20 魔女の目的地

 王都アルバの隅の隅――高級店が立ち並ぶ賑やかで華やか中心区を抜けた先。静かな郊外に佇んでいる一軒家。アルバの建築物らしい白い外壁にアルバ硝子の窓がついている。低い柵が張り巡らされた家の側には大きな木が一本立っている。

 それを視認するとセスの心は跳ね、坂道を転がる林檎のように一目散に駆け出していた。


「そんなにはしゃぐと転ぶわよ、ぼうや」


 所々色が剥げた低い柵の前までくる。柵の向こう側、丸いアルバ硝子が嵌め込まれた扉の前で老婦人が顔に刻まれた皺を柔和に深めた。


「もう……坊やという歳ではありませんよ」


 柵の前で足を揃えると、着いた安堵感からか肩の力が抜けた。


「わたくしからしたら、あなたはいつまでもぼうやだわ」


 相手はスカートを持ち上げ、ゆったりと玄関から柵の前に続いている赤煉瓦の小道を進んでくる。品良く伸びた背筋と窈窕ようちょうたる足取りは老いを感じさせない。

 彼女が動く度にその身を飾る大きな宝石達が煌びやかに自己主張をしてくる。セスには値段など想像も出来ない大振りな宝石達を従えながらも、彼女からはいやらしさは微塵も感じられず、高貴さだけが漂っていた。

 彼女が眼前までくると、セスの嗅覚に柑橘系の香りが微笑みかけてきた。

 それは手紙からも感じた香り。

 彼女が愛用している香水の香りは瑞々しく、手紙についていた移り香とは違いしっかりと存在感を放つそれを懐かしむようにセスは大きく息を吸った。


「お久しぶりです。ベアトリーチェ」

「ええ、おひさしぶり」


 太陽の輝きに照らされるのは後ろでひとつにまとめられた灰色の髪。翡翠色の生地で仕立てられた清楚なドレスは街中で女性達が着ていた流行だろう二枚重ねのスカートで後ろ腰のみがたくし上がっているものとは異なり、全体的にスカートがふわりとしている。

 柔らかいスカートは冷たい風に遊ばれて、焼き立てのスポンジケーキのように跳ねた。


「まあまあ、随分な格好ね。長旅ごくろうさま」

「予定の到着時間より、大幅に遅れてしまいすみません……」

「いいのよ。ぼうやですもの」


 穏やかなベアトリーチェにセスは胸を撫で下ろす。そして、彼女の中で自分はまだまだぼうや扱いされるだろうことを密かに嘆いた。


「あの……この度は、本当にありがとうございます」


 セスは相手へと深くお辞儀をする。


「これから、お世話になります」

「そんなにかしこまらなくていいのよ」


 頭上から星屑のように降ってくる可笑しそうな笑い声。


「だって、あなたはあれの大切な忘れ形見だもの。なら、わたくしの息子も同然」


 頭を上げると、ベアトリーチェは蜂蜜色の双眼に弧を描いていた。親を失った子に向ける憐れみでも同情でもない。本当に親しげで愛おしそうな表情に、セスのほうが顔をそらしてしまった。


