18 親愛なる相棒の行方
セスは右手の荷物を地面に落とした。
ロゼルがセスの置いた革鞄を一見。生クリームに包まれたスポンジケーキに苺でも乗せるように、その鞄の上にそっと正方形のケーキ箱を添えた。彼は青い鞄は手放さず、逆に持ち手を掴む左手の力を強める。
右手でスリットの入っている真紅のロングコートの裾を、まるでドレスのスカートでも扱うように翻し、セスと同じ方向を向いた。
細道の先。こちらを遠目から盗み見ている別の男達がいる。人数は四人。困惑する様子から、この三人の仲間なのは明らか。
逃げてくれれば嬉しかったのだが、男達は黄ばんだ歯を剥き出しに窪んだ目をつり上げる。
四人は飛び出してきた。その手にはナイフだけでなく細長い木片やなにかの金属棒が握られていた。
セスは大股に前へと出る。
「荷物を、見ていてください……」
「四人よ? 一人でいける?」
「四人とも、ただの人間でしょう。一人と大差ありません。ちゃんと利き手じゃないほうで相手をしますよ」
「それは頼もしいわ」
長袖のフリルで口元を隠しながらロゼルが小さく肩を揺らす。それに呼応するように揺らいだ甘い香りが鼻を掠めた。
セスは強く地面を蹴った。
◆ ◆ ◆
薄暗い迷宮区に呻き声が響く。
意識を失ったり、痛みに動けなくなっている四人の男達をセスは目を細めて見渡し、無力化したことを確かめるとロゼルを振り返った。
「圧倒的ね」
守るように鞄に寄り添うロゼルは圧巻されたように深く息を吐く。鞄を持つ左手の甲を叩いてセスに拍手をおくった。
「一人と変わらないと言ったでしょう」
「それにしてもよ。こんな狭い場所で……」
「狭いからですよ。くる方向がある程度、決められていますから……」
「怪我は?」
「ベアトリーチェに背中だけでなく、目も診てもらいますか?」
セスは突っ慳貪に言い放ちながら、杖先で足元に転がるナイフを遠くへ弾いた。金属音が反響する。
「……背中は、大丈夫ですか?」
「ちょっとだけ痛いわ」
「急ぎましょう」
セスは杖を軽く投げ、杖を持つ位置をシャフト部分の中腹に変えた。
唾液を垂らして仰向けに横たわる男を飛び越えてロゼルのほうへと早足に戻る。
「ねえ、そういえば……」
ケーキの箱を持ち上げようとしていたロゼルの動きが止まり、双眼がセスの左腕へと流れた。
「手紙は?」
ロゼルはセスの杖を握る手を凝視しながら首を捻った。長いピアスが揺れる。
陰が巣くう路地裏で純真な光を纏って揺らめくピアスをセスは見つめた。揺れがおさまってから、ゆっくりと左手を持ち上げる。
歪みのないシャフトは吸い込まれそうに深い瑠璃。銀の握りには茨の装飾が絡まり、その先には大輪の薔薇が丁寧に彫られている。
セスが握っている物は、師匠から譲り受けたそれだけだった。
「そ、んな……」
旅の相棒が、いなくなっている。
「手紙が、盗まれました……!」
強張った表情で唇を震わせたセスに、ロゼルは少し考えるふうに瞼を伏せ、戻す。「ボクは」と、ロゼルはゆっくりと言った。
「落としたと思うのだけど」
「なにを言っているんですか……? いくら自分でも手に持っていたものを忘れるようなヘマはしませんよ。冗談を言っている場合じゃありません。探さねば! いや、探している暇もない気が……あんたになにかあると困ります。大丈夫ですか? まだ自我は、自分だという自覚はありますか?」
「あるつもりよ」
「ここは十三ある大陸のうち序列第何位ですか?」
「第五位」
「一年は何ヶ月?」
「十三ヶ月」
「一ヶ月は?」
「三十日」
「一週間は?」
「十日」
「各大陸の東西南北の見方は?」
「ヴァルプルギスであいた大穴のある方角が総じて北。さらに言えば、穴からは絶え間なく冷気が溢れていて、穴に近い大陸ほど寒い。序列第一から第三位の大陸は永久凍土で生き物は住めない」
「当たりです。大丈夫そうですね……」
