不快そうに、なぜ平穏を脅かすのかと、ベアトリーチェは嫌悪感を露わに鼻を鳴らした。
苛立ちを苺の旨味で溶かすように、冷静さを欠かさないように、彼女は苺を少しずつ口にしていく。
「現状、呪いを受けた印は出てはいないけれど、楽観視はしないとして。カニバルブーケの呪いを干渉型と仮定してお話をしましょう」
苺をすべて腹におさめてからベアトリーチェは仮説を立てた。
「マスタークエスチョンローズが傷をうけてからすぐにカニバルブーケに変異しなかったところを見ると……そうね。この呪いは、発動するのになにかしらの条件が必要なのかもしれないわ」
「それは……定められた状況下でのみ、もしくは変異するきっかけのなにかを見聞きすることによって、カニバルブーケになる……ってことですか?」
「ええ。見たところ、マスタークエスチョンはとても安定しているわ。呪いにかかっているのであれば、一番可能性が高いと思うわ。そしてきっかけとなるなにかを見聞きしたその瞬間に印が現れたら、確実ね」
ベアトリーチェはロゼルをまじまじと見つめる。緊張した面持ちで黙って話を聞いているロゼルに「お紅茶、冷めてしまうわよ」と促した。
ロゼルは我に返ったように真一文字に結んでいた唇を開き、ティーカップに手を伸ばした。そこでセスも自分の分の紅茶と茶菓子に手をつけていないことに気付き、皿を左手で掴む。滓が零れるないよう皿を添えながら、タルトの山を手掴みで口に運んだ。
薔薇ではないので、セスの舌は味を感知しない。感じるのは土台となっているしっとりとしたクッキー生地の食感と瑞々しい苺の果汁の温度。崩れたタルト生地と苺が口内で混ざり合う。無味の物体を咀嚼し続けることは億劫で、セスはまとめてそれらを口に突っ込むと同じ無味の紅茶で腹の底に流し込んだ。
「マスタークエスチョンローズが呪いにかかっていない可能性もあると、忘れないほうが良いわね」
できるならそうであってほしいとセスも願う。
ベアトリーチェはタルトの最後の一口を腹におさめると、ゆるりと長椅子の背もたれに体重を預けた。
「マスタークエスチョンローズが発病するか、しないか、曖昧ないま。目をはなすわけにはいかないわ」
「それなのですが……自分はしばらく彼と一緒にいたいと思っています。……良ければ、彼もここに」
「ごめんなさい、それだけは無理です」
言い切る前にセスの提案は遮られた。
「店を空けるわけにはいきませんので……」
ロゼルが言う。
「店って……ああ、職人なんでしたっけ……」
「そう。ここにいたら店を閉めていなくちゃいけなくなるでしょう? それは無理」
「どんな理由でいつ発病してカニバルブーケになるか分からないんですよ? 店くらい」
「だからこそ……放ってはおけないのですよ」
「自分の命と店、どちらが大事なんですか……」
「どちらなんてない。一緒なの。命がなくてはお店はできない。お店がなくては命をかけられない。アルバ職人として、どちらも譲れるものではないの」
ロゼルは真顔で言い切った。
碧眼に宿る屈強な意識。アルバ職人はとても仕事熱心だと聞いていたが、実物はそんな言葉で片付けられるものではないと悟る。
「そうおっしゃると思ったわ」
紹介する前からロゼルと彼の店を知っていたベアトリーチェは、この展開を予想できていたらしい。
「マスタークエスチョンローズ。あなたのお宅は魔女一人をおいておく余裕はあるかしら」
するりと二人の間に入ってきたベアトリーチェの言葉の意味をセスが飲み込むより早く、ロゼルは表情を明るくする。
「はい。ありますよ」
「でしたら解決ね」
「ありがとうございます」
セスは遅れて気が付いた。
「自分が、彼の店に行って見張れ。と……?」
「そのほうがいいでしょう?」
確かに常に彼の側にいたほうが都合は良い。だから彼をここに置いてもらおうと思ったのだから。
ベアトリーチェにすぐさま頼れないのは不安だが、それゆえに責任感は増す。セスが自分で撒いた種であり、自分でどうにかすると言い切ったのだ。ここで首を横には振れなかった。
「よろしくお願いします」
セスはロゼルに右手を出した。
「よろしく」
握り返してくれた彼の手は、至って普通の人間らしい触感と体温のままだった。
今後もこのままであってほしいと切に願う。
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