24 魔女の本心

 ◆ ◆ ◆


 紅茶と、どうにか切り分けたストロベリータルトを銀のトレーに乗せてセスは居間に戻る。

 ケーキ皿に盛られたストロベリータルトは疑問符を浮かべたくなる塊だったが、最善は尽くした。

 セスはトレーを利き手に、杖を左手に持って廊下を進む。


「…………」


 歩は自然と書斎の前で止まった。

 話し声が微かに聞こえる。

 間違いなくロゼルは人間のままの様子で、緊張してしまっていたセスの面持ちから少しだけ力みが抜けた。

 セスは静かに歩みを再開し、途中で一度だけ書斎を振り返り――――居間へと入った。

 三人分の茶菓子をテーブルへと用意していると、ふと気配を感じた。


「お待たせしたわね」


 振り返ると、目が合う前にベアトリーチェがゆったりと言った。


「お茶の準備をありがとう。ぼうや」


 改めて瞳がかち合ったあと、彼女はセスに礼を述べた。

 ベアトリーチェは迷わずに置いてある長椅子へと足を進める。そこがベアトリーチェの定位置なのかもしれない。


「ベアトリーチェ……あの」

「大丈夫よ。人間のまま。お洋服を整えたらもどってくるわ。座ってまっていなさい」


 セスは突っ立ったまま出入り口を一見。その先の廊下には徐々に赤みを増す光が射し込み、埃が雪のようにチカチカと踊っていた。

 セスは誰もいない廊下から目線を逸らすも、そちらを意識したまま安楽椅子に腰を下ろした。

 ベアトリーチェはセスがただただテーブルに置いただけのティーカップや茶菓子の位置を丁寧に整える。椅子と見合った位置にそれらを配置すると、柔らかなスカートを手でまとめつつ、ベアトリーチェはそっと長椅子に腰掛けた。

 ベアトリーチェが背筋を伸ばしたまま長椅子に座ったのとロゼルが戻ってきたのはほぼ同時だった。


「……あ……!」


 考えるよりも先に身体が動き、セスは立ち上がってしまう。が、立ち上がったのは良いものの、なにをすれば良いか戸惑いただロゼルを見つめるだけだった。


「こちらへ。詳しく説明させていただくわ」


 ベアトリーチェがロゼルを呼ぶ。

 突然立ったセスに見開いた目を向けていたロゼルがベアトリーチェを見る。表情を緩め「ありがとうございます」とロゼルは居間に入ってきた。

 ベアトリーチェの右腕がセスの隣にある安楽椅子を差し、ロゼルは従ってそこに腰を落ち着かせた。

 セスも椅子に座り直す。


「大丈夫ですか? 身体に変化は……」

「平気ですよ」

「夕方に始まるお茶会は?」

「金のお茶会」


 ロゼルの即答にセスは胸を撫で下ろした。


「ええ。お茶にしながらお話をしましょう。セスが淹れてくれたのよ」

「セスが?」


 ロゼルは前のめりになり、信じられないものを見るようにティーカップを覗き込んだ。


「茶くらい淹れられます。師匠に毎回淹れさせられていたんですから」


 ロゼルは眉を上げ感嘆混じりの息を洩らすと、白濁の湯気が揺れるカップが置かれたソーサーへと右手を伸ばす。

「意外でしょう」と微笑みながらベアトリーチェもソーサーを両手で持ち上げた。


「実りの栄華に讃歌を捧げます」


 ロゼルが食事前の祈りを小さく囁いた。それから左手でティーカップを捕まえると、艶のある縁に口付けた。

 ベアトリーチェもカップの持ち手を右手で摘み、こくりと喉を動かす。

 瞬間、居間の空気にヒビが入った。


「うッ――!」

「…………」


 ロゼルが俯き、ベアトリーチェが固まる。

 雪解け前の冷気を含んだ外気よりもさらに下がった室内の温度。隙間などないのに、三人の間をすきま風が吹いた気さえした。


「……どうしました?」


 けれども、茶を淹れた当人だけその気配を察せていない様子で首を捻った。


「ぼうや……これ、わたくしが出した茶葉を使ったのよね」

「使いました。……もしかして、苦かったですか? 師匠が紅茶には砂糖大匙七杯に蜂蜜を三杯なので……普通の方はもうすこし少なめかと、大匙三杯にしたのですが……さすがに、少なかったですかね」


