26 魔女の事情と呪いの仕組み
「ボクにはやることがあるから、最後まで足掻くつもりですよ。そう簡単にカニバルブーケになる気はない。使えるものは使わせて頂く気なのですよ。それが例え魔女だとしても、ね」
「んふふ……人間よりも魔女のほうが詳しいことはありますものねえ」
「その通りです、ベアトリーチェ。脆弱な人間にご教授頂ければ幸いです」
「さすがはマスタークエスチョンローズ。肝が据わってらっしゃるわあ。ちなみに、わたくしも新作について伺いたいことが……」
「お耳が早いのも魔女ゆえでしょうか? ラストシュガーローズを入庫致しましたよ」
「まあ! それはそれは……。んふふ、予約はいつ頃からかしら?」
「予定では」
「……二人とも……呑気に世間話を始めないでくれます?」
セスはこっちを見ろとばかりにテーブルを数回叩く。
ティーカップや皿が甲高い鳴き声を上げて飛び跳ねた。
碧眼と蜂蜜色が困ったようにセスを見た。
「お行儀が悪いわよぼうや」
「それは良くないですよセス」
「……なん、ですか……この展開は……」
セスは頭を掻く。どうしてこうなったかは分からない。分からないが、ベアトリーチェが話を聞いてくれる気であることは確かだ。
「冗談はここまでにしましょう」
ベアトリーチェがフォークを置いた。背筋を伸ばした彼女にロゼルが姿勢を正した気配を感じ、セスも席につき直した。
ベアトリーチェは両手を膝に揃える。
「傷だけ診れば、ただの切り傷よ。そこまでふかくはなかったわ。話にきくかぎり、厚手のコートに助けられたわね。処置はしたから普通の傷なら跡ものこらずにきれいになるわ」
「ありがとうございます」
「処置はセスをここまで連れてきてくれたお礼よ。この子一人だったら、つくのは夜になっていたでしょうね」
その通りです。と、二人の会話にセスは内心で答えた。
王都アルバはセスの想像以上に賑やかで複雑な街だ。まずロゼルがいなければ駅から出られたかも危うい。
「カニバルブーケについてだけれど……カニバルブーケが魔女の呪いだとしても、わたくしはその呪いを生んでいる魔女に心当たりはないわ」
「ベアトリーチェですら、知らないんですか……?」
「あなたは自分の師とわたくし以外に、どれだけの魔女を知っていて?」
「師匠とベアトリーチェ、以外……?」
セスは指を折って数える。二本しか指は折れなかった。
「その方達は、カニバルブーケに関係がありそう?」
「まったく」
セスは首を横に振った。
それはそれは力強く振った。
「魔女は絶滅したとされているわ。魔女が人の世で平和に暮らすためには、そう思われていなくてはならないの。人間には手を出さないと誓い、ひっそりと生きる。けれど、それに不満を抱いている魔女が一部でいるのもたしか……」
ベアトリーチェは目を伏せる。膝の上で指を組んだ。
溜め息を吐き、視線を持ち上げた。
「わたくしはね。しずかに暮らしたいのよ」
セスもロゼルも見ず、彼女はどこか遠くを見つめながら言葉を零していった。
「好んで荒い魔女たちと関わる気はないわ。人間だってそうでしょう?」
蜂蜜色の瞳が真紅に流れる。
「同じ人間だからという理由で誰とでも仲良くなれる? 同じ人間だからこそ、価値観が異なる相手とは極力距離をとりたいと思わない?」
ロゼルは頷いた。
「魔女も同じよ。わたくしは現状に不満を抱く過激派の魔女とは距離をとりたいわ。呪いを生み出し、人間に危害を加えようとする愚か者なら余計にね」
ベアトリーチェは穏健派として有名だ。
人間と適切な距離を取り、必要最低限の関わりのみで、波風を立てずに過ごす魔女。
穏健派ではあるが人間に愛着を抱くわけでも、人間側に味方をするわけでもないので魔女からの評判も良い。
なにより、ヴァルプルギス以降に産まれた魔女でありながら、ヴァルプルギス以前より存在していた隣人という、魔女の中でも上位存在として逸脱した立場のブージャムに唯一口出しできる者としてもベアトリーチェは一目置かれていた。
魔女ブージャムに真っ向から喧嘩を売り、七日七晩死闘を繰り広げた後、八日目の朝に二人は笑い合いながら茶会を始め、そこから三日三晩お茶会を続けたらしい。
