22 貴石の魔女に頼った理由

 居間の先にある別の部屋へとベアトリーチェはロゼルを案内した。

 開かれた扉の隙間から漂ってきたのは紙とインクの古めかしい香り。そこは書斎だった。窓はなく、壁が本棚になっており、たくさんの本が埋め込まれている。

 ロゼルが書斎に身を浸すと「準備をしてくるわ。すこしだけお待ちになって」とベアトリーチェは本棚を眺める真紅の影に伝えた。


「お荷物や上着はお好きに置いてちょうだいね」


 ベアトリーチェはそう付け加え、扉を閉める。

 外から鍵などは掛けず、迷いない足取りで扉からさっさと離れた。


「ぼうやはお手伝いをしてね。ついでに、ぼうやの荷物も置いてらっしゃいな」

「この荷物は……こっちは彼のです。自分のは、これだけ……」

「あらまあ、そうなの?」


 セスが首を縦に振るとベアトリーチェは書斎のノブに指先を絡ませ「んふふ」

 なにかを閃いた悪戯っ子の微笑を、皺の刻まれる顔に滲ませた。セスは突然の笑みの意味が分からない。

 何をするのかと思いきや、ベアトリーチェはまず疑問符を浮かべているセスへと人差し指を唇に当てて見せる。彼女はセスが黙ったことを確認すると、波の如く緩やかな曲線を描くノブを音がしないようにそぅろりと下げ、音がしないように扉をほんのすこぉしだけ開ける。やはり音がしないように、ベアトリーチェは亡霊のような仕草ですうっと室内を覗いた。

 一秒、二秒、三秒――と。

 秒針が時を刻む音色が反響する。

 穏やかな時計の心音は、温かな空気に優しい波紋を描き「うわっ!」そこに悲鳴という目立つ波紋が加わった。


「ふふふふふ……」


 したり顔で「驚いた? ねえ、驚いたかしら?」と室内にいるロゼルへと弾む声音を投げつけるベアトリーチェの無邪気な態度にセスは杖の柄の先で頭を押さえた。

 品のある所作と柔和な面持ちによって忘れかけていたが、彼女は魔女ブージャムの友人。

 足癖が悪く、人を見下し、高笑いする高慢な魔女の古い友なのだ。

 なにかしら、あれな部分があってもおかしくはない。


「ベアトリーチェ……なにを、しているんですか……」

「魔女らしいことをしようと思ったのよ。魔女って、人間からしたらおそろしい存在でしょう?」


 ベアトリーチェはなにかを引っ掻くような形にした両手を持ち上げ、露骨に脅かす仕草をセスに見せ付けた。

 微塵も悪気のないベアトリーチェに、ブージャムの姿が重なった。

 それでもブージャムに比べれば断然可愛らしいもの。


「ごめんなさいマスタークエスチョンローズ。あなたのお荷物、向こうのお部屋に置いてもよろしいかしら? 傷を見たら、そちらに移動してもらうつもりなのよ」


 そう彼女が声を掛けると「ど、どうぞ」と戸惑いを無理矢理に押し込めているロゼルの少し裏返った返事が響いてきた。


「では、そうさせていただくわね」


 扉を閉めるとベアトリーチェは居間のほうを双眼で差した。


「ぼうや。お荷物を置いたらこの先の厨房にきてね」

「え? 厨房、に……?」

「待ってるわ」


 ベアトリーチェはスカートを翻すと踊りだしそうな足取りで廊下の奥にある厨房に繋がるらしい扉の中に消えていった。奇病の傷を診る準備をするのに、厨房でなにをするのかとセスは疑問を感じるが、取り敢えずは言われた通りに荷物を置きに行く。

 書斎が気になったもののセスは早足に廊下を戻り、指定された居間に踏み込んだ。

 飾り棚や整理箪笥、引き出し付きキャビネットが囲む部屋の中央付近には、青薔薇が生けてある花瓶が置かれた楕円形のテーブルと長椅子、そして長椅子の隣と向かい側に一人掛けの安楽椅子が二脚あった。離れた位置には小振りの三本脚テーブルと肘掛け椅子。縦長の窓際にもう一脚、デザインが少し違う猫脚の小椅子がある。