「あの家は、ひとりではひろすぎるでしょう?」


 セスの脳裏に住み慣れた古い小屋が浮かぶ。

 幼少期は良かったが、後々成長したセスには高さが合わず、何度も頭をぶつけ、育ての親に邪魔だと罵られたのはいまとなっては良い思い出だ。

 まったく広くはない。そのうえ無駄に物も多く二人暮らしでも窮屈。

 育ての親であり師匠であるブージャムが亡くなった後でも、それはさして変わらない。

 はずだった。

 一人分あいてもまだまだ狭いはずなのに、酷くがらんどうに感じてしまった我が家。住み慣れているはずのそこは、居心地が悪くなった。

 死を理解できぬほど、受け入れられぬほど、セスはぼうやではない。

 それでも「……広すぎます……」

 セスは迷いなく頷いた。

 寂しくないとは、嘘でも言えない。


「だからこわしたのでしょうねえ」

「本当に、自分も驚きました……まさか、家が雪の重みで壊れるよう細工されていたなんて…………というか、ベアトリーチェは半壊するって知っていたんですね……」

「半壊するのは知らなかったわよ。ただ、なにがなんでもこちらに寄越すと聞いただけ。それで、頃合いを見はからって案内のお手紙を書いたのよ。無事についてよかったわあ」

「はあ……」

「んふふ、ブージャムらしいわよねえ」


 同じ人物を思い浮かべながらベアトリーチェは愉快げに微笑み、セスは口端を引き攣らせた。


「おかげであなたはここにいるわ。あれなりの気遣いでしょうね」


 眠れぬ夜、温かなミルクに蜂蜜を垂らすように囁かれた声は、青空の下を駆け抜けた風に掻き消された。木々が風とともにさざめく。

 ベアトリーチェは風に嬲られた横髪を軽く押さえた。


「不器用だわ。むかしから……」


 遠くを見つめて、ベアトリーチェは失笑混じりの溜め息を落とした。セスの手元で瑠璃色の杖が輝く。

 彼女の言葉は甘い薔薇を味わっている気分にさせた。温かく、穏やかで、ほっと吐息がもれる優しさにセスは感謝の意を込めて深々と一礼をした。


「お世話に、なります……」

「ええ。わたくしにとってもここはひとりでは広いから、きてくれて本当にうれしいわ」


 姿勢を正すとセスは気を引き締めた。

 このまま穏やかな日常に身を沈ませたくなるが、そうはいかない。

 彼女には伝えなくてはいけないことがある。

 それは重要なこと。

 とても重要なことだ。

 後回しにはできず、伝えるならば早いほうが良い。いや、早くなければいけない。


「あの……着いて早々なのですが、相談が……あって……」


 セスは歯切れ悪くも唇を動かした。

 伝える覚悟は決めたものの、どうしても気まずさから自然と目線が落ちていく。それに自分で気が付いたセスは唇を噛み、顔を上げた。

 ベアトリーチェのとろけるような蜂蜜の瞳は既に察したようにセスの後ろへと流れていた。


「まあ、人間ね?」


 後方にいるロゼルを目にしたベアトリーチェが、まるでカップの底に残っていた溶けきっていない砂糖を見つけたかのように言う。セスはそっと頷いた。


「ここに来る途中、汽車の中で知り合ったのですが……その……カニバルブーケに、襲われました」


 セスが奇病の名を口にするとベアトリーチェの纏う柔和な気配が一変した。まるで尖った鉱石のように硬い空気が周囲に漂う。


「人間を喰らう赤薔薇の奇病、だったかしら?」

「ご存知、だったんですか……」

「わたくしは、あなたの師匠のように物事に疎くはないのよ。魔女の呪いと噂されているならなおのこと。しかも」


 すっと、ベアトリーチェの目が細められた。


「それは、あの青い《薔薇咲きの魔女》の呪いと噂されているのだもの。おかしくて、おかしくて……耳にはいってしまっているわ」


 おかしいと笑むベアトリーチェの瞳の奥で煌々と揺らめく感情は、微塵もおかしそうに笑ってはいなかった。そこにあるのは、友を侮辱されたと憤る強い強い想い。

 セスが理解できる強い感情だった。

 彼女の態度にセスは安心感を抱いた。

 やはり、自分の考えは間違ってはいないと。

 奇病カニバルブーケと魔女ブージャムは無関係だ。


「ベアトリーチェ。カニバルブーケについて、どこまで知っていますか?」


 セスは訊ねた。


「実は、彼はカニバルブーケに傷を負わされました……自分は、カニバルブーケのことをよく知りません。あれが魔女の呪いと言われているなら、カニバルブーケに傷付けられた彼を放っておいてはいけないと思いました……それに、彼は、魔女と言っても自分を恐れません……」

「まあ」


 ベアトリーチェが大きく開いた口に手を当てる。

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