それがすべての魔女を戦慄させ、後世にまで語られ続けている《薔薇咲きの魔女》ブージャムと《貴石の魔女》ベアトリーチェの出会いの逸話――もとい、《煉獄の茶会》と恐れられる地獄の十日間である。
その気になればベアトリーチェは過激派とやり合える。その力を持っている。ゆえに、大人しくしていたいのだろう。
それをやってしまえば過激派の魔女達となんら変わらない。
「カニバルブーケについては、わたくしも出回っている一般的な噂話しか知らないわ。人間がどうしてカニバルブーケになってしまうのか、原因は分からないのよね」
なにかの手掛かりがあれば良かったが、簡単にはいかないらしい。それでもセスはロゼルを助けたいと、助けようと決めた。
悔やむ時間すら惜しいと前を向く。
「でも呪いの仕組みは知っているわ」
「本当ですか!」
「ええ、わたくしだって魔女だもの。ねえ、セス。あなたは師匠から呪いについてはどこまで教わったかしら?」
「あれは、軟弱者と根暗が使う卑怯極まりないものだと……」
「それだけ?」
セスは頷いた。
ベアトリーチェが深く息を吐きながら項垂れる。
「あの隣人は本当に……っ」
低く呟かれた言葉は、呪いの言葉のように濁っていた。
ベアトリーチェはフォークを掴むと意識を切り替えるようにタルトを二口ほど摘んだ。紅茶を飲み、温かな吐息を落としてから「魔女の呪いは誰でも使えるわけではないの」とこれまで通りの声音で説明を始めた。
「魔女は個々に能力を保持しているわ。ブージャムなら自分の身体から薔薇を咲かせる。セスならば薔薇を食べられる。わたくしの場合は、鉱石を生み出せる。三人とも異なる力を保つけれど、ここは共通点があるの。それは――――はい、セス。答えて」
「え……?」
「これは教わっているはずよね?」
セスは咄嗟にロゼルへと顔を向けてしまい「ボクは人間だから」と当たり前の返答をもらってからベアトリーチェを見据えた。
「…………自分自身を、主軸にしないと力が使えないこと……です……」
恐る恐る自分の知り得る情報を口にすればベアトリーチェから拍手がおくられた。
「その通り。魔女の能力は、大まかに言えば二種類に分けられるわ」
ベアトリーチェは胸に手を当てる。
「わたくし達三人のように自分を軸に力を使うものを物質型。他者を媒介にするものを干渉型と呼ぶわ。呪いと言うのは、主にこの干渉型の使う力をさすのよ。今回騒がれているカニバルブーケは人間から薔薇が咲く。つまりは人間という他者に力が発動しているから」
「干渉型の魔女が、関わっている……?」
セスは先読みしたことを口にした。
「干渉型の干渉方法は数多あるわ。それこそ接触干渉、飛沫干渉、目を合わせただけでも、声をきいただけでも干渉されることがある。しかも、カニバルブーケのように肉体と精神双方を変異させる力だけでなく、肉体のみ、精神のみに作用してくるものもあるわ。言いかえれば、それが呪いといわれる由縁よ」
「……師匠が、干渉型を嫌う理由が分かりました……」
「干渉型は魔女によっては力を公使する際に本人がその場にいなくても良い場合があるのよね。カニバルブーケを一体作り出して、それが無差別に傷をつけたら、傷をうけた誰かもカニバルブーケになる。勝手に増やすことも可能なの」
蜂蜜色の瞳がロゼルを捉えた。
「ただ……」
彼の背に残る傷を見定めるように蜂蜜色が細められた。
「呪いにかかっていれば、なにかしらの印がどこかに出るはずなのよねえ。それがないのは、不思議だわ」
訝しむベアトリーチェ。
「と、なると」
脳内を巡る言葉を舌で選んでいくように、ベアトリーチェはゆっくりと言った。
「もうひとつ考えられるのが……呪いでなかった場合」
「呪い、じゃない?」
セスよりもずっと古い魔女の唇から零れ落ちたのは、予想外の内容。呪いだとばかり考えていたセスは、食い入るように上体を前に出して続きを待った。
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