16 自分自身の証明方

「自分がどういう状態か、分かっていますか? カニバ……あれに傷付けられたんですよ?」


 ロゼルの呑気な態度にセスは苛立ちを露わにする。感情的に発してしまった奇病の名をすべて言い切る前になんとか言い換えた。


「心配しないで。痛みは引いてますよ」

「そういう意味じゃなくて……あれがどうやって感染するか分からない以上、傷を受けたあんたが感染していないとは言い切れません。どういう意味か、分かるでしょう?」


 分からないわけがない。

 分かっていなくてはいけない。


「あんたも……あれになる可能性があるんですよ」


 人が多いのであれと濁しているが、伝わったはずだ。

 それでもロゼルの顔色は変わらない。微塵も感情を動かさず、落ち着いた様子で「もちろん」と頷いた。


「けど、きっとまだ大丈夫。ボクはボクですよ」

「あんたがそう思っているだけかもしれません。いまこの場で発病する可能性だって……十分にあるんです。一刻も早く動かなくては……」

「それには同意しますよ。でも……自分が追い詰められているからって、周りが見えなくなるのはいやな気がして」


 ロゼルは申し訳なさそうに眉を下げた。


「ボクがあれに傷を受けたのは自業自得。あの時点で、それなりの覚悟は決まってます。その上で、ボクはボクを忘れないようにしたい」

「忘れないようにって……」

「あれは、発病すると自我を失うのでしょう?」


 近くにいるセスにしか聞き取れないように、ロゼルはそっと声を潜めた。


「こうやってボクがボクのしたいことを考えられている間は、きっとボクのままだから……」


 紡がれる言葉はすぐさま雑踏に食われていく。


 セスはようやく気が付いた。

 なぜロゼルは荷物の確認をしたのだろう?

 窓口での話を盗み聞いていた限り、彼は出張先の窓口から自宅への配送を頼んでいたらしい。窓口で彼は自分が乗っていた汽車が遅れたので、念のために別で運送されている荷物がいまどこら辺なのかを確認したいと伝えていた。しかし、あくまで遅れたのは自分が乗っていた汽車。別経路で運ばれる荷物に影響はないはずだ。確認する理由は本来ならばない。それゆえに窓口の女性も些か首を捻っていた。


