21 バンダースナッチ

「ぼうや。あなた、あの人間に自分が魔女だと明かしたの?」


 カニバルブーケよりも、ベアトリーチェはそこに注目して驚いた。当たり前だろう。魔女は表向きは絶滅したと言われている。絶滅したと思われていなくてはならない。それを自ら明かすなど、自殺行為にも等しい。

 そしてこの場合はセスの自殺ではなく、ベアトリーチェを巻き込んだ無理心中とすら言える。


「ッ……すみません……」


 セスは表情を曇らせ、眉根を苦々しく顰めた。鞄を持つ手に力を込め「けど」と続ける。


「カニバルブーケまで出て……仕方が、なかったんです……」


 ベアトリーチェは全神経を研ぎ澄まし、異変がないか探るように周囲を注視する。しばらくしてから「彼一人みたいね」とゆっくり肩を落とした。


「表向きは魔女は絶滅したと言われているわ。魔女だと騒いでも、いまは騒いだ人がおかしな目で見られるだけ。それでも、魔女を気にする人間がまだまだいるのもたしかよ?」

「はい……すみません……」


 叱られるのは覚悟の上だった。

 しかしベアトリーチェはそれ以上の弾糾はしてこなかった。彼女は頬に手を当てて「あらあらまあまあ」と、子供が突然家に友達をたくさん連れてきてしまったかのような顔をするだけ。

 困りながらも少し楽しそうで、どうしようかと思案する顔だ。


「進んで厄介事に足をつっこむのも、師匠ゆずりかしら」


 懐かしむような思い出し笑いを零すベアトリーチェ。

 彼女は胸の高さまで上げた右手をロゼルへ向けて振った。

 こちらに配慮して離れた位置で待ってくれていたロゼルがそれに気が付いて頭を下げた。先程までの女性的な所作ではなく、とても紳士的な動きで、逆にセスは違和感を覚える。


「ぼうや。いつまでお客さまをお待たせするの?」


 ベアトリーチェが手を叩く。


「ほらほら」

「よ、呼んできます……!」

「駆け足よ。駆け足!」

「っ、はい!」


 パンパンッ! と、急かすような音に背中を叩かれ、セスは慌ててロゼルへと駆け寄った。


「ロゼル……!」


 セスは相手の名を呼ぶ。

 真紅の前で立ち止まると、甘い香りがセスの鼻をくすぐった。


「無事に着いたようで良かったわ。彼女が?」

「ベアトリーチェです。……ロゼルは、大丈夫ですか?」

「うん? 疲れてはいないわよ。キミのほうが大丈夫? ボクを担いだのだから、いくら魔女でもさすがに疲れてない?」


 ロゼルは普通にセスと会話をする。

 至って変化は感じられない。相変わらず自分よりも周りに気を配ってくれていた。


「自分は……それよりも、あんたが……」

「ボク?」

「さっき、ベアトリーチェに頭を下げた時に、なよなよしていなかったので咲いたのかと……」

「キミがボクをどう見ていたのか分かったわ」


 形は柔和に三日月になった碧眼だが、奥には濃い影が滲んでいた。

 笑っているけれど笑っていないロゼルの顔を冷やすように風が吹く。まだほんのりと雪の気配をまとう冷涼な風にセスは空を見上げた。

 太陽は真上にあるが、ここまでくれば下がるのは早い。あっという間に夕暮れ時が訪れ、夜がくるだろう。


「きてください。ベアトリーチェに紹介します」


 セスの言葉を聞いて、ロゼルは少しだけ自分の背中を気にした。それは本当に一瞬で、彼はすぐにセスのほうへと意識を向ける。

「お願いするわ」とロゼルは静かに一歩踏み出した。

 セスは頷いて、踵を返す。

 ベアトリーチェが、穏やかにこちらを見つめていた。


 ◆ ◆ ◆


 玄関前で三人は集う。セスはベアトリーチェにロゼルを紹介しようとしたが、予想外なことにベアトリーチェは彼を知っていた。

「マスタークエスチョンローズ……?」と、ロゼルを間近で目にしたベアトリーチェは落ち着きながらもやや驚いた。


「クエスチョンローズ?」


 単語を拾い上げたセスは意味を問いロゼルを見やる。


「ボクのお店の名前です。アルバ職人は自分の店の名で呼ばれることが多いのですよ」

「ということは……ロゼルは、自分の店を持っているんですか?」

「うん」

「すごい、職人だったんですね……」


 セスが感心しているとベアトリーチェが頬に手を当て、困った表情をセスに向けてきた。彼女はセスになにかを言いかけて、吐息だけを洩らした。

 切り替えるように微笑を作るとベアトリーチェはスカートを摘まみ上げる。


「初めまして。こうして直にお会いできて光栄だわマスタークエスチョンローズ。セスが魔女と知ってらっしゃるなら、わたくしがなんであるかも想像はつくかしらね」


 ベアトリーチェは胸に手を当てる。笑みを強めた。


「わたくしはベアトリーチェ・バンダースナッチ。《貴石きせきの魔女》とも呼ばれているわ。そこの《薔薇喰い》のぼうやの師――《薔薇咲きの魔女》とは古い仲で、今後のその子の保護者よ」


 言葉の最後、ベアトリーチェはセスをはっきりと蜂蜜色の瞳に映す。


「立ち話もなんだわ。どうぞ」


 ベアトリーチェが中に二人を促した。


「ありがとうございます。あの、甘いものがお好きだと伺いしまして……これ」


 また敬語に戻っているロゼルがベアトリーチェへとケーキの箱を差し出した。


「まあ! ミセスクロケーのケーキね!」


 ベアトリーチェは胸の前で柔らかく両手をあわせる。


「嬉しいわあ」


 はにかむベアトリーチェは本当に嬉しそうに箱を受け取った。大切な宝物でも扱うように、箱の持ち手だけでなく底にも手をそえて持つ。


「ここのケーキはとっても美味しいのよね。ちょっと高いけれど」

「私の妹も好きなのですよ。喜んで頂けて嬉しいです」

「趣味のよいかたが一緒でよかったわね。きっとセス一人だったらめずらしさを重視して、鉱石のようにかたい角砂糖でも買ってくるでしょうから」


 微風に揺れる花のようなベアトリーチェの笑い声を耳にして、セスとロゼルは顔を見合わせた。二人の頭には同じ情景が浮かび上がっている。


「ベアトリーチェ……」


 セスは恐る恐る口を開く。


「いつから、心を読めるようになったんですか?」


 ◆ ◆ ◆


 玄関の先には安穏とした一本の廊下が伸びている。左側の壁には手前に扉がひとつと、奥には階段があった。階段の側面には貫禄のある古時計が佇んでいる。

 右側には扉がみっつ。手前の扉は開きっぱなしになっていて、彼女自身が使用しているだろう生活感のある広い居間が覗けた。

 木製の家具で揃えられた室内は一見落ち着いているが、テーブルは脚にも細工が彫られ、椅子も精緻な模様が縫われた布が張られている。木彫りをあしらった暖炉や壁には飾り棚があり、一輪挿しの花や、盤上遊戯の駒などが礼儀正しく並んでいた。

 羽根のような植物の葉のような模様が描かれた深緑の絨毯が、大きなアルバ硝子の窓から差し込む光を静穏に吸い込んでいる。


「マスタークエスチョンローズはまずこちらに」


 ベアトリーチェは居間よりも少し先にある、同じ右手側の扉を開いた。


 セスとロゼルは目を合わせる。セスが目で頷くと「お願いします」とロゼルはベアトリーチェに微笑んだ。

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