「ねえ。これってボクの確認と言うより一般常識の確認よね?」
「どこから自我が失われるか分からないでしょう? 呆けている人は自分が呆けていると理解できないと言いますし……一般的なところから確認していくのは大事ですよ」
「カニバルブーケと呆けは違うと思うけど」
真紅のぼやきを流しながらセスは辺りを見回した。
ロゼルの自我の確認をし終わったところで改めて手紙の所在を探る。
倒れている男達には一切触れられてはいないので、彼らに盗まれた可能性は考えられない。ならばここではないところと頭を必死に回転させ――――セスはロゼルとともにケーキ屋に向かう途中の大通りでの出来事を思い出した。
「もしかしたら……大通りの人混みでスられたのかもしれません。何回か人とぶつかりましたから……探してきます!」
「ああっ! ちょっと待って!」
意気揚々と駆け出そうとしたセスだが、ロゼルに外套を掴まれて足が止まる。無理矢理に足を踏ん張ったせいで、ぢゃり、と小石を引きずるこそばゆい感覚が靴底から上がってきた。
「…………なんですか?」
「万が一盗まれたとして……戻っても見付からないわよ」
「探してみないと、分からないじゃないですか」
「どうやって探すつもり? ぶつかった人達の容姿は覚えているの?」
セスは記憶を掘り起こす。
極彩に輝く硝子の光や、至る所に吊されていた花の入った丸いアルバ硝子の光景しかセスの頭には刻まれていない。ぶつかった人達の顔は勿論、服装や特徴も虹色に塗り潰されて微塵も浮かび上がってこない。
「覚えて、いません……」
「もう太陽は真上。アルバは昼食は外で取る人が多いから、この時間は大通りは人がさらに増えるの。またもみくちゃにされてはぐれたら、それこそ困るでしょう? ボクも、キミも」
「なら……どうすれば…………」
太い三つ編みに顔を埋めてセスは弱々しく呟いた。
「ごめんなさい」
唐突な謝罪にセスは顔を持ち上げる。
ロゼルが聞き慣れない番地を口にした。いや、聞き覚えはないがその番地を思考でよく噛み締めると、覚えがあった。
ロゼルから発せられたそれは聞いた覚えはなく、しかし見た覚えのある番地。ベアトリーチェの手紙に書かれていた番地だった。
「盗み見るつもりはなかったの。身長差的に……セスが手紙と睨めっこをしていると、つい見えちゃったのよ」
「よく、覚えていましたね……」
「地元よ? それとなく想像はつくわ」
「なら最初から案内してくださいよ」
「しようとしたけど、キミが断ったのよ? 自分が案内しますって」
確かに言った気がしたセスは、うっと息を飲む。
「ただ、一度迷宮区を出ないとね。こっち側の迷宮区は行き止まりや変な小道も多いから……。ちょっとややこしいのよ」
ロゼルは右手を腰にそえ、首を振って左右の道を確かめた。腰の腕を持ち上げて、どちらから出ようかと吟味するふうに人差し指の腹で顎のラインをするりとなぞった。
「分かりやすいところまで出たいわね」
「分かりやすいところ……」
「うん。駅から繋がる大通りは五つあるから、とにかく大通りにさえ出ればそこから」
「分かりました」
セスは眉尻を持ち上げる。
「ロゼル。杖を、持ってくれますか?」
「良いけど」
セスはロゼルに杖を渡した。ロゼルは青鞄と杖を右手にまとめ、左手にケーキ箱を揺らさないよう気を配って持つ。
セスも左腕に自分とロゼルの鞄をまとめた。
「どうしたの?」
「上から行きます」
不思議がるロゼルをセスは自由になった右腕でひょい、と担いだ。
自分よりもずっと背の高いロゼルを肩に乗せるような形で抱え、鞄を持つ左腕も添える。
固まっていたロゼルが「嘘ッ!」と抱えられてから叫んだ。彼の身体に力が入り、驚愕によって筋肉が硬直したのが伝わってくる。
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