25 なにかの縁
「ッ――ベアトリーチェ!」
戸惑いを露わに、セスは強い感情に引っ張られて椅子から飛び上がる。
「なにを、ッ……そんな、急に……」
「あら。急に、ではないでしょう?」
ベアトリーチェの静謐な眼差しはセスを一切見ない。
彼女は苺にフォークを刺すと口に運んだ。
「…………っ……」
黙々と苺を咀嚼するベアトリーチェになにも言えずセスは拳を握る。
彼女の言う通り。急にではない。むしろ、それを望んでいたのはセスだ。
彼女は真実を口にしただけ。
でも、だからこそ、セスは真実を本人に突き付けることはしたくはなかった。
できるなら、なにも知らないままそうなってしまったほうが良いとセスは考えていた。
なぜなら、これは死刑宣告と同じ。
ただでさえロゼルは自分がいつ赤い薔薇に蝕まれてしまうか分からず、不安になっている状態だ。そこに魔女から死刑宣告をされれば、余計に気に病むのではないかとセスは心配していた。
カニバルブーケは自我を喰う。
彼が赤薔薇に喰われれば、そんな不安や恐怖すらも失われるだろうが、それでも。
それでも、できうる限りセスはロゼルが抱くそれらを増やしたくなかった。
「………………」
いや、これは建て前だ。
単純にセスは知られたくなかった。
自分がロゼルを殺さなくてはいけなくなる真実を、知られたくなかった。
自分を魔女と知りながらも普通に接してくれたロゼルから、怯えられたくなかった。
最期までセスはロゼルと普通に話していたかった。
が、もう無理だ。
きっと魔女に命を狙われている真実を知ったいま、ロゼルは自分を恐れるだろう。
セスがこうして懊悩している間にも、逃げ出すかもしれない。
その前に、なにか――なにか言わなくては。けれども、なにを言えば良いのか分からない。
考えれば考えるほどに頭が真っ白になり、真っ黒になり、真っ赤になり、どろどろと嫌なものが頭蓋という鍋の内側で沸騰する。
逃げ出したいのはセスだった。
いますぐに部屋から飛び出したい。
ただしそれをすれば後悔するとセスは知っている。
ゆえに、ともかくまずは口を動かそうと、彼の名を呼ぼうとしたセスは「そうでしょうね」
と、酷く冷静に落とされた一言に、それすらできなくなった。
セスの予想を裏切り、ロゼルは怯えることも逃げることもせず、紅茶を啜った。
カップから赤い唇を外した彼は、親指の腹でカップの縁についた赤い跡をなぞる。紅茶の温もりを含んだ息を吐くと、セスを仰いだ。
「……………」
乱れのない碧眼がセスを射る。
セスは飛び跳ねそうになった自分を制した。
「座れば?」
促され、セスはそろりと着席する。
ロゼルの声音も普通だった。落ち着きすぎてもなく、焦ってもいない。ただただいままで通りで、この平常心は演技ではないだろう。どちらかと言えば本当に予想通りという振る舞いだ。
ロゼルはこうなると予想し、覚悟を決めていたのだろう。
では、それはいつから?
あくまでベアトリーチェに傷を診てもらうという前提条件で動いていた。
最初のうちは彼を逃がさぬよう、万が一のことは――ロゼルを殺さなくてはならないことは口にしなかった。なのにどうして気付かれたのかとセスは思案し、はっと思い至った。
気付かれたのではない――――と。
「まさか……最初から、こうなると分かっていて、ついて来たんですか……?」
セスが問うと、ロゼルは申し訳なさそうに弱々しい笑みを口元に携えた。
「言ったでしょ。キミが《薔薇喰いの魔女》で良かったって……」
「!」
セスの脳裏に汽車でのやり取りが思い起こされる。
――――セスが《薔薇喰いの魔女》で良かったわ。
カニバルブーケを喰らい、汽車に戻ってきたあと。セスの客室で休んでいた時にロゼルは確かに言った。
――――カニバルブーケだけでなく、薔薇にまつわる魔女に出会えたのは……
「なにかの、縁……」
セスは汽車内でロゼルが囁いた言葉を反復する。
ロゼルはあの時から、カニバルブーケに傷を負わされた時から、すべてを覚悟して動いていたのだとセスはここで理解した。
やはり良くない縁だと、再度理解した。
「つまり、あんたは……カニバルブーケになった自らを確実に殺してもらうために、自分と一緒に来たってことですか……?」
「厄介な相手で、ごめんなさいね」
「ッ……!」
セスの考えはロゼルに気付かれていたわけではない。
ただ単純に、セスの考えとロゼルの考えは同じだっただけ。
セスが万が一にもカニバルブーケになったロゼルの処理をどうするか悩んでいたのと同じ。ロゼルも、カニバルブーケになった自分の処理をどうするか悩んでいた。そんな時に目の前にカニバルブーケを確実に倒せる相手がいたら、逃がすはずがないだろう。
人を喰らう赤薔薇の奇病カニバルブーケ。
どんな医術や錬金術を駆使しても治療不可能な奇病。
それを唯一跡形もなく喰らうことが可能である《薔薇喰いの魔女》
ロゼルはそれを利用しようとした。
良くない縁にもほどがある。セスは奥歯を噛み締めた。
「……謝るくらいなら、諦めるな!」
セスは再び立ち上がった。先程よりも強く床を蹴り、重い安楽椅子が揺れる。
「あんたが諦めても自分は諦めたくありません! 自分は、あんたを喰いたくない……!」
セスは叫んだ。
「ベアトリーチェ! つまり彼が発病しなければ……カニバルブーケにならなければ良いんでしょう? ならない方法を、探します。ですから、彼を殺すのは待ってください!」
テーブルを叩いてセスは抗議する。
ロゼルがカニバルブーケになる可能性があるならば早急に処理をしたほうが安心だろう。セスもそう考えていた。
仕方がないと諦めていた。
しかし改めてロゼルの言葉を聞いたいま、セスが抱いた感じは怒りだった。
相手がセスが行う行為に同意してくれていたことへの安堵や罪悪感の軽減ではなく、相手に殴り掛かりたくなるほどの憤怒だった。
「お願いします。責任は、自分がとります。ベアトリーチェにも、他の魔女にも迷惑をかけません……! どうかッ――」
ベアトリーチェが制するようにセスの眼前へと左腕を伸ばす。
セスは口を噤んだ。けれども、強い意志を孕んだ灰眼で真っ直ぐにベアトリーチェへと訴え続けた。
ベアトリーチェが大袈裟に肩を落とす。
「セス。熱弁してくれているところ悪いのだけど……それは当たり前よ?」
「え……」
呆れたように零された溜め息にセスは面食らった。
「忘れたの? 魔女の存在を人から隠蔽する際、魔女は理由もなく普通の人間には危害を加えないと盟約を交わしたでしょう」
「……あ……」
「忘れていたわね」
「し、師匠が……あれなもので……」
「あれは例外よ」
ベアトリーチェがタルトを口に運ぶ。噛みながら、二口目もすくった。
その時、セスの外套が引っ張られた。振り向けばロゼルが外套を摘んでいる。
「なにか勘違いしているみたいだけど。ボク、諦めてはいませんよ?」
「……え?」
「ボクは最終手段としてキミに頼らせてもらうつもりなの。こうなったのは自業自得。キミに責任を押し付ける気はない。……だからこそ、覚悟を決めて最悪の結果も予想しなくてはならないの。それもを考えたら、どうしてもキミには頼らなくちゃならない。それだけは許してほしいなって……でも」
ロゼルは微笑む。
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