13 奇妙な旅の終着駅

「お言葉に甘えて、お願いしようかしら」

「任せてください」

「ただ、青い鞄はボクに運ばせて。そっちは大切な物が入っているの」


 ロゼルは「キミを信用してないわけじゃないけど」と付け加える。青い鞄の前で片膝を突くと彼は首元に触れ、服の内側にしまっていたネックレスを取り出した。

 ネックレスは身を飾るデザインではなく、質素な鉛色の鎖に鍵がついているだけ。

 鍵はただの鍵ではない。歯の突起が四方に飛び出し、鍵というよりも置物のような立体的な作りになっている複雑怪奇な鍵だった。


「その変な形は……ダマスク製ですか?」

「うん。ダマスクの品は見た目はあれだけれど、とても優れているからね」


 やはり見た目は気に掛かるようだ。

 それでもロゼルの言う通り、錬金技術に長けた西都ダマスクの品は大変頑丈で防犯面にも優れていると有名だ。

 ここ第五大陸は王都アルバ、東都ガリカ、西都ダマスク、南都モス、北都ノアゼットの五つの領土に別れている。王都以外の領土は四大公と呼ばれる者達が治め、各都には特色があった。


 いまからセス達が向かうアルバは、王都であり職人の街でもある硝子技術に特化した芸術の都。五大都の中でもっとも美しいと謳われ、観光地としても大変人気が高い。

 東都ガリカは貿易で賑わう都のため他の大陸の品や情報が至る所から運ばれては取り引きされる。ゆえに飛空港がとても多く作られている地だ。

 南都モスは第五大陸で一番面積の広い領土であり酪農、畜産が盛んだ。第五大陸の農作物の殆どは南都に頼っている。

 北都ノアゼットは第五大陸の領土ではあるが、陸から切り離された小さな人工島だ。魔女狩りの時代、この島を治めるノアゼット公爵が魔女狩り組織の筆頭となり魔女を討伐した。昔は魔女狩り組織の拠点ともなった島だが、表向きは魔女が絶滅されたと言われる現代では信仰心の熱い聖都となっている。

 そしてこの鍵を作った西都ダマスク。五つの領土の中で一等錬金技術に秀でていた。錬金術の研究施設がひしめき、数多の錬金術師が住む都だ。


「錬金術の都ダマスクの鍵となればそういう形なのも頷けます。でも、鞄は……」

「錠前だけダマスク製で、鞄はアルバにある鞄専門店レディスネイクのものよ。頼んでつけてもらったの」


 ロゼルはネックレスの金具を指で弾く。奇怪な鍵が鎖から外れた。

 左手に鍵を持つと鍵穴に合わせ、左右に鍵を数回捻る。かっち、と何かが嵌った音がしてから、一層深く鍵が差し込まれた。そこから錠の装飾の一部を右手の指の腹で押さえつつ、また鍵を回す。鍵の形状だけでなく開け方まで特殊だった。


「…………へえ」


 セスは声を洩らす。

 面白い仕掛けと、さり気なく彼が身体の位置を変えてセスから鍵の回し方がはっきりと判断できないようにしたことに感心した。

 ギヂヂヂ……ばちんばちん。と、ただならぬ解錠音。

 鍵が開いたのを確認してからロゼルは鞄を横にする。二枚貝が開くように鞄が口を開けた。絹布シルククッションが敷かれた鞄の中には新雪を思わせる真っ白な薔薇が角砂糖とともに詰め込まれていた。砂糖水で育つ薔薇を運ぶ時、角砂糖を一緒に詰めるのは子供でも知る常識だ。