 語りながら、セスもソーサーから自分のティーカップを持ち上げる。

 薔薇以外に味を感じないセスの紅茶には砂糖は一切入っていない。琥珀色の液体からは純粋な紅茶の香りが漂ってくる。

 味は感じずとも香りの判断はできるセスは、この紅茶がやや苦味の深い紅茶だと嗅覚で判断していた。

 確かまろやかな苦味だが後味はさっぱりとしている種類で、ストレートは勿論、ミルクティーにしても美味だったはずだ。師匠はこれを常にミルクティーにして、薔薇を浸した蜂蜜を大匙十杯ほど加えていた。最後にカップ底に沈殿した溶けきらなかった蜂蜜を飲む瞬間が最高に至福だと言っていたのを思い出す。砂糖だけでは苦かったかとセスは二人に申し訳なさを抱いた。


「この種類の紅茶なら師匠に出していたように、ミルクティーにして……蜂蜜十杯は必要でしたね。すみません……」

「蜂蜜十ッ……!」


 ロゼルが声を裏返らせた。眼球が零れそうなほど目をひん剥き、ソーサーを掴む右手は震え出す。まるでアルコール中毒の患者のようだ。


「セス」


 ベアトリーチェが静かにセスを呼んだ。


「魔女は甘党が多いわ。それでも、覚えておきなさい」


 ティーカップをソーサーに戻し、それらをテーブルに戻したベアトリーチェは両の指を膝の上で絡めた。

 そして一拍ののち、まるで教鞭を執るような口調で言う。


「何事にも、限度があると」


 お前の師匠はそれが外れている。と、ベアトリーチェは真顔で断言した。

 そこでセスはようやく、師匠の味覚が狂っていたと知る。


 ◆ ◆ ◆


 セスが改めて紅茶を淹れ直し、一般的な味覚を学んだ時には世界は本格的に赤く輝いていた。

 カニバルブーケとは違う、鮮やかな赤が生み出す金色の光の時間はこれから一時間ほど続く。夕暮れ時は世界の境界線が曖昧になると言われている。

 師匠曰わく、人間とそうでない者の存在が深まる光と影によって判別できなくなるらしい。

 夕暮れ時とは、人でない者が人の世で人目を気にせず闊歩できる黄金の時間帯。

 実際に魔女にとって一番居心地の良い時間はこの時刻だ。

 赤い太陽によって世界が黄金に染まる夕暮れ時は、調子が良くなって気分も高まる。はずなのだが、今日だけはセスの調子は良くならず、気分も高まらなかった。


「…………」


 セスは紅茶を淹れ直す間もロゼルが気になって仕方がなかった。

 ベアトリーチェはわざと時間を無駄遣いしようとしている。

 彼女には彼女の考えがあるのだろう。けれど、それはあくまでベアトリーチェの考えであり、セスにその考えがあうかと言われれば、そうではない。が、それに口出しする理由も度胸もセスにはなかった。

 セスはただベアトリーチェに指示された通りに紅茶を淹れ直すしかなく、その間ロゼルがロゼルのままなのかと始終そわそわと身を震わせていた。

 居間に戻った時、真紅の姿がそのままであったことにどれだけ安心したことか。


「おいしいわあ」


 新しい紅茶を飲んだベアトリーチェは幸せそうに肩の力を抜く。ほわりと吐き出された吐息と感想に偽りはなかった。


「ありがとうございます」

「これを覚えておきなさいな」

「分かりました。それで、ベアトリーチェ。そろそろ本題に……」


 セスは黒外套を握り締める。

 いい加減、詳細が知りたかった。ベアトリーチェからすれば、カニバルブーケへと変異したロゼルをさっさと仕留めたいのだろう。

 できることなら、自分の目が届くこの場で。

 だから彼女は先程から時間を無駄遣いしてロゼルの様子を窺っているのだ。

 いまだってベアトリーチェはすぐには答えず「そうねえ」と目線を持ち上げて、下げて、ロゼルを見たあと、ゆったりと紅茶を口に含んだ。

 ベアトリーチェは音もなくティーカップをソーサーに置くと、入れ違いに銀のフォークを摘んだ。

 それでストロベリータルトをすくう。切り分けた際、ベアトリーチェとロゼルのタルトは綺麗な部分を選んだため、比較的び二人のタルトは形が整っている。セスの前にある、内臓を山にしたような見栄えのタルトとは違う。きちんとタルトの形を保っていた。

 その姿を、故意に崩すようにベアトリーチェはタルトをフォークでほじっていく。

 セスは髪の隙間から眼球だけでロゼルを覗き見た。紅茶を味わう彼は彼のままだ。呼吸も、顔色も、仕草も、まったく変わらない。

 ただロゼルも早く話を聞きたい雰囲気だった。


「わたくしはね……」


 ベアトリーチェがようやく唇を開く。


「早急にあなたを消してしまいたいのよ」


 包み隠さずに発せられた彼女の本心に、セスは絶句した。

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