 セスはわざわざロゼルが荷物を確認した本当の理由を理解した。

 ロゼルはけして呑気なわけではない。

 不安がないわけではない。逆だ。


 奇病カニバルブーケに傷を付けられたという現実を、彼は重く受け止めている。

 奇病カニバルブーケは人を喰う。臓物を連想させる赤黒い薔薇で顔面を喰らい、自我を喰らう。

 セスもロゼルもカニバルブーケについて知らないことが多い。どうやって感染を広げ、いつ発病するのかまったく不明だ。

 なのでセスは早くベアトリーチェに相談したかった。

 セスがベアトリーチェに頼ったように、ロゼルは過去の自分に頼っていたのだろう。

 いつ自分が自分でなくなるのか、分からない。

 ロゼルはいま、常に自分を自分と認識したいのだ。

 傷を受ける前に自分が手配した荷物について、いまの自分が忘れていることがないか。ロゼルは荷物ではなく自分の記憶を確認していたのだろう。

 セスの髪を三つ編みにしたあとも、彼は妹の話の中で「覚えていて良かった」と感想を零した。セスはてっきり単に昔の出来事だからやり方が不安だったのかと思っていた。

 そうではない。

 あれは、そんな単純な一言ではなかった。


 きっといまのロゼルには――――

 いつ自分が自分でなくなるか分からないロゼルには、自分が自分として動いているということが何よりも大切なのだ。

 それに気が付いた途端、セスの中に湧き上がった激昂が一気に霧散した。代わりに、言いようのない感覚に襲われる。

 ベアトリーチェに頼ろうと考えていた自分のほうが、呑気だったのかもしれない。


「周りに被害を出す気はありません。体調に変化があれば、隠さずすぐに伝えますよ」


 ロゼルは笑う。

 そんな状況にありながら、セスを気遣って笑顔を繕う。

 周りを気遣って、行動する。それがロゼルの性分なのだろう。

 ならば、それがロゼルをロゼルたらしめる行動ならば、咎める必要はない。

 セスは深く息を吸い「甘い物」

 心中のわだかまりを吐き出す勢いで言った。


「ベアトリーチェは、甘い物が好きです。ベアトリーチェと言わず……自分達は、甘党が多いです……」

「自分達って……それはつまり、セスと同じって意味?」


 人の耳を気にしながら聞き返すロゼルにセスは首を縦に振った。


「師匠の主食も、角砂糖でした……」

「へえ……」


 ロゼルは双眼を輝かせ、感嘆の息を洩らす。


「薔薇は砂糖水で育つものね。彼女も、咲くから?」

「かも、しれませんね……」

「じゃあ、なにか甘い物を買って行きましょう。セスも甘党? なにか食べたい物ある?」


 セスは黙ってロゼルの持つ青い鞄を凝視した。


「こ、これ以外には?」

「…………」


 セスは答えずに青い鞄を見続けた。


「分かった。助けてもらったし、案内してもらうのだものね」


 承諾しつつ、ロゼルの口振りは自分に言い聞かせるかのようだった。


 ◆ ◆ ◆


「はーあ……」


 ロゼルに案内されて駅を出てから十五分ほど経っただろうか。その間ずっと、セスは口を開いたままアルバの建物を眺めていた。

 白石でできた道に白亜の建物が密集し、建ち並ぶ建築物の窓はすべてが上部か下部または中心が伝統のアルバ硝子で飾られている。

 取り取りのそれらが太陽光を反射して、白い街を透き通った極彩で着飾っていた。しかも窓につく格子や飾り台も華やかな装飾が施され、芸術的だった。

 探せば窓だけでなく扉にもアルバ硝子が嵌められていたり、花の入った球状のアルバ硝子がいたるところに吊されて煌めく影を作っている。

 心臓時計と呼ばれる大陸ごとの時差を合わせる時計塔と一体化している広大な駅の外観には圧倒されたが、駅を囲む街そのものも凄まじい。

 セスは呼吸すら忘れて魅入る。

 まさに硝子職人の技が至る所で輝く極彩の都。

 王都アルバは実に美しかった。

 王都の建築物が白いのは、アルバ硝子の極彩色の影を映えらせるためだとロゼルは説明する。

 建物で色が付いている部分は扉や窓枠、外階段についた手摺りのみだった。

 少しでも歩けばセスの白髪にも七色の光がキラキラと笑いかけてきた。

 ついつい見取れてしまい、何度も歩を止めてしまう。他にも道端では楽器を奏でる人や似顔絵を描いている人、鼠に芸をさせている人などがおり、セスの興味を惹きつけるものは多い。

 セスの足はふらりと動いてしまう。その度にロゼルに引き戻される。注意された時は気をしっかり持とうと努力するも、結局またすぐに浮足立ってしまった。


「これは、確かに……極彩の都ですね……!」


 人が多い街だということは駅に着いた時点で把握していたが、それでもやはり密度に驚かされる。心が震え、荷物を握るセスの手に力がこもった。

 地元民と観光客が入り乱れれば自然と活気は溢れ、それにつられるようにセスも双眼を輝かせながらうろちょろと極彩色の白い街を動き回る。

 セスは自然と人混みに流されていた。なにもかも初めての華やかさに熱のこもった賞賛の息を洩らし、ただただ心と足を踊らせる。

 いつの間にかロゼルがいないことに、セスはまったく気が付かない。


「すごい……っ!」


 懐中時計を持って走る兎を追い掛けるように極彩色の輝きに弄ばれて進んだセスは大通りを外れ、人通りのない細道に立ち尽くしていた。

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