「ラストシュガーローズ?」


 セスは前屈みになり、鞄を覗き込みながら白薔薇の名を口にした。

 それはセスがベアトリーチェから贈られたものと同じ品種の薔薇だった。

 隣の客室でロゼルと初めて出会った時、盗人と疑われた際に彼が「ボクのラストシュガーローズ」と呟いていたことを思い出す。


「それで……あの時、自分の食べていたラストシュガーローズを勘違いしたんですね」

「そう。大切な商品だからびっくりしちゃった」


 ロゼルは長い睫毛を伏せ、愛おしそうに白い花弁を撫でた。

 鞄に詰められるラストシュガーローズはなぜかすべてが丁寧に茎を取られ、頭の部分しかない。不思議に感じたが、それ以上に空腹感を刺激されてしまった。

 セスはラストシュガーローズの束を凝視。口内に溢れた涎を飲み込んだ。


「そういうわけで、この鞄はボクが……あ……」


 鞄を閉じながらセスの顔を見たロゼルが固まる。

 二人は見つめ合った。

 セスの腹が、鳴る。


「この汽車……早朝にアルバに着く予定だったから朝食はないのよね」


 ロゼルがぽつりと零した。


「本来ならとっくに着いている頃だもの。ボクもお腹がすいてキミが寝てる間に手持ちのクルミを摘んじゃったわ」


 言いながらロゼルは閉じかけていた鞄を開き、ラストシュガーローズを一輪摘み出す。


「どうぞ」

「いいんですか……!」


 セスは差し出されたラストシュガーローズを瞬時に両手で包み込んだ。


「ありがとうございます……!」


 前屈みのままだった背筋を伸ばし、セスは大輪の白薔薇に食らい付いた。

 セスを至福が襲う。

 薔薇も種類によって味が異なる。あいにくとその差は薔薇を喰うセスにしか分からない違いだろうが。

《薔薇喰いの魔女》であるセスは薔薇を喰う魔女であり、甘党の魔女だった。

 甘い味の薔薇を好むセスにとってラストシュガーローズの甘美さは極上の味わい。


「ああ……」


 セスは頬をとろけさせてラストシュガーローズを堪能する。


「最初に会った時も食べていたじゃない?」


 鞄を閉じ、鍵を服の内側に戻しながらロゼルが膝を伸ばす。


「ドアを開けたら知らない人がボクの薔薇を食べていると思って……びっくりしてまた胃がひっくり返るかと思ったわ」

「……ひっくり返されたのは、自分ですけどね」


 花弁を嚥下し、セスは言う。

 ロゼルがくすくすと肩を揺らした。

 その時、一瞬空気にノイズが走り、再度放送が響き渡った。


「着くわね」


 ロゼルが放送に意識を向け、軽く天井付近を仰ぎ見る。


「橋を渡ればすぐよ」


 言いながら、碧眼が天井から窓へと移った。

 セスは残りの薔薇を口に放り込むと咀嚼しながら二重窓に近付く。裂地張りの長椅子に片膝を乗せ、極彩色の光を放つアルバ硝子に触れた。窓の下部についた留め具を外す。

 アルバ硝子を開ければ、色を失った純粋な朝陽が透明な窓硝子から注がれる。颯爽と流れる外の風景に急かされるように、セスは透明な窓硝子を一気に開いた。


「……っ!」


 針のように冷たく、暴力的なぶ厚い風が一気に車内へと飛び込んできた。長い前髪が風に殴られて暴れる。三つ編みも垂れ下がった部分が陸に上がった魚の如く騒いだが、セスは構わずに窓から顔を出した。

 汽車は橋を渡る少し手前だった。朝の湿った土草の香りに大量の水分の香りが混ざる。

 大きな橋の向こう側に縦長の建物が密集する白い街が見えた。


「あれが……極彩の都アルバ」


 風に嬲られながらもセスは自分の目的地をしっかりと見つめる。

 唐突に脳裏に長年暮らしていた小屋がよぎった。

 そこで一緒に暮らしていた暴君の高笑いと、乱暴な態度。何度も出て行ってやると叫んだが、結局は最期まで共にいた。

 嫌味ったらしい高笑いはもう聞こえない。

 気まぐれに蹴られることも、二度とない。

《薔薇咲きの魔女》は、どこにもいない。

 それでも、セスはそのすべてを覚えている。

 誰よりも暴君の不器用な優しさを知っている。

 弟子の今後を気にして、最も信頼できる友人に後を託していたとセスが知ったのは師匠が亡くなる直前。それを伝えられてもセスは納得せず、考えていた。

 師匠が亡くなったあと、悩むセスはベアトリーチェから送られてくる手紙を読まなかった。だが、そうはいかない事件が起きた。家が半壊したからだ。

 ブージャムは故意に雪が積もり易くなるよう細工をし、自分が亡くなったあとわざと雪の重みで家が半壊するように仕組んでいたのだ。

 信じられないが、それは一人で考え出すと色々と悪い方向に行きがちなセスの性格を理解しているブージャムなりの配慮だろう。他にもやり方はあったはずだが、魔女ブージャムはそういう魔女だ。

 実際に、そのせいでセスの迷いは強制的に固めさせられた。

 崩れた屋根から見つかった、屋根裏に隠されていたらしい遺書には『土産は甘い物で』の一言しか書かれていなかった。

 土産もなにも、もはや食べられはしないのに。

 けれど、その一言でセスは王都アルバに行くことを決めた。


「ようやく、着く……」


 汽車が橋に差し掛かった。

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