14 王都アルバ

◆ ◆ ◆


「わああ……っ」


 汽車を降りてから、セスの口は閉じなくなった。

 様々な色のついた硝子で彩られた半円形の天井から差し込む虹色の細波がセスを撫でる。

 壮麗な白亜の駅は極彩の輝きと喧騒に溢れていた。当たり前だが自分が住んでいた山奥とは違いすぎる光景。ここにくる前もセスはいくつかの村や街に立ち寄りはしたが、それでもここまでの人口密度はなかった。

 これから自分がここに住むとは、辿り着いたいまでも信じがたい。

 そわそわと心を興奮にくすぐられ、賑やかさとあまりの人の多さに思考を飲み込まれかけたが「っ……すみません」

 人にぶつかってセスは我に返った。

 強い舌打ちをされる。セスの謝罪を無視して、ぶつかった相手は足早に去って行った。悪いのは突っ立っていた自分だとは思うが、それでも相手の態度にセスはなんとも言えない気持ちになった。


「だから……人間の多いところは、苦手です……」


 肌に触れる朝の空気は、人の量に負けてやや生温い。

 つい洩れた弱音を隠すように、セスは首に巻く三つ編みに口元を埋めた。


「大丈夫? まずは上に出ましょう。案内するわ」

「上……?」

「うん。ここは混むから、落ち着けるところまで行きましょう」


 あちこちを見渡すセスとは異なり、雑踏の中でも迷いなく進む方向を決める真紅。

 ロゼルは王都の住人だ。セスよりも詳しいので、ここは彼の言う通りにするのが妥当だろう。なにより、セスは人混みで動くことに慣れてはいない。また誰かとぶつかるのは、人間に触れるのは嫌だった。

 できるなら、人間との関わりは必要最低限にしたいのだ。

 必要最低限に、したかった。

 人間と関わるとろくなことがない。

 セスの表情は陰る。


「こっち。着いてきて」


 人混みから頭一個分悠々と飛び出す高身長のロゼルは服装も相まってとても目立っていた。


「…………」


 長い背中について行きたくないと思ったが、艶やかな真紅に隠されたその背に傷があることを思い出し、渋々と彼を追った。

 案内された先は色取り取りのアルバ硝子に飾られた豪奢な昇降機。流石は様々な職人が暮らす芸術の都というべきか、昇降機の側面や細かな部分にまで模様が彫ってあった。

 内部も広く、昇降機に初めて乗るセスは興奮に胸を躍らせながら透明な硝子壁にへばり付いて外の様子を眺めた。


「すごい……!」


 幾つものホームが並び、複数の線路と汽車、人の波が上から見渡せた。

 セスの知る駅とは線路はひとつふたつしかなく、汽車から降りてホームを歩いていけば駅員が佇む改札所があるだけの質素なもの。

 こうして上層が存在する駅があるのは知っていたが、実際に訪れるのは初めてだった。ブージャムと旅をする時は意図的に人の多いところを避けていたので、こんなにたくさんの人間の中に紛れるのも初めて。

 初めて尽くしの経験に、セスは目を輝かせた。

 吹き抜けになった広大な空間。アルバ硝子の天井から常に降り注ぐ極彩の輝きが人々を照らす。七色の海を泳ぐ魚みたいだとセスは行き交う人々を上昇する昇降機の中から爛々と遠望した。


「悪いのだけれど、先に三階の流通りゅうつう総合そうごう窓口まどぐちで荷物の確認をしたいの。向かってもいい?」


 ロゼルがこそりと耳打ちをしてきた。


「三階まであるんですか!」


 囁かれた単語に驚きセスは思わず叫ぶ。人が詰め込まれた昇降機内にセスの声が木霊した。

 人々の視線が一斉にセスに釘付けになる。


「あ……すみ、ません……」


 複数の眼を受け、セスは首に巻く髪に隠れるように俯いた。

 幾つかの小さな笑い声が零される。


「アルバ中央駅はいくつかの階層に分かれているの。さっきいたホームが地下一階の括りなの。地上一階に改札口があって、駅の出入りはそこから。二階と三階が案内所やお店とか。他の階にも宿泊施設や色々あるわよ」