 物は多いがこだわりを持って配置され、丁寧に整理されていると一目で分かる。掃除も行き届いていて、ベアトリーチェの性格や趣味が窺えた。

 セスは部屋を見渡したあと、楕円テーブルの側にいる安楽椅子の側にふたつの荷物を寄り添わせて置いた。それから室内で長外套を着続けるのもなんだとそれを脱いだ。安楽椅子の厚い背もたれに長い外套を掛け、下に着ていた師匠の遺品である半端にしか羽織れない黒外套をなんとなく整えてから厨房へと向かう。


「ベアトリーチェ……?」


 厨房を窺うと彼女は湯を沸かそうとしていた。


「あら、杖は?」

「え?」

「置いてきたらだめじゃない。取ってらっしゃいな」

「……はあ……」


 幼い子供にきかせる真っ直ぐながらも温かな口調にセスは生返事を落とすと頭を掻きながら廊下を戻る。再度横切る書斎の前。何の音もない。セスは寄り道せずに居間に駆け込んだ。

 師匠から譲り受けた瑠璃の杖を右手に携え、今度こそセスは厨房へと足を踏み入れた。

 掃除がしやすいように設計された石造りの床。中央に正方形の飾り気がないずっしりとしたテーブルがあり、木製の丸椅子がふたつ並んでいる。右奥には裏口だろう小振りの扉。左側の手前には調理用の暖炉があり、火がつけられた石造りのそこでは湯が沸かされている最中だった。

 ベアトリーチェは棚に並ぶいくつかのティーキャディーを掴んでは戻し、掴んでは戻し、どれにしようかと鼻歌交じりに選定していた。


「杖を置いて、ケーキを出してちょうだいな」

「あ、はい……」


 それを眺めているとベアトリーチェがセスを見ずに指示する。

 セスは厨房を見渡して、扉の側の壁に杖を立てると言われた通りにした。先程から不可思議なことばかり口にするベアトリーチェにセスは小首を捻りつつ、テーブルに置かれたケーキ箱を開ける。

 と、ほぼ同時。


「ねえぼうや。あなた、わね?」


 ベアトリーチェは言った。

 まるでケーキ箱の中身を訊ねるかのように、言った。


「――――ッ!」


 錬金術によって生み出された食べ物や飲み物を保冷する特殊な乳白色の気体が箱から飛び出して、セスの顔にぶつかる。

 外気よりも格段に冷える人工的な冷気。

 瞬時にそれは霧散するが、セスの身体は冷えたまま。むしろ、顔だけでなく全身に嫌な冷たさが広がっていく。


「あなたがあの人間をわたくしの元に連れてきた理由は、傷を診せるだけではないわね? カニバルブーケになるかもしれないあの子を、わたくしに片付けさせるため……」


 セスはなにも答えらない。

 ケーキ箱に添える手だけが震える。箱に触れているはずの手の感覚が失われていった。

 ケーキ箱ではなく、氷を触っている気分だ。


「狡賢いところは、師匠譲りかしら?」


 ティーキャディーを両手に抱えてベアトリーチェはセスの側にやってくる。それをテーブルに置くとケーキ箱の中を覗き込んだ。

「あらまっ」とベアトリーチェは大袈裟に両手を顔の高さまで持ち上げて驚きを表現した。

 箱の中に入っていたケーキは潰れてしまっていた。

 ケーキ箱を持つロゼルを抱えて、セスが上下左右に飛び跳ねたせいだろう。


 真っ赤なストロベリータルト。

 ぐちゃぐちゃに崩れたストロベリータルト。

 セスは一瞬それを生き物の臓物と錯覚した。


 あまったるい香りがセスの鼻腔を撫でる。


 人間を喰らうカニバルブーケ。

 あれは、人の血を、臓物を、好むだろう。

 きっと、潰れた臓物すら恍惚と啜るだろう。

 もしかしたら彼も、ロゼルも――――そうなるかもしれない。

 だからそうなる前に、どうにかしたいという願望がセスにはあった。

 カニバルブーケの感染経路が分からない現状、ロゼルが発病しないとは言えない。どちらかと言えば発病すると考えたほうが、現実的だ。

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