 ロゼルが再びセスの耳元で言った。


「王都アルバ……恐ろしいところですね」


 彼から漂う甘い香りを感じながら、セスも今度は小声で答える。


「慣れないと迷うわね。気を付けて」


 セスは頷いた。両手に持つ荷物を握る手に力を込める。自分の革鞄はどうなっても良いが、ロゼルの鞄と師匠から譲り受けた杖だけはなくすわけにはいかない。

 セスは自分の好奇心に負けないよう気合いを入れる。


 ベル音とともに昇降機が目的の階に到着した。

 金網状の扉が開いた後、もう一枚の扉が開く。

 人々が外に出て、セスも真紅に続いて昇降機を出た。

 外に一歩踏み出した瞬間、セスの気合いは好奇心に塗り潰された。

 下とは比べものにならない荘厳な世界がセスの眼前に広がっていた。

 白を基調とした駅内部。壁や支柱もすべて白く、至る所にアルバ硝子が飾られていた。床の一部にも様々な模様のアルバ硝子がたくさん嵌め込まれており、鮮麗された多彩な美しさは天使が住む城かと錯覚してしまいそうになる。

 勿論行き交う人々は羽根も光輪も持たない。だがそれに劣らない上品な出で立ちの者が多く、いまから舞踏会が始まると言われればセスは迷わずに信じるだろう。


「っ――!」


 セスは総毛立った。

 自分の内側から溢れてくるものが歓喜だとすぐに気付く。


「セ、セス! こっち! こっちですよ!」


 ロゼルがやや大きな声をセスに投げるが、セスはそれに反応ができなかった。

 ふらりふらりとセスの足は勝手に進み「セス!」肩を掴まれてようやくセスはロゼルを認識する。


「迷子になりますよ」


 ロゼルはなぜか初めて出会った時の口調に戻っていた。けれど、それ以上にセスには気になることが多い。


「ロゼル……」

「なに?」

「あれはなんですか! 壁みたいに大きな気鳴型鍵盤楽器パイプオルガンが勝手に鳴ってます!」

「あれは、自動式で……」

「あんなところで変な格好の人達が変なことをしていますよ!」

「変な格好と言うか、サーカスの宣伝で」

「ああっ猫! ロゼル! 駅に猫がいます! しかも鞄と……本! 本を持っています!」

「あの猫達は大図書館の」

「ロゼル! あっちに――ッ!」


 奇妙な石像を発見しセスは駆け出そうとしたが、肩の置かれた手に力を込められて制止される。

 顔だけで振り返ると、満面の笑みを携えるロゼルの碧眼と目がぶつかった。


「荷物を、確認、したいのですが?」


 威圧感を纏った笑み。

 ロゼルは一字一句を強めて発する。声のトーンがやや低くなっている気がした。


「……はい……」


 セスは感情のまま前へと出ていた片足を引っ込める。


「迷子になったら案内所を探してね。もしくは駅員に聞きなさい。分からなかったらお店の中に入って店員に訊ねること。いい?」


 小さな子供に言い聞かせるように説明をするロゼルにセスは頷いた。

 深く息を吐いてロゼルが肩を落とす。


「色々と気になるのは分かりますよ。でも、セスにも用があるのでしょう?」


 ロゼルに言われ、セスは「あっ」と声を洩らした。

 王都アルバの魅力に心が奪われてしまっていたが、セスの目的はここから世話になるベアトリーチェの元に向かうこと。本来の到着予定時刻から大幅に遅れているので心配しているかもしれない。

 そしてなにより、セスは彼女に奇病カニバルブーケから傷を負わされたロゼルの今後を相談するつもりでいた。

 会う前から心配をさせ、会ってからも苦労を掛ける。

 申し訳なさからセスの思考は冷えてきた。


「色々終わったら案内しますよ。だから」

「……いい、です」


 セスは頭を横に振った。

 色々終わったあと、ロゼルがロゼルのままである保証はない。

 下手に約束は、期待は、できない。

 しては、いけない。


「行きましょう」


 セスはそれだけを淡と口